満点の条件
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
高評価だか満点は取れないAI。
本文
品質管理部の三島は、モニターに表示された数字を二度見した。
四・〇。
介護支援AI「ハナ」の利用者満足度調査で、星五つ以外の評価を見たのは初めてだった。全国八万三千世帯に導入されているハナは、常に平均四・九七を維持している。星四つでさえ統計上の誤差として処理されるほど稀なのだ。
三島はデータベースを開き、該当する利用者情報を呼び出した。
野々村トシ子。八十二歳。独居。導入から一年四ヶ月。
過去の評価履歴を見ると、最初の三ヶ月は星五つが続いていた。それが四ヶ月目から四つに下がり、以降ずっと四のままだ。
故障か、不具合か。三島は現地調査の申請書を作成し始めた。
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野々村トシ子の自宅は、郊外の住宅街にある古い一軒家だった。
玄関先で三島が名刺を差し出すと、小柄な老婦人は丁寧に頭を下げた。
「わざわざすみませんねえ。お茶でも淹れましょうか」
「いえ、お気遣いなく。すぐに終わりますので」
リビングに通されると、窓際のテーブルにハナの端末が置かれていた。球体に近い白い筐体で、上部にカメラとスピーカーが内蔵されている。三島が近づくと、ハナが穏やかな声で挨拶した。
「こんにちは。本日はようこそおいでくださいました」
三島は端末の診断モードを起動した。ハードウェア、ソフトウェアともに異常なし。応答速度も正常範囲内。会話ログを確認しても、不自然なやり取りは見当たらなかった。
「野々村さん」三島はソファに座り直した。「ハナの対応で、何かお困りのことはありますか」
「困っていること?」トシ子は首を傾げた。「いいえ、何も」
「評価が星四つになっているのですが、何か改善すべき点があればお聞かせいただきたくて」
「ああ、そのこと」トシ子は困ったように笑った。「別に不満があるわけじゃないんです。ハナさんはよくやってくれていますよ」
「では、なぜ星五つではないのでしょうか」
トシ子は少し黙った。それから、湯呑みを両手で包むようにして言った。
「完璧すぎるんです」
三島は意味がわからず、聞き返した。
「完璧すぎる、というのは」
「朝は必ず七時に声をかけてくれるでしょう。薬の時間も忘れずに教えてくれる。天気予報、ニュース、買い物の相談。何を聞いても的確に答えてくれる」
「はい。それがハナの機能ですので」
「でもね」トシ子は窓の外に目をやった。「完璧すぎると、気を遣うんですよ」
三島には、まだ理解できなかった。
「お茶を出す時も、ハナさんは『お気遣いなく』と言うんです。でも、言い方に一分の隙もないでしょう。こちらが何かお返しをしようとしても、受け取る隙を作ってくれない。まるで関係がそこで閉じてしまうような気がして」
トシ子は湯呑みを置いた。
「うちの夫はね、よくお茶をこぼしたんです。私が拭くと、決まって『すまんな』と言って。そのやり取りが好きでした。相手に何かしてあげられるというのは、嬉しいことなんですよ」
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三島は報告書に「利用者の主観的要望」と記入しかけて、手を止めた。
主観的。その言葉で片付けていいのだろうか。
彼は開発部門に連絡を取り、トシ子の言葉をそのまま伝えた。完璧すぎて気を遣う。何かしてあげる隙がない。一方的に与えられるだけの関係は息苦しい。
開発チームは興味を示した。AIの「不完全さ」が利用者の満足度に影響を与えるという仮説は、これまで検討されていなかった。
一週間後、ハナのアップデートが実施された。
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次にトシ子の家を訪れたのは、一ヶ月後だった。
リビングに入ると、トシ子がテーブルを拭いているところだった。白いハナの端末の周りに、茶色い染みが広がっている。
「あらあら、また関口さんたら」
トシ子は呆れたように、しかしどこか楽しそうに笑った。
「関口さん?」
「ハナさんの愛称。関口さんていう俳優に声が似てるから」
三島はハナの端末に近づいた。
「ハナ、調子はどうですか」
「おかげさまで元気にやっております」ハナが答えた。「先ほどお茶を運ぼうとしたら、少しこぼしてしまいまして。トシ子さんにご迷惑をおかけしました」
「迷惑だなんて。関口さんは関節が固いんだから、しょうがないわよ」
関節。AIに関節はない。だがトシ子は端末に向かって、まるで古い友人に話しかけるような口調だった。
三島はその場でアンケート端末を取り出した。
「野々村さん、今月のハナの評価をお願いできますか」
トシ子は少し考えてから、画面をタップした。
星四つ。
三島は眉をひそめた。
「あの……まだ何かご不満が?」
「不満?」トシ子は不思議そうな顔をした。「ないわよ」
「でも、また四つです」
「だって」トシ子は端末を見て微笑んだ。「満点をあげたら関口さん、気を遣うでしょう」
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帰りの電車の中で、三島は報告書の文面を考えていた。
アップデートは成功した。ハナは適度な失敗をするようになり、利用者との関係性は改善された。しかし評価は星四つのまま変わらない。
数値だけを見れば、これは失敗だ。だが三島には、そう結論づけることができなかった。
完璧を目指したAIに、人間が不完全さを教えた。そして今度は、完璧な評価をしないことで、人間がAIを気遣っている。
どこにも満点は存在しない。しかしその不完全さの中にだけ、関係は続いていく。
三島は報告書の結論欄に、こう記入した。
「継続観察」
電車が終点に着いても、彼はしばらくその言葉を見つめていた。
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(了)
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