採点者の0点
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
採点AIの話。
本文
1. 異常値
職員室の窓から差し込む西日が、沢村真帆のデスクを橙色に染めていた。
期末テストから三日。真帆は採点システム「SCORE」の結果一覧を開いた。二年三組、三十二名分の国語の成績がずらりと並んでいる。
AI採点システムが導入されて二年が経つ。当初は「機械に生徒の文章が読めるのか」と懐疑的な声もあったが、今では職員室の誰もがその精度を認めていた。記述問題の採点時間は十分の一になり、教師たちは生徒と向き合う時間を取り戻した。真帆自身、このシステムには感謝していた。
一覧をスクロールしていく。八十点台が多い。よく頑張った子たちだ。七十点台もちらほら。六十点台――そこで真帆の指が止まった。
水野航。〇点。
真帆は目を疑った。航は成績中位の生徒だ。特別優秀でもなければ、赤点の常連でもない。いつも六十点から七十点の間を行き来している。それが〇点とは。
白紙で提出したのだろうか。真帆は航の答案データを開いた。
画面に表示された文章を見て、真帆は息を呑んだ。
今回の試験は、教科書に掲載された短編小説『麦の穂』の読解と感想文だった。主人公の少年が祖父の死を通じて命の循環を学ぶ物語。航の答案には、その感想文がびっしりと書かれていた。
しかも、見事な文章だった。
主人公の心情を丁寧に読み解き、自分の体験と結びつけ、作品のテーマを的確に捉えている。文の構成も論理的で、接続詞の使い方も適切。中学二年生の文章としては出来すぎているほどだ。
これが〇点?
真帆はシステムの判定理由を確認した。画面に表示されたのは、たった一行だった。
「提出者本人の思考パターンとの一致率:2.3%」
真帆は眉をひそめた。SCOREは筆跡だけでなく、文章の癖――語彙の選び方、論理の組み立て方、比喩の使い方――を分析し、過去の答案と照合する機能を持っている。その一致率が2.3%。つまりシステムは、この答案を航本人が書いたものとは認めなかったのだ。
カンニングだろうか。隣の席の生徒の答案を覗き見た? しかし座席配置を確認すると、航の隣は別のクラスの生徒だ。答案の照合をかけても、一致する文章は見つからなかった。
真帆は椅子の背にもたれ、腕を組んだ。
本人が書いたのに、本人と認められない文章。その矛盾が、妙に引っかかった。
窓の外では、部活動を終えた生徒たちが校門へ向かっていく。真帆は時計を見た。午後四時半。航はまだ学校にいるだろうか。
真帆は席を立ち、二年三組の教室へ向かった。
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2. 面談
教室には誰もいなかった。真帆は廊下に出て周囲を見回す。渡り廊下の向こう、図書室の窓に人影が見えた。
図書室のドアを開けると、窓際の席に航が座っていた。机に参考書を広げているが、視線は窓の外に向いている。真帆が近づくと、航は顔を上げた。
「沢村先生」
「水野くん、少し時間いいかな」
航は怪訝そうな顔をしたが、素直に頷いた。真帆は向かいの席に座った。
「期末テストの国語、結果を見た?」
「いえ、まだです」
「〇点だったの」
航の表情が固まった。
「〇点……?」
「そう。でもね、答案を見たら、ちゃんと書いてあった。しかも、すごく良い文章だった」
航は黙っている。真帆は続けた。
「システムが〇点をつけた理由、わかる?」
「……わかりません」
「『本人の思考パターンと一致しない』って判定されたの」
航の目が泳いだ。ほんの一瞬だったが、真帆は見逃さなかった。
「水野くん、あの文章、本当に自分で書いた?」
「書きました」
即答だった。しかし声に力がない。真帆は鞄から紙の束を取り出した。航の過去の答案のコピーだ。
「これ、一年生の時の読書感想文。覚えてる?」
航は紙を受け取り、自分の文章を読んだ。
「『走れメロス』の感想文だね。水野くんはこう書いてる。『メロスはすごいと思うけど、俺は友達より自分を選ぶと思う。走って帰るより、逃げた方が楽だから』」
航は黙って聞いている。
「文法的には少しおかしいところもある。でもね、この文章には水野くんがいるの。水野くんの考え方、水野くんの言葉がある」
真帆は今回の答案を開いた。
「で、今回の感想文。『主人公は祖父の死を通じて、生命の連続性と循環の概念を内面化していく。麦の穂という象徴が、世代を超えた継承の比喩として機能している点が秀逸である』」
航の顔から表情が消えた。
「水野くん、『内面化』って言葉、普段使う?」
「……」
「『比喩として機能している』って、自分で思いついた?」
航は答えない。真帆は静かに言った。
「この文章のどこに、水野くんがいるの?」
長い沈黙が続いた。図書室の時計の秒針が、やけに大きく聞こえる。
やがて航が口を開いた。
「……KOTOBAです」
「KOTOBA?」
「AIアプリです。文章を作ってくれるやつ。そこに『麦の穂の感想文を書いて』って入れたら、出てきた文章をそのまま写しました」
真帆は深く息を吐いた。予想はしていた。しかし実際に聞くと、胸の奥が重くなった。
「どうして?」
「どうしてって……」航は肩をすくめた。「だって、正解が出てくるんですよ。俺が何時間も悩んで書くより、ずっといい文章が一瞬で出てくる。同じ正解なら、楽な方がいいじゃないですか」
真帆は航の顔を見た。悪びれた様子はない。本当にそう思っているのだ。
「同じ正解、か」
「違うんですか?」
「違うよ」
「どこが?」
真帆は言葉を探した。どう説明すればいいのだろう。「正解」と「自分の答え」の違いを。
「水野くん、この文章に書いてあること、本当にそう思った?」
「え?」
「『生命の連続性と循環の概念を内面化していく』って。本当にそう感じた?」
航は黙った。
「『麦の穂』を読んで、水野くんは何を思ったの?」
「……別に」
「別に?」
「何も思わなかったです。じいちゃんが死ぬ話だな、くらいで」
真帆は頷いた。
「それでいいんだよ」
「え?」
「『何も思わなかった』っていうのが、水野くんの本当の感想でしょ。そこから始めればよかったの」
航は困惑した顔をしている。真帆は続けた。
「『何も思わなかった。でも俺のじいちゃんはまだ元気だから関係ないと思った』とか。『主人公は泣いてたけど、俺はじいちゃんが死んでも泣かないかもしれない』とか。そういう、水野くんの中から出てきた言葉が大事なの」
航の眉間にしわが寄った。
「でも、それじゃ点数もらえないでしょ」
「もらえるよ。少なくとも〇点にはならない」
「……意味わかんない」
航は首を振った。
「だって、KOTOBAの文章の方がずっといいじゃないですか。俺の文章なんて、文法もおかしいし、言いたいこともまとまってないし。あんな下手な文章で点数もらっても意味ないでしょ」
真帆は航の目を見た。
「水野くん、テストって何のためにあると思う?」
「……成績つけるため」
「それもある。でもね、私は確認のためだと思ってる」
「確認?」
「水野くんが何を読んで、何を感じて、何を考えたか。それを確認するためのテストなの。だから、そこに水野くんがいなかったら、確認のしようがない」
航は黙っている。真帆は言った。
「SCOREが〇点をつけたのは、答案に水野くんがいなかったからだよ。AIが書いた文章をAIが読んで、『これは水野航じゃない』って判定した。皮肉だよね」
航の表情が変わった。何かに気づいたような顔だった。
「それって……」
「うん?」
「俺の言葉は、AIより価値がないってことですか」
真帆は首を振った。
「逆だよ。AIには書けないものがあるってこと。KOTOBAは『正しい文章』を書ける。でも『水野航の文章』は書けない。それは水野くんにしか書けないから」
航は窓の外を見た。夕日が沈みかけている。
「俺の文章……」
「うん」
「俺にしか書けないって、本当ですか」
「本当だよ」
航は自分の過去の答案を見下ろした。一年生の時に書いた、拙い感想文。
「これ、恥ずかしいと思ってました。こんな下手な文章、誰にも見せたくないって」
「下手かな?」
「下手ですよ。言いたいこともまとまってないし」
真帆は微笑んだ。
「確かに、上手じゃないかもしれない。でもね、水野くんの文章には水野くんがいる。メロスより自分を選ぶっていう、水野くんの正直な考えがちゃんと見える。それは、どんなに上手な文章より価値があるの」
航は黙っている。
「KOTOBAの文章には、誰もいない。正しいけど、空っぽなの。水野くんの文章には、水野くんがいる。下手でも、ちゃんと中身がある」
真帆は立ち上がった。
「今回のテストは〇点のまま。それは変えられない」
航が顔を上げた。
「でも、レポートを出してくれたら、平常点として加算する。『麦の穂』を読んで、水野くんが本当に思ったこと。何も思わなかったなら、なぜ何も思わなかったのか。それを、自分の言葉で書いてきて」
「……自分の言葉」
「そう。下手でいい。まとまってなくていい。水野くんがいる文章を書いて」
航は答案を握りしめた。
「……わかりました」
真帆は図書室を出た。廊下の窓から夕焼けが見える。
振り返ると、航はまだ席に座っていた。過去の答案を読み返している。自分の言葉を、確かめるように。
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3. 答案
一週間後、真帆の机にレポートが届いた。
表紙には「『麦の穂』感想文 二年三組 水野航」と書かれている。真帆はページをめくった。
そこには、拙い文字でこう書かれていた。
「正直、最初は何も思わなかった。じいちゃんが死ぬ話だなと思っただけだった。
でも、先生に聞かれて考えた。なぜ何も思わなかったのか。
たぶん、俺のじいちゃんはまだ生きてるからだと思う。死ぬっていうのが想像できない。主人公の気持ちがわからなかった。
でも、いつかじいちゃんも死ぬ。そのとき俺はどう思うんだろう。この小説を思い出すかもしれない。
麦の穂は、死んだじいちゃんの代わりじゃないと思う。でも、じいちゃんがいたことを思い出すきっかけにはなる。そういうものなのかなと思った」
真帆はレポートを読み終えた。
文法の間違いがある。論理の飛躍もある。
でも、そこには水野航がいた。
真帆は赤ペンを取り、レポートの最後にこう書いた。
「水野くんの言葉、ちゃんと届きました」
そして評価欄に、点数をつけた。
満点ではなかった。でも、〇点でもなかった。
水野航という人間が書いた、水野航にしか書けない文章。その価値を、真帆はちゃんと受け取った。
窓の外では、新しい季節の風が吹き始めていた。
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(了)
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