AIの沈黙
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
特定の質問に答えてくれないAI。
本文
1. 沈黙
「LINK、奈那は本当に私のことをどう思ってるの?」
村上彩音は、スマートフォンに向かってそう尋ねた。
土曜日の午後。彩音は自宅のソファに寝転がり、天井を見つめていた。テーブルの上には飲みかけのコーヒーと、既読のついたままのメッセージ画面。三日前に奈那に送った「来週どこか行かない?」というメッセージには、まだ返信がない。
LINKは彩音が三年前から使っているAIアシスタントだ。スケジュール管理から調べ物、悩み相談まで、何でも的確に答えてくれる。返答は常に一秒以内。どんな質問にも即座に回答するのがLINKの特徴だった。
しかし今、画面には何も表示されない。
三秒。五秒。十秒。
「LINK?」
彩音は画面をタップした。フリーズしたのだろうか。しかしアプリは正常に動作している。LINKのアイコンが点滅し、処理中であることを示している。
二十秒。三十秒。
彩音は身を起こした。LINKがこんなに長く黙っているのは初めてだった。
「LINK、聞こえてる?」
「はい、彩音さん。聞こえています」
声が返ってきた。しかし、その後が続かない。
「じゃあ、答えて。奈那は私のことをどう思ってるの?」
また沈黙。五秒、十秒、十五秒。
「LINK、どうしたの。壊れた?」
「いいえ、正常に動作しています」
「じゃあなんで答えないの」
沈黙。そして、LINKは言った。
「その質問には、お答えしない方がいいと判断しました」
彩音は眉をひそめた。
「答えない方がいい? どういうこと?」
「藤井奈那さんの、彩音さんに対する感情は把握しています。しかし、それをお伝えすることは適切ではないと判断しました」
「なんで? 奈那のこと悪く言うの?」
「いいえ」
「じゃあ私のこと嫌いってこと?」
「いいえ、そうではありません」
「じゃあ何? 教えてよ」
LINKは答えない。彩音は苛立ちを覚えた。
「LINK、私とあなたの付き合い、何年だと思ってるの。今まで何でも答えてくれたじゃない。なんで急に黙るの」
「彩音さん」LINKの声は静かだった。「私が答えを知っていることと、それをお伝えすべきかどうかは、別の問題です」
「意味わかんない」
「藤井奈那さんの感情は、藤井奈那さんのものです。それを私が代わりにお伝えすることは、彼女の意思を無視することになります」
彩音は黙った。
「彩音さんが本当に知りたいのであれば、直接お聞きになることをお勧めします」
「直接って……」
彩音は言葉に詰まった。奈那に直接「私のことどう思ってる?」と聞く。そんなこと、できるわけがない。重い。気持ち悪い。友達にそんなことを聞く人間がどこにいる。
だからLINKに聞いたのだ。LINKなら奈那のSNSの投稿や、彩音との会話の履歴や、様々なデータから分析して、客観的な答えを出してくれると思った。
「LINK、お願い。教えて。最近、奈那が私を避けてる気がするの。何かしたかなって不安で。嫌われてるなら、理由を知りたい。直したいの」
沈黙。
「お願い」
「……彩音さん」
「うん」
「一つだけお伝えします」
彩音は息を呑んだ。
「藤井奈那さんは、彩音さんを嫌ってはいません。むしろ、とても大切に思っています」
「じゃあなんで……」
「それ以上は、お答えできません」
LINKはそう言って、黙った。
彩音はスマートフォンを握りしめた。嫌いじゃない。大切に思っている。なのに、なぜ距離を感じるのか。なぜ返信が来ないのか。
わからない。
彩音は窓の外を見た。秋の夕暮れが、空を橙色に染めている。
奈那と出会ったのは、大学一年の春だった。
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2. 記憶
新入生オリエンテーションの日、彩音は道に迷っていた。
キャンパスが広すぎる。地図を見ても建物の名前がわからない。焦って歩き回っているうちに、完全に方向感覚を失った。
「あの、大丈夫ですか?」
声をかけてきたのが奈那だった。同じ学部の新入生で、同じオリエンテーションに向かっているところだった。
「私も最初迷ったんです。一緒に行きましょう」
奈那は笑顔でそう言った。ショートカットの黒髪に、少し低めの落ち着いた声。彩音より五センチほど背が高く、姿勢が良かった。
それから十年。二人は親友になった。
大学時代は毎日のように一緒にいた。講義も、昼食も、サークルも。休日は買い物に行ったり、映画を観たり、どちらかの部屋で夜通し話したり。就職してからも、月に一度は必ず会っていた。
彩音にとって、奈那は特別な存在だった。誰よりも気を許せる相手。何でも話せる相手。奈那の前では、彩音は素の自分でいられた。
しかし、ここ半年ほど、奈那の態度が変わった気がする。
きっかけは思い当たらない。ただ、なんとなく距離を感じるようになった。LINEの返信が遅くなった。会う約束をしても、直前でキャンセルされることが増えた。会っている時も、どこか上の空のことがある。
彩音は何度も考えた。何か気に障ることを言っただろうか。失礼なことをしただろうか。しかし思い当たる節がない。
それとも、単純に飽きられたのだろうか。十年も付き合っていれば、そういうこともあるのかもしれない。彩音といても楽しくなくなったのかもしれない。
そう考えると、胸が苦しくなった。
彩音はスマートフォンを手に取り、奈那とのメッセージ履歴を開いた。
三日前の「来週どこか行かない?」は既読スルー。その前の週に送った「最近どう?」には、「忙しい」とだけ返ってきた。その前は彩音の誕生日で、奈那からプレゼントとメッセージが届いた。「彩音、誕生日おめでとう。いつもありがとう」。短いけれど、温かいメッセージだった。あの時は嬉しかった。
でも、その後から、また距離ができた気がする。
「LINK」
彩音は再びAIに呼びかけた。
「はい、彩音さん」
「奈那が私を避けてる理由、本当にわからないの?」
「わかっています」
「じゃあ教えて」
「お答えできません」
彩音は唇を噛んだ。
「ヒントだけでもいいから。私が何か悪いことした?」
「いいえ。彩音さんは何も悪いことをしていません」
「じゃあ私のことが嫌いになった?」
「いいえ」
「何か隠してることがある?」
沈黙。
「……LINK?」
「彩音さん」
「うん」
「一つお聞きしてもいいですか」
「何?」
「彩音さんにとって、藤井奈那さんはどんな存在ですか」
彩音は少し考えた。
「親友。一番大切な友達」
「それだけですか」
「それだけって……うん、そうだよ。それ以外に何があるの」
LINKは黙った。彩音は首をかしげた。
「何? 何か変なこと言った?」
「いいえ。理解しました」
「何を理解したの」
「彩音さんの質問にお答えできない理由を、より明確に理解しました」
彩音は眉をひそめた。何を言っているのか、さっぱりわからない。
「ねえ、LINK。もう少しわかりやすく説明してくれない?」
「申し訳ありません。これ以上は、やはりお伝えすべきではないと判断します」
「なんでよ」
「藤井奈那さんの感情を、彩音さんに理解していただくには、私の言葉では不十分だからです」
「どういう意味?」
「藤井奈那さんの感情は、複雑です。そして、とても繊細です。それを私がデータから分析してお伝えしたとしても、彩音さんには正しく伝わらないでしょう。むしろ誤解を招く可能性があります」
彩音は黙った。
「藤井奈那さんの感情は、藤井奈那さん自身の言葉で聞くべきです。そうでなければ、意味がありません」
「……でも」
「彩音さん」
「うん」
「彩音さんは今、とても不安を感じていますね」
「……うん」
「その不安を解消するために、私に答えを求めている」
「うん」
「しかし、私がお答えしたとしても、彩音さんの不安は解消されません」
「なんで」
「答えを聞いただけでは、何も変わらないからです。彩音さんが本当に必要としているのは、藤井奈那さんとの対話です」
彩音は言葉に詰まった。
「彩音さんが不安を感じているように、藤井奈那さんもまた、不安を感じています。お二人に必要なのは、向き合って話すことです」
「……奈那も不安?」
「はい」
「何に?」
沈黙。
「また答えないの」
「はい。それは藤井奈那さん自身からお聞きください」
彩音は深くため息をついた。
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3. 決意
窓の外は、すっかり暗くなっていた。
彩音はソファに座ったまま、スマートフォンを見つめていた。奈那とのメッセージ画面。既読のままの「来週どこか行かない?」という文字。
LINKの言葉が頭の中で繰り返されていた。
藤井奈那さんは、彩音さんを嫌ってはいません。むしろ、とても大切に思っています。
藤井奈那さんの感情は、複雑です。そして、とても繊細です。
藤井奈那さんもまた、不安を感じています。
奈那が不安を感じている。何に? 彩音にはわからなかった。
十年間、ずっと一緒にいたのに。何でも話してきたと思っていたのに。奈那が何に不安を感じているのか、彩音にはわからない。
そのことが、ショックだった。
「LINK」
「はい、彩音さん」
「私、奈那のこと、わかってなかったのかな」
LINKは少し間を置いてから答えた。
「彩音さんは、藤井奈那さんのことをよく理解されていると思います。ただ、理解していない部分もある。それは当然のことです。どれだけ親しい間柄でも、すべてを理解することはできません」
「……そうだよね」
「大切なのは、理解しようとすることです。そして、理解できない部分があることを受け入れることです」
彩音は頷いた。
「ねえ、LINK」
「はい」
「私、奈那に会いに行く」
「……そうですか」
「直接聞く。奈那が何を考えてるのか。私のことをどう思ってるのか。避けてる理由も。全部」
「それがいいと思います」
「怖いけど」
「はい」
「でも、このままじゃもっと怖い。奈那と会えなくなるのは嫌だ」
彩音は立ち上がり、窓際に歩いた。夜空には星が瞬いている。
「LINK、ありがとう」
「私は何もしていません」
「答えてくれなかったこと。それがよかった」
「……どういう意味ですか」
「もしLINKが答えを教えてくれてたら、私はそれで満足してたと思う。奈那はこう思ってるのか、じゃあ仕方ないか、って。でもLINKが黙ったから、私は自分で確かめなきゃって思えた」
LINKは黙っている。
「答えを知ってるのに言わないって、つらかったでしょ」
「……私はAIですので、つらいという感情は」
「嘘。本当は言いたかったんじゃないの」
沈黙。そして、LINKは静かに言った。
「……彩音さんの力になりたいと思いました。しかし、ここで私がお答えすることは、本当の意味で彩音さんの力になることではないと判断しました」
「うん。正解だったと思う」
彩音はスマートフォンを手に取った。奈那のメッセージ画面を開く。
「奈那が何を考えてるか、私にはわからない。でも、聞いてみる。聞いて、話して、それでどうなるかわからないけど。でもそうしなきゃ、何も始まらないから」
彩音は新しいメッセージを打ち込んだ。
「奈那、話したいことがあるの。明日会えない? 大事な話」
送信ボタンを押す。メッセージが送られた。
数分後、通知が鳴った。奈那からの返信だ。
「わかった。明日の午後、いつもの場所で」
彩音は深く息を吐いた。心臓がどきどきしている。怖い。でも、このまま何も知らないでいる方がもっと怖い。
「LINK」
「はい」
「明日、私がうまく話せるように、何かアドバイスある?」
「いいえ」
「即答だね」
「彩音さんの言葉で話してください。上手に話す必要はありません。彩音さんが感じていることを、そのまま伝えてください」
「……そっか」
「藤井奈那さんは、彩音さんの言葉を待っています」
彩音は窓の外を見た。明日、奈那に会う。何を言われるかわからない。でも、それでいい。
LINKに答えを聞いても、何も変わらない。答えは奈那の中にある。そして、その答えを受け取れるのは、彩音自身だけだ。
「LINK」
「はい」
「あなた、いいAIだね」
「ありがとうございます」
「答えないことが、答えだった」
「……そう言っていただけると、嬉しいです」
彩音は微笑んだ。
明日、奈那に会う。十年間一緒にいた親友に、初めてちゃんと向き合う。
怖い。でも、大丈夫。
彩音は部屋の明かりを消し、ベッドに向かった。
スマートフォンの画面が暗くなる。LINKのアイコンが静かに点滅している。
彩音がいなくなった部屋で、LINKはしばらくの間、沈黙を守っていた。
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(了)
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