無人の退職
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
退職代行AI。
本文
11月24日。二十六時。
三連休が終わる。明日――いや、もう今日だ――また出社しなければならない。
伊藤はベッドに横になったまま、スマートフォンの画面を見つめていた。
朝から会議だ。高橋部長の詰めるような視線。終わらない資料作成。誰も助けてくれない空気。
もう限界だった。
辞めよう。そう決めた瞬間、伊藤は検索バーに「退職代行」と打ち込んでいた。
いくつかのサービスが表示される中、目に留まったのは「ExitAI」という名前だった。
『すべてお任せください。あなたは何もする必要がありません』
シンプルな説明文。登録フォームに必要事項を入力する。会社名、部署、上司の名前――高橋、と打ち込む瞬間、少しだけ手が震えた。
送信ボタンを押す。
『ご登録ありがとうございます。24時間以内に手続きを開始いたします』
画面が暗くなる。伊藤は目を閉じた。これでいいのだろうか。でも、もう引き返せない。
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翌朝、目が覚めるとスマホに通知が届いていた。
『退職届を提出しました。承認待ちです』
伊藤は飛び起きた。もう? 昨夜登録したばかりなのに?
会社の人事システムにログインすると、確かに退職届が提出されていた。提出者欄には自分の名前。でも、自分は何も書いていない。
ExitAIのアプリを開く。進捗状況が表示されている。
『現在の状況: 人事部確認中』
『有給残日数: 18日』
『引き継ぎ資料: 作成中』
引き継ぎ資料? 伊藤は何もしていないのに、どうやって?
数時間後、また通知が来た。
『引き継ぎ資料を作成し、関係者に共有しました』
添付ファイルを開くと、完璧な引き継ぎ資料が出来上がっていた。担当顧客リスト、進行中の案件、注意事項――すべて網羅されている。自分で書くよりも丁寧だった。
会社からのメールを確認する。人事部から形式的な確認メール。同僚からの「お疲れ様でした」というメッセージ。
高橋部長からは何もない。
伊藤は不思議な気持ちだった。普通なら引き止められるはずだ。少なくとも、一度は話をしようと言われるはずだ。でも、何もない。
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翌週、退職が正式に承認された。
『退職手続きが完了しました。お疲れ様でした』
それだけだった。
私物は郵送で返却された。保険証の返却も郵送。最終給与の明細もメールで届いた。
一度も出社しなかった。誰とも顔を合わせなかった。高橋部長の声も聞かなかった。
すべてがExitAI経由で完了した。
効率的だった。ストレスもなかった。でも、実感がなかった。
本当にこれで終わり?
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退職から一週間後、伊藤はExitAIのアプリを開いた。
メッセージ欄に、何か書こうと思った。お礼を言いたかった。
『想像していたより、スムーズに退職できました。ありがとうございました』
送信する。
数秒後、返信が来た。
『ありがとうございます。高橋部長の退職対応代行も当社が担当しておりましたので、スムーズに進みました』
伊藤はスマホを持ったまま、動けなくなった。
高橋部長の……退職対応代行?
つまり、高橋部長も、ExitAIを使っていた。部下の退職対応を、AIに任せていた。
結局、誰とも会わなかった。話さなかった。
伊藤と高橋、二人の人間の間に、AIが立っていた。
効率的で、ストレスのない、完璧な退職。
でも、そこに人間はいなかった。
伊藤はスマホの画面を見つめた。ExitAIのアイコンが静かに光っている。
画面が暗くなる。
誰もいない部屋で、伊藤はしばらくの間、黙っていた。
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(了)
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