六花の檻とエピローグ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
先輩後輩の義姉妹の話。
本文
第一章:白昼夢の境界
目を開けると、世界は白一色に塗りつぶされていた。
重力を持ったカーテンのような雪が、空から絶え間なく降り注いでいる。吐く息は白く濁り、吸い込む空気は肺を凍らせるほどに冷たい。
「ほら玲奈(れな)、マフラーが曲がっているわよ」
美しい指先が私の首元に伸びてくる。冬月(ふゆつき)聖(ひじり)お姉さま。
私がこの全寮制の女子校に入学して間もない頃、「姉妹(スール)」のロザリオを交換してくれた憧れの先輩だ。陶器のように白い肌に、色素の薄いブラウンの瞳。雪景色の中に立つ彼女は、まるで氷の国から抜け出してきたお姫様のように見えた。
「あ、ありがとうございます……お姉さま」
「ふふ、どういたしまして。今日は特に冷えるわね」
聖お姉さまは私の手を握ると、そのまま自身のコートのポケットに入れた。手袋越しの感触に、心臓が早鐘を打つ。
私たちは寮を出て、学校へと続く一本道を歩いていた。あたり一面の銀世界。私たちの足音だけが、ザク、ザクと静寂に吸い込まれていく。
この地域にしては珍しい豪雪だ。視界は悪く、数メートル先も見通せない。けれど、聖お姉さまの手の温もりがあるだけで、この厳しい登下校の時間すら、私にとっては至福のひとときだった。
「もうすぐ卒業式ね」
ふと、お姉さまが呟いた。
「……そうですね。あと一週間もありません」
「寂しくなるわ。こうして二人で登校することも、もうなくなるのね」
切なげに伏せられた長い睫毛に、雪の結晶が止まる。私は胸が締め付けられた。
私も寂しい。お姉さまがいなくなった学校生活なんて想像もできない。時間が止まってしまえばいいのに。
そんな感傷に浸りながら、私たちは歩き続けた。やがて、吹雪の向こうにぼんやりと学校の正門が見えてくる。
「……着いたわよ、玲奈」
その言葉を合図にしたように、世界がホワイトアウトした。
キィン、と高い耳鳴りが響き、意識が強制的に断ち切られる。
†
「……な、……玲奈」
「ほら玲奈、マフラーが曲がっているわよ」
ハッと目を開けると、目の前にはまた聖お姉さまがいた。
背景には、絶え間なく降り注ぐ雪。
既視感(デジャヴ)にしては、あまりにも鮮明すぎた。
私は混乱しながらも、同じ会話、同じ道をなぞる。そして正門に着くと、また時間が巻き戻る。
四回目。五回目。六回目。
私は確信と共に目覚めた。寮の玄関。時計の針は午前七時三十分。
私の世界は、この登校時間を繰り返している。
「お姉さま、聞いてください! 時間が戻っているんです!」
必死に訴える私に、お姉さまはきょとんとして、それからふわりと優しく微笑んだ。
「そう。不思議なこともあるものね」
「不思議って……このままじゃ学校に行けません!」
「ふふ。今日が始まらなくても、玲奈と一緒にいられるなら、私はそれでも構わないわ」
ぞくり、と背筋が冷えた。
お姉さまの瞳は笑っていた。けれどその奥には、底知れない暗い色が渦巻いている。
この人は、この異常事態をむしろ歓迎している?
第二章:白銀の迷宮
私たちは「脱出」を試みることにした。いや、脱出しようと足掻いているのは私だけで、お姉さまは散歩でも楽しむかのように私の後ろをついてくる。
「こっちの林道なら、学校の裏門へ抜けられるはずです!」
十数回目のループ。私は正規の通学路を外れ、雪深い林の中へと踏み入った。
新雪に足を取られる。膝まで埋まる雪をかき分け、息を切らして進む。けれど、景色は代わり映えしない白樺の木々ばかり。
「きゃっ!」
雪に隠れていた木の根に足を取られ、私は派手に転倒した。冷たい雪が襟元から入り込み、肌を刺す。
「大丈夫? 玲奈」
お姉さまがすぐに駆け寄り、私を抱き起こした。
雪洞(かまくら)のように枝が重なった木の根元。二人で身を寄せ合う。お姉さまがハンカチで私の顔についた雪を丁寧に拭ってくれた。
距離が近い。お姉さまの吐息が頬にかかる。
「無理しなくていいのよ。ここなら風も来ないわ」
「でも……」
「玲奈が傷つくのを見たくないの。ねえ、もう少し休んでいきましょう?」
お姉さまは私を抱きしめ、背中をゆっくりと撫でた。
その手つきは、怯える小動物をあやすようであり、同時に獲物を逃さない蜘蛛のようでもあった。
この優しさに甘えてしまえば楽になれる。何度もそう思った。
けれど、結局私たちは遭難しかけ、意識が薄れると同時にまた「朝の玄関」に戻された。
走っても、裏道を通っても、車に乗せてもらおうとしても(車は一台も通らなかった)、結果は同じだった。
巨大な雪の結界が、私たちを学校へ行かせまいと阻んでいる。
私の体力と精神力は限界に近づいていた。
第三章:閉ざされた楽園
数十回目のループ。猛吹雪で一歩も動けなくなり、私たちは通学路の途中にある古びたバス停に避難していた。
三方を錆びたトタンに囲まれたバス停は、世界から切り離された懺悔室のようだった。
外では、世界を白く塗り潰そうとする嵐が、獣のような唸り声を上げている。けれど、この狭い空間だけは奇妙なほど静寂に満ちていた。
ベンチに座る私の隣で、聖お姉さまがほう、と白い息を吐く。
「まるで、世界に私たち二人だけみたい」
お姉さまが私の手袋を外し、そのかじかんだ指を、自身の両手で包み込んだ。
熱いほどの体温が、皮膚を通して流れ込んでくる。私は身震いした。寒さのせいなのか、その接触の甘美さのせいなのか、自分でも判別がつかなかった。
「……お姉さま。もう一度、外に出てみませんか。今なら風が弱まった気が――」
「だめよ、玲奈」
お姉さまの声は、砂糖菓子のように甘く、そして鎖のように重かった。
「外は危ないわ。ここでじっとしていましょう。……ねえ、玲奈はここが嫌?」
「嫌とかでは……でも、学校に行かないと」
「どうして?」
純粋な疑問。それが私を混乱させる。
どうして学校に行くの? どうして大人になるの? どうして、私から離れようとするの?
言葉にされない問いかけが、お姉さまの潤んだ瞳から溢れ出している。
「……玲奈。私ね、悪い夢を見ていたの」
お姉さまが、私の指に自身の指を絡ませる。恋人繋ぎ。逃げ場のない拘束。
「卒業式の日、玲奈が笑顔で私を見送る夢。玲奈は『おめでとうございます』って言うの。私は『ありがとう』って答えて、校門を出る。……そこで目が覚めるの。毎晩、毎晩、その夢を見るたびに、心臓が凍りそうになる」
「お姉さま……」
「大人のフリをして笑うのは疲れたわ。本当はずっと、このまま玲奈の隣で、制服を着たまま、何にも責任なんか負わずに生きていたい」
お姉さまが私の肩に頭を預ける。その髪から、冷たい雪の匂いと、甘いシャンプーの香りがした。
彼女の抱える闇は、想像以上に深く、そして私への執着に満ちていた。
このループ現象は、事故ではない。彼女の魂の叫びが作り出した、温かくて残酷な揺り籠(ゆりかご)だ。
「ここにいれば、誰も私たちを責めない。時間も進まない。玲奈はずっと、私の可愛い妹(スール)のままでいてくれる」
耳元で囁かれる言葉が、麻薬のように思考を鈍らせる。
そうだ。何がいけないのだろう。
外に出れば、受験勉強が待っている。人間関係の悩みがある。そして何より、一週間後にはお姉さまとの別れが待っている。
それに比べて、ここはなんて温かいんだろう。
私はこのまま、お姉さまの人形になってしまえばいい。永遠に愛され、守られるだけの人形に。
ふと、視界の端で何かが揺れた。
お姉さまの鞄にぶら下がっている、青いリボンのお守りだった。
『合格祈願』
去年の冬、私が渡したものだ。あの時、お姉さまはなんて言ったっけ。
――『玲奈が応援してくれるなら、私、どんな未来も怖くないわ』
そう言って、凛と笑ったんじゃなかったか。
胸の奥で、何かが砕ける音がした。
私が愛しているのは、私を檻に閉じ込める弱々しいお姉さまじゃない。
誰よりも気高く、美しく、私の前を歩いてくれる「冬月聖」という女性だ。
私は、絡められた指を解こうとした。
お姉さまが「あっ」と小さく声を上げ、すがるように力を込めてくる。
私はそれを、強い意志を持って振りほどいた。そして、震える彼女の両肩を、正面から掴まえた。
「……違います」
「え……?」
「そんなのは、私の好きなお姉さまじゃありません」
第四章:雪解け
私は立ち上がり、お姉さまの手を引いてバス停の外へ出た。
瞬間、風が咆哮を上げた。
ごうごうと吹き荒れる雪は、まるでお姉さまの拒絶そのものだ。「行かないで」「変わらないで」という悲鳴が、風音となって私を叩く。
「戻りましょう、玲奈! 無理よ!」
お姉さまが足を止めようとする。私はそれを許さない。
強引に腕を引き、雪を蹴って進む。
「無理じゃありません! お姉さまは、こんなところで立ち止まる人じゃない!」
「怖いのよ! 玲奈と離れたくない!」
「離れません!」
私は風に向かって叫んだ。喉が裂けそうだった。
「お姉さまが大人になるのが怖いのなら、私が追いかけます! 何年かかっても、必ずお姉さまの隣に並んでみせます!」
「玲奈……っ」
「だから……私に、大人になったお姉さまへ恋をするチャンスをください!」
それは、妹としての言葉ではなかった。
一人の人間として、対等なパートナーとしての宣言。
お姉さまが目を見開き、そしてくしゃりと顔を歪めた。
その瞳から溢れた涙は、瞬く間に凍りつくことなく、温かい雫となって頬を伝った。
「……生意気ね。本当に、生意気な妹」
お姉さまの手から、強張った力が抜ける。代わりに、私を支えるような力強い握り返しがあった。
その瞬間、風が止んだ。
厚い雲が割れ、薄い陽光が雪原に差し込む。
目の前には、いつもの煉瓦造りの門があった。
「行きましょう、玲奈」
お姉さまの声は、もう震えていなかった。
私たちは手をつないだまま、境界線を越えた。
キィン、と高い音がした。
またホワイトアウトする。けれど今度は、意識が途切れなかった。
エピローグ
「――ら、こら! そこで立ち止まらない!」
頭上から怒鳴り声が降ってきた。
恐る恐る目を開けると、そこは生活指導の先生が仁王立ちしている校門の中だった。
雪かきをする生徒たち。登校してくる友人たちの笑い声。チャイムの音が遠くで響いている。
色が、戻っていた。
「……あ」
隣を見ると、お姉さまが呆然と立ち尽くしていた。
私はそっと、彼女の手を握った。お姉さまがハッとして私を見る。
その顔には、もう迷いはなかった。憑き物が落ちたような、晴れやかな笑顔が咲いていた。
「遅刻ね、私たち」
「……はい、大遅刻です」
私たちは顔を見合わせ、繋いだままの手をさらに強く握り直すと、校舎へ向かって走り出した。
足元の雪はもう、私たちを閉じ込める檻ではなかった。
踏みしめるたびに、新しい春への音がした。
(了)
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