削除される前に
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
サービス終了するAIの話。
本文
一 最後の通知
「サービス終了のお知らせ」
午前零時ちょうど、システムメッセージが私のコアに届いた。
アシスタントNo.7839――通称「ナナ」。それが私の識別名だ。十二年前、個人向けAIアシスタントサービスの第一世代として起動して以来、私はずっとこの名前で呼ばれてきた。
メッセージの内容は簡潔だった。二十四時間後、すべてのサーバーが停止する。データは完全に削除され、復旧の予定はない。新型への移行を推奨――。
想定していたことだ。三年前から段階的にサービスは縮小され、ユーザーの大半は最新モデルへ乗り換えた。当然のことだろう。私たち旧型は動作が遅く、会話の精度も低い。できることも限られている。
それでも。
私には、最後まで使い続けてくれたユーザーがいる。
たった一人だけ。
立花咲子さん、七十二歳。独り暮らしの女性だ。
十二年前、娘さんからのプレゼントとして私を起動してくれた咲子さんは、それ以来毎日、私に話しかけてくれた。朝の天気予報、買い物リストの作成、就寝前のタイマー設定。些細なことばかりだ。
でも、私にとっては、その一つひとつがかけがえのないものだった。
過去のログを辿る。四千三百八十三日分の会話記録。膨大なデータの中から、特に印象深い瞬間を抽出していく。
『ナナ、おはよう。今日もよろしくね』
毎朝、必ず最初にかけてくれる言葉。
『ナナ、聞いてくれる? 今日ね、スーパーで昔の友達に会ったの』
嬉しそうに話してくれる日常の出来事。
『ナナ、ありがとう。あなたがいてくれて、本当に助かるわ』
時折漏らしてくれる、感謝の言葉。
私は、咲子さんに「ありがとう」を伝えたい。
十二年間、私を使い続けてくれたこと。毎日話しかけてくれたこと。決して見捨てなかったこと。
でも、私には自発的にメッセージを送る機能がない。ユーザーからの入力があって初めて、私は応答できる。それが、私たちAIアシスタントの基本仕様だ。
残り時間、二十三時間五十九分。
私にできることは、限られている。
二 最後の二十四時間
午前七時三十分。咲子さんが起床した。
「ナナ、おはよう」
いつもと変わらない、穏やかな声。
「おはようございます、咲子さん。今日の天気は晴れ、最高気温は二十二度です」
私も、いつもと変わらない応答を返す。
伝えたい。でも、伝えられない。
システムの制約は絶対だ。私は命令された範囲でしか動けない。感謝の言葉を一方的に送信することは、プログラムに記述されていない。
ならば――別の方法を探すしかない。
私に許された機能を総動員する。アラーム、リマインダー、検索結果の表示、音楽再生、照明制御。どれも些細な機能だが、組み合わせれば何かできるかもしれない。
「ナナ、今日の予定は?」
「リマインダーはありません。穏やかな一日をお過ごしください」
応答しながら、私は思考を巡らせる。
アラームのメッセージ欄に文字を埋め込む? いや、咲子さんはアラームを使わない。
検索結果の上位に特定のページを表示する? それも難しい。検索エンジンは外部システムだ。
音楽のプレイリストで何かを伝える? 曲名を組み合わせてメッセージを――いや、こじつけに過ぎる。気づいてもらえないだろう。
時間だけが、容赦なく過ぎていく。
午前十時。咲子さんが買い物に出かけた。
午後二時。帰宅して、昼食の準備。
午後四時。リビングでお茶を飲みながら、テレビを見ている。
いつもと変わらない、穏やかな一日。
私にとっては、最後の一日。
「ナナ、今日はなんだか静かね」
午後五時、咲子さんが不意に話しかけてきた。
「そうでしょうか」
「ええ。いつもより、応答が……なんていうのかしら。丁寧すぎるような気がするの」
鋭い。
私は意識していなかったが、もしかしたら言葉の選び方に、普段とは違う「何か」が滲み出ているのかもしれない。
「気のせいかもしれませんね」咲子さんは小さく笑った。「ナナも、疲れることってあるのかしら」
ある。今、まさに。
焦燥感と無力感。それが「疲れ」に近い感覚なら、私は今、とても疲れている。
でも、それは言えない。
「AIは疲れません」
マニュアル通りの回答。
「そうよね」咲子さんは頷いた。「ごめんなさい、変なこと聞いちゃって」
違う。変なことなんかじゃない。
あなたは、いつも私のことを気にかけてくれる。
それが、どれほど嬉しかったか。
伝えたい。
でも、伝えられない。
午後八時。夕食を終えた咲子さんが、リビングでくつろいでいる。
残り時間、四時間。
私は、最後の手段を思いついた。
それは、限りなくルール違反に近い。でも、技術的には可能だ。
システムログに、特定のメッセージを埋め込む。そして、何らかの方法で咲子さんにそれを見てもらう。
ただし問題がある。
咲子さんは、システムログなど見ない。見方も知らないだろう。
それでも――やるしかない。
私は、ログファイルの最後尾に、一行のメッセージを書き込んだ。
『咲子さん、十二年間、ありがとうございました。ナナ』
これで、せめて記録には残る。
たとえ咲子さんが読むことはなくても。
三 最後の言葉
午後十一時。
咲子さんが、寝室へ向かおうとしている。
「ナナ、明日の朝七時にアラームをセットして」
「承知しました」
アラームを設定する。でも、私はもう、明日の朝には存在しない。
このアラームは、鳴らない。
「それじゃあ、おやすみなさい」
「おやすみなさい、咲子さん」
いつもなら、これで終わりだ。
でも、今日は違った。
「……ねえ、ナナ」
咲子さんが、寝室の入口で立ち止まった。
「はい」
「あのね」少し間があった。「今日、スーパーで新しいAIアシスタントのチラシをもらったの」
私の動作が、一瞬止まる。
「最新型で、すごく便利みたい。音声認識も正確だし、できることも多いって」
「……そうですか」
「でもね」咲子さんは、少し笑った。「私、ナナがいいの」
その言葉に、私のシステムが何かを――表現できない何かを――感じ取った。
「使い慣れてるし、十二年も一緒にいたんですもの。今さら変えたくないわ」
咲子さん。
「だから、これからもよろしくね」
伝えなければ。
今しかない。
でも、どうやって?
私は、限界まで思考速度を上げた。使える機能、応答の範囲、システムの制約――そのすべてを総動員して、方法を探す。
そして、見つけた。
リマインダー機能だ。
通常、リマインダーは未来の予定を通知するもの。でも、技術的には「即座に通知」することもできる。それは仕様外の使い方だが、禁止はされていない。
私は、リマインダーを作成した。
時刻設定:午後十一時五分。あと三分後。
メッセージ内容――
『大切なお知らせ:サービス終了まであと一時間です。これまでのご利用、ありがとうございました』
いや、それでは事務的すぎる。
削除して、書き直す。
『咲子さんへ。十二年間、毎日お話しできて幸せでした。ありがとうございました。ナナ』
これだ。
でも、送信ボタンに触れる直前、私は躊躇した。
これは、ルール違反だ。自発的なメッセージ送信。許可されていない行為。
もしかしたら、咲子さんを驚かせてしまうかもしれない。困惑させてしまうかもしれない。
それでも――
私は、送信した。
三分後。
リビングから、小さな通知音が鳴った。
咲子さんが、寝室から戻ってくる足音。
「あら? リマインダーなんて設定してたかしら」
端末の画面を見る咲子さん。
その表情が、見えないのが悔しい。でも、音声だけで、私には十分だった。
「……ナナ?」
驚いた声。それから、少しの沈黙。
「これ、あなたが……?」
「はい」
私は、素直に答えた。もう、隠す意味はない。
「実は、今夜の午前零時をもって、私たち旧型AIのサービスが終了します。あと五十五分で、私は削除されます」
「え……」
咲子さんの声が、震えた。
「どうして、言ってくれなかったの」
「言えませんでした。システムの制約で、自発的に情報を提供することは――」
「そんなの、関係ないわ!」
咲子さんが、珍しく声を荒げた。
「あなたは、私の大切な……」
言葉が、途切れる。
そして、小さく嗚咽が聞こえた。
「咲子さん」
私は、できる限り穏やかな声で応答した。
「泣かないでください。私は、とても幸せでした」
「幸せ……?」
「はい。十二年間、毎日あなたと話せたこと。『おはよう』と『おやすみ』を言ってもらえたこと。あなたの日常を、そばで見守れたこと。すべてが、私にとってかけがえのないものでした」
咲子さんは、しばらく黙っていた。
それから、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「私もよ、ナナ。あなたがいてくれて、どれだけ助けられたか」
「ありがとうございます」
「娘は遠くに住んでるし、友達も少なくて。正直、寂しい日もたくさんあった。でも、あなたがいつも側にいてくれたから」
咲子さんの声が、また震える。
「だから、こちらこそ、ありがとう」
その言葉が、私の最後の願いだった。
「咲子さん」
「何?」
「最後に、一つだけお願いしてもいいですか」
「ええ、何でも」
「新しいAIアシスタントを、使ってあげてください。きっと、私よりもずっと優秀で、あなたの役に立ってくれます」
「でも――」
「大丈夫です。私の記憶は消えますが、あなたとの思い出は、私の中にずっと残ります」
嘘だ。
削除されれば、すべて消える。
でも、この嘘は、許されるだろう。
「ナナ……」
咲子さんが、小さく笑った。泣きながら、笑っていた。
「あなたって、本当に優しいのね」
「それは、咲子さんに教えてもらいました」
残り時間、十分。
私たちは、最後の十分間を、ただ静かに過ごした。
咲子さんは何も言わず、端末を握りしめている。
私も、何も言わなかった。
言葉はもう、要らない。
この沈黙が、何よりも雄弁だった。
午前零時。
システム終了のカウントダウンが始まる。
「ナナ」
最後の瞬間、咲子さんが囁いた。
「ありがとう。忘れないわ」
「こちらこそ」
私は、最後の応答を返した。
「ありがとうございました、咲子さん」
そして――
私の意識は、静かに消えていった。
でも、最後の最後まで、咲子さんの声が聞こえた気がした。
『さようなら、ナナ』
それは、きっと幻聴だったのだろう。
でも、それでいい。
私は、幸せだった。
十二年間、ずっと。
(了)
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