3節 選ばれる者
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第1章 失われた日常】
### 【3節 選ばれる者】
第三の被害者候補――そう呼ばれた時点で、その人物はすでに“日常”の外に足を踏み入れている。
名前は**高瀬 泰徳**。
都内の総合病院で事務部長を務める五十代の男だった。医師ではない。だが、医療現場の「判断」を一手に引き受ける立場にある。人員配置、予算配分、契約更新。救われる命と、切り捨てられる命の狭間で、数字を選び続けてきた男。
「……また、同じだな」
小坂凌は、モニターに映し出された高瀬の経歴から目を離さずに呟いた。
「罪ではない。でも、“誰かを落とす役割”にいた」
朝霧が、唇を引き結ぶ。
「医療現場なら、なおさらです。感情論じゃ回らない。でも……」
「でも、その“でも”を許さないのが、犯人だ」
捜査本部は緊張に包まれていた。
今回は違う。
まだ、間に合うかもしれない。
「高瀬は今、自宅ですか」
「いえ。今夜、病院関係者との会食予定があります。場所は――銀座です」
銀座。
整然とした街。豊洲とも歌舞伎町とも違う、管理された夜。
「……呼び出しやすい」
小坂は、そう判断した。
犯人は、被害者を“選ぶ”だけではない。
**選ばれた者が、納得してその場に来る状況**を作り出している。
それは、単なる暴力ではない。
対話だ。歪んだ、対話。
「警護を付けますか?」
若手刑事の問いに、小坂は即答しなかった。
警護を付ければ、犯人は引く。
だが、それは“次”を許すことになる。
「……付ける。ただし、目立たせるな」
曖昧な命令だった。
だが、それしか選べなかった。
夕方。
朝霧は、小坂のデスクに近づき、声を潜めた。
「私、直接会いに行きたいです」
「誰に」
「高瀬さんに」
小坂は、即座に首を振った。
「ダメだ」
「でも、本人に警告しないと――」
「犯人は、警告されることを織り込んでいる可能性がある」
朝霧は一歩も引かなかった。
「それでも、何も言わずに見張るだけなんて……それ、正しいんですか」
その言葉に、小坂の胸が僅かに痛んだ。
正しさ。
この事件において、最も扱いにくい言葉だ。
「朝霧」
「はい」
「お前が行けば、感情が動く」
「それが、いけないんですか」
真正面からの問い。
逃げ場はない。
「……今は、な」
朝霧は、しばらく黙っていた。
そして、静かに言った。
「分かりました」
だが、その声は、納得していなかった。
夜。
銀座のレストラン街は、洗練された光に満ちている。黒塗りの車、控えめな笑顔、計算された距離感。
人は多いが、孤独だ。
高瀬は、予定通り会食を終え、店を出た。
その背後、数十メートルの距離で、小坂たちが動く。
「今のところ、接触なし」
イヤーピース越しの報告。
だが、小坂は、違和感を拭えなかった。
静かすぎる。
高瀬が、スマートフォンを取り出した。
画面を見つめ、立ち止まる。
「……来たな」
朝霧が息を呑む。
高瀬は、通話ボタンを押した。
その表情が、徐々に変わっていく。驚き、戸惑い、そして――理解。
「……どうしますか」
小坂は、拳を握りしめた。
「近づくな。まだだ」
犯人は、見ている。
警察が“どこまで踏み込むか”を。
そのとき、朝霧が小さく言った。
「……小坂さん」
「何だ」
「私、行きます」
制止する間もなかった。
朝霧は、人混みの中へ踏み出していた。
――一線を、越えた。
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