3節 選ばれる者(続)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第1章 失われた日常】
### 【3節 選ばれる者(続)】
朝霧が人混みに紛れた瞬間、小坂凌は舌打ちをした。
「朝霧、戻れ」
イヤーピースに低く鋭い声を落とす。
だが、返答はない。
銀座の夜は、音が多すぎる。ヒールの音、タクシーのクラクション、笑い声。すべてが雑音となって、通信をかき消していく。
「くそ……」
小坂は即座に動いた。
朝霧の進行方向、高瀬の位置、周囲の人流。頭の中で地図を組み立てる。
――犯人は、これを待っていた。
高瀬は歩きながら、通話を続けている。相手の声は聞こえないが、受話器越しの沈黙に耳を澄ませているような表情だった。
「……はい。分かりました」
その言葉が、やけに穏やかだったのが、小坂の胸をざわつかせた。
納得している。
いや、**受け入れている**。
「高瀬さん!」
朝霧が、ついに声をかけた。
高瀬は振り返り、驚いたように目を見開く。
「あなたは……?」
「警察です。少し、お話を――」
その瞬間、通話が切れた。
高瀬のスマートフォンの画面が暗転する。
小坂は、人混みをかき分けながら二人に近づいた。
「朝霧、離れろ!」
だが、朝霧は高瀬の前に立ち、真っ直ぐに向き合っている。
「今、危険な状況です。あなたは――」
「分かっています」
高瀬は、遮るように言った。
声は震えていない。
「……私は、選ばれたんでしょう」
その言葉に、朝霧が息を呑む。
「誰に、何を言われたんですか」
「“説明”を受けました」
高瀬は、どこか安堵したように微笑んだ。
「私が、どれだけの人を切り捨ててきたか。数字の裏に、どんな顔があったか」
小坂が、二人の間に割って入る。
「それを理由に、命を奪われる筋合いはない」
高瀬は、小坂を見た。
その目には、恐怖よりも疲労があった。
「刑事さん。あなたは……自分の判断で、誰かを壊したことはありませんか」
小坂は、答えなかった。
答えられなかった。
沈黙を破ったのは、朝霧だった。
「それでも、生きてください」
声が、わずかに震える。
「あなたがしたことを、全部否定はしません。でも……死んで償うなんて、誰も救われません」
高瀬は、しばらく彼女を見つめていた。
そして、ゆっくりと首を振る。
「……あなたは、まだ“こちら側”にいない」
その言葉の意味を問う前に――
高瀬が、一歩後ずさった。
「高瀬さん!」
背後は、路地へと続く細い通路。
ネオンの光が届かない、影の溜まり場。
小坂は、直感的に叫んだ。
「行くな!」
遅かった。
路地の奥、黒い影が動いた。
人の形をしているが、存在感が希薄だ。
高瀬が、影に向かって歩き出す。
まるで、呼ばれるように。
朝霧が、腕を掴んだ。
「ダメです!」
一瞬、力が拮抗する。
その隙を突くように、影が近づいた。
――刃物の鈍い光。
小坂は、全速力で駆けた。
「伏せろ!」
叫びと同時に、影が振り下ろす。
だが、刃は空を切った。
高瀬が、朝霧の力で体勢を崩したからだ。
次の瞬間、複数の足音。
待機していた刑事たちが、路地になだれ込む。
「警察だ! 動くな!」
影は、一瞬だけこちらを振り返った。
フードの奥、目だけが光る。
そして――
煙のように、逃げた。
残されたのは、膝をついた高瀬と、肩で息をする朝霧。
小坂は、二人に駆け寄った。
「怪我は」
「……ありません」
朝霧が答える。
だが、その手は震えていた。
高瀬は、静かに言った。
「……彼は、正しかったのかもしれない」
小坂は、その言葉を、強く否定した。
「違う」
短く、だが断定的に。
「正しさは、人を殺す免罪符じゃない」
その夜、**第三の殺人は未遂に終わった**。
だが同時に、確かな事実が残った。
犯人は、実在する。
近くにいる。
そして――**対話する意志を持っている**。
朝霧は、その中心に、足を踏み入れてしまった。
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