3節 選ばれる者(終)
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
ある刑事の叙事詩 《夜の王国 ~選択と調整の病理~》
本文
## 【第1章 失われた日常】
### 【3節 選ばれる者(終)】
未遂事件の一報は、瞬く間に捜査本部を駆け巡った。
第三の殺人は防がれた。
だが、それは“勝利”ではなかった。
会議室の空気は重く、誰もが言葉を選びあぐねている。現場の判断、警護体制、命令系統――すべてが検証対象になった。
「独断専行だな」
上司の声は、感情を削ぎ落としたものだった。
「規則違反は明白だ。朝霧、君は持ち場を離れ、対象者に直接接触した」
「……はい」
朝霧は立ったまま、視線を落とさずに答えた。
恐怖はある。だが、後悔はない。
「結果的に、殺人は防がれました」
別の幹部が言う。
「それは“結果論”だ」
即座に切り捨てられる。
「一歩間違えれば、君自身が人質になっていた。刑事が事件を拡大させてどうする」
朝霧の唇が、わずかに震えた。
反論したい言葉は、いくつもあった。だが、それを口にすれば、自分の正義を振りかざすだけになる。
そのとき、小坂凌が口を開いた。
「責任は、俺にあります」
会議室の視線が、一斉に集まる。
「彼女を制止できなかった。現場判断も含めて、俺の監督不行き届きです」
「小坂……」
「ただし」
小坂は、一歩も引かなかった。
「朝霧の行動がなければ、高瀬は死んでいた。犯人は、我々の“待ち”を読んでいた。今回の未遂は、犯人の想定外です」
沈黙。
それは、否定できない事実だった。
上司は、短く息を吐いた。
「……処分は保留だ。だが、次はない」
「承知しています」
会議は、それで終わった。
廊下に出た途端、朝霧は深く息を吐いた。
全身の力が、抜けていく。
「……すみませんでした」
「何に対してだ」
「全部です」
小坂は、しばらく黙ってから言った。
「怖かったか」
「はい」
即答だった。
「でも……それ以上に、見過ごすのが怖かった」
小坂は、その言葉を否定しなかった。
否定できなかった。
「朝霧」
「はい」
「次に同じことをしたら、止める」
「……分かってます」
「力ずくでだ」
朝霧は、少しだけ笑った。
「それでも、行くと思います」
小坂は、わずかに目を細めた。
その夜。
小坂は一人、未遂現場近くの路地に立っていた。昼間の喧騒は消え、ネオンも落とされ、街は別の顔を見せている。
犯人は、ここにいた。
ほんの数秒、目が合った。
あの視線を、小坂は忘れられない。
憎しみでも、狂気でもない。
――確認する目。
自分が、何者かを。
小坂はポケットから、紙片を取り出した。未遂現場で見つかった、もう一枚の紙だ。
『次は、選ばせない』
短い一文。
だが、意味は重い。
犯人は、理解されたと感じている。
そして次は、“納得”を必要としない段階へ進む。
暴力は、より純粋になる。
小坂は夜空を見上げた。
東京の空は、相変わらず光に濁っている。星は、ほとんど見えない。
それでも、この街で、人は生きている。
誰かの判断に傷つきながら。
誰かの正義に救われながら。
小坂凌は、静かに誓った。
――この事件の“答え”は、殺しでは終わらせない。
朝霧の正義も、
犯人の歪んだ使命感も、
すべてを引き受けた上で。
必ず、止める。
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