鶴じゃない
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
再開発で社を失った路端の稲荷神は、生き延びるために人に化け、心霊探偵になった。 ――祈りも、欲望も、呪いも、まとめて引き受けるために。 これは人に化けた稲荷神と、神を信じない霊能者が怪異と人間の業の後始末をする、現代日本怪異譚。
本文
最初は、気のせいだと思った。
朝の光の中で見ると、色が増えただけに見えたからだ。
マンションの裏手。
雑居ビルの影になる一角。
石の台座に載った小さな祠のまわりに、昨日まではなかったはずの色が落ちている。
白。
赤。
青。
黄色。
紙の色だ。
時塔 創は足を止めた。
祠の前に、折鶴があった。
一羽ではない。
二羽でもない。
数えようとして、やめる。
その必要がないくらい、明らかに多い。
「……なんだ、これ」
声に出すと、妙に乾いた。
祠は変わらない。
朱塗りの外宮は傷一つなく、狛狐も同じ位置でこちらを見ている。
ただ、その足元を囲むように、色とりどりの折鶴が置かれていた。
供え物ではない。
酒でも、いなり寿司でもない。
紙だ。
近づくと、いくつかは文字が透けて見える。
〈第一志望〉
〈絶対〉
〈今度こそ〉
願い事だ。
創は、ゆっくりと息を吐いた。
嫌な予感ではない。
だが、いい予感でもなかった。
誰かが始めた。
それだけは分かる。
だが――誰だ。
ただのマンションの敷地内にある、小さな祠。
それだけの場所だ。
なのに。
「……勝手に作るなよ」
小さく呟く。
誰に向けた言葉か、自分でも分からない。
折鶴は、きれいに折られている。
雑ではない。
子供の手ではなさそうなものも多い。
丁寧だ。
真剣だ。
だからこそ、厄介だった。
創は、祠の前にしゃがみ込む。
折鶴を一羽、指でつまみ上げた。
軽い。
あまりにも軽い。
紙一枚分の重さしかない。
なのに、置かれた数だけは、妙に圧を持っていた。
――押してくる。
創は眉をひそめる。
祈りではない。
信仰でもない。
これは。
「……置き逃げだな」
折鶴を戻す。
その瞬間、背後で、紙が擦れる音がした。
風ではない。
朝のこの時間、ここまで風は通らない。
振り返る。
誰もいない。
だが、折鶴がそっと一羽。
創は、何も言わなかった。
怒りもしない。
壊しもしない。
祟りもしない。
ただ、静かに立ち上がる。
「……鶴じゃねえ」
誰にともなく、言った。
「酒と、いなり寿司だ」
返事はない。
だが、祠の前で、折鶴が一つ、くしゃりと音を立てた。
その日を境に。
祠の前から、色が消えることはなくなった。
増え続ける。
静かに。
確実に。
まるで、誰かが言ったみたいに。
――こうすると、叶うらしい。
そんな噂が、どこかでもう完成しているかのように。
創が事務所に戻ると、朔夜がパソコンの前で首を傾げていた。
「……創さん」
「ん?」
「例の祠、折鶴の件ですけど」
画面を指さす。
ローカル掲示板。
匿名アカウントがいくつも並んでいる。
〈あそこ、折鶴置くといいらしい〉
〈願い事書いて折るのがコツって聞いた〉
〈数は多い方がいいって〉
創は、画面を一瞥しただけで分かった。
「……完成してるな」
「え?」
「噂だ」
朔夜が眉をひそめる。
「誰かが始めたってことですか?」
「違う」
創は椅子に腰を下ろし、背もたれに体重を預けた。
「誰も始めてない」
朔夜が黙る。
続きを待つ癖は、もう身についていた。
「一番タチが悪いやつだ。善意の寄せ集めで、勝手に出来上がる」
創は、指先を軽く鳴らした。
「止める役がいない」
その日の夕方。
創はもう一度、祠を見に行った。
朝より、明らかに増えている。
折鶴は、整然と並べられていた。
誰かがまとめた形跡がある。
風で飛ばないように、石の隙間に挟まれているものもあった。
几帳面だ。
丁寧だ。
――祈っている、というより。
「……片付けてるな」
創の呟きに応える者はいない。
だが、足元で紙が擦れる音がした。
視線を落とす。
折鶴の影が、微妙に重なっている。
一羽一羽は軽い。
だが、集まると空気が動かない。
押し返されるような感覚。
創は一瞬、祠の中を覗いた。
扉の奥は暗い。
いつも通りだ。
変わっていない。
変わっているのは、外だ。
「……お前ら、困ってるだろ」
低く言う。
狛狐は何も答えない。
夜。
朔夜が祠に来た。
創の言葉通り、幽霊たちに聞き込みをしていく。
「ねえ、これ誰が始めたの?」
透けた人影が、困ったように首を振る。
「知らない」
「気づいたらあった」
「最初は一羽だったと思うけど……」
「真似しただけ」
若そうな幽霊が言った。
「だって、書いて折る方が分かりやすいじゃん」
朔夜が一瞬、言葉を失う。
「分かりやすい?」
「お願いした気になる」
それだけだ、と言わんばかりの調子だった。
朔夜は、祠を見た。
折鶴の山。
誰かの願い。
誰かの切実さ。
誰かの都合。
全部、紙にして置いていく。
「……置いていくだけ、か」
事務所に戻り、朔夜は創に言った。
「特に悪意はないですね」
「ああ」
創は否定しなかった。
「だから厄介だ」
数日後。
折鶴は、祠の半分を覆っていた。
誰かが数を競い始めたらしい。
一人で十羽、二十羽と置いていく者も現れた。
折鶴の間に、メモが差し込まれている。
〈全部書いた〉
〈これで足りる?〉
創は、それを見て目を細めた。
「……足りるわけ、ねえだろ」
その夜。
祠の前で、誰かが舌打ちした。
「邪魔だな、これ」
折鶴が、踏まれる。
紙が潰れる音が、やけに大きく響いた。
創は、遠くからそれを見ていた。
まだだ。
まだ、止めない。
だが。
「こうして、”扱っていいもの”になる」
そうなったら、もう戻らない。
折鶴は祈りだった。
だが今は、ただの紙切れになりかけている。
それが壊れる前触れだと、創は知っていた。
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