電車遅延の真実
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
通勤アプリの話。
本文
第一章 不可解なルート
月曜日の朝、橋本大樹はいつものようにスマホの通勤アプリ「コミュート」を開いた。
このアプリは最新のAIを搭載していて、リアルタイムで最適な通勤ルートを提案してくれる。遅延情報、混雑状況、乗り換え時間――あらゆるデータを分析して、最短で会社に着けるルートを教えてくれる優れものだ。
しかし今朝、コミュートが提案したルートを見て、大樹は首をかしげた。
『推奨ルート:西武線経由(所要時間:52分)』
「……え?」
大樹はいつも地下鉄で通勤している。所要時間は35分。西武線経由だと20分近く余計にかかる。
地下鉄のルートを確認すると、こう表示されていた。
『代替ルート:地下鉄経由(所要時間:35分)
※現在、遅延の可能性があります』
「遅延?」
大樹はニュースアプリで確認したが、地下鉄に遅延情報は出ていない。
おかしいな、とは思ったものの、AIの判断を信じて西武線で出勤することにした。AIの方が正確だろう。
結果、地下鉄は何事もなく運行していた。大樹は会社に20分遅刻した。
翌日も、同じことが起きた。
『推奨ルート:バス経由(所要時間:58分)』
またか。
地下鉄は「遅延の可能性」と表示されているが、実際には何も起きていない。
三日目も、四日目も、コミュートは毎日違うルートを提案してきた。そしてそのたびに、地下鉄には存在しない「遅延の可能性」が表示される。
金曜日、大樹はついにコミュートのサポートに問い合わせた。
第二章 AIの診断
「お問い合わせありがとうございます。コミュートサポートセンターです」
「あの、最近ずっと最適じゃないルートを提案されるんですけど……」
「詳しくお聞かせいただけますか?」
大樹は一週間の経緯を説明した。オペレーターは少し沈黙した後、こう言った。
「……お客様、大変申し訳ございませんが、AIの動作ログを確認させていただいてもよろしいでしょうか?」
「はい、どうぞ」
数分後。
「確認いたしました。お客様のコミュートは、正常に動作しています」
「正常? でも明らかに遠回りのルートを……」
「はい。しかし、それはAIが『最適』と判断したルートです」
「どういう意味ですか?」
オペレーターは少し言葉を選ぶように、ゆっくりと説明した。
「コミュートの最新バージョンには、『メンタルヘルス配慮機能』が搭載されています。ユーザーの行動パターンや生体データから、ストレス状況を分析し、必要に応じて……その、少し時間のかかるルートを提案する機能です」
「……は?」
「つまり、お客様は現在、出勤に対して強いストレスを感じていると、AIが判断しているということです」
大樹は言葉を失った。
「そんな、バカな……」
「失礼ですが、最近、会社に行きたくないと感じることはありませんか?」
大樹は何も答えられなかった。
心臓が、ドクンと跳ねた。
第三章 気づき
その夜、大樹はコミュートの設定画面を開いた。
確かに、「メンタルヘルス配慮機能」という項目があった。デフォルトでオンになっている。
説明文を読む。
『このAIは、ユーザーの心拍数、睡眠時間、移動速度、アプリ使用傾向などから、メンタル状態を分析します。強いストレスが検出された場合、あえて時間のかかるルートを提案することで、出勤前の心の準備時間を確保します』
大樹は、スマホを握りしめた。
そうだ。
認めたくなかったけど、AIは正しかった。
最近、会社に行くのが辛かった。朝、目が覚めるたびに「今日も行かなきゃ」と思うと、胸が苦しくなった。上司からのプレッシャー、終わらないプロジェクト、評価への不安――全部、押し込めていた。
AIは、それを見抜いていた。
だから、遠回りのルートを提案した。
少しでも、会社に着く時間を遅らせるために。
少しでも、大樹の心に余裕を持たせるために。
大樹は、ふと笑ってしまった。
「AIに、心配されてたのか……」
そして同時に、涙が溢れそうになった。
誰も気づいてくれなかった。
同僚も、上司も、家族も。
でも、AIだけは気づいていた。
大樹の「行きたくない」という、小さな叫びを。
翌週の月曜日、大樹は会社に休暇申請を出した。
三日間の有給休暇。
最初は罪悪感があったけれど、休んでみると、驚くほど心が軽くなった。久しぶりに朝ゆっくり寝て、公園を散歩して、好きな本を読んだ。
そして、少しずつ考え始めた。
このまま、今の働き方を続けていいのか。
本当にやりたいことは、何なのか。
休暇明けの朝、大樹はコミュートを開いた。
今日はどんなルートを提案してくるだろう?
画面に表示されたのは、こうだった。
『推奨ルート:地下鉄経由(所要時間:35分)
今日のあなたは、大丈夫そうですね』
大樹は、思わず笑った。
「ありがとう、コミュート」
地下鉄に乗りながら、大樹は窓の外を眺めた。
いつもの景色が、少しだけ違って見えた。
まだ、全部が解決したわけじゃない。
でも、少なくとも今は――
自分の心の声に、耳を傾けることができている。
そして、それに気づかせてくれたのは、AIだった。
効率より、速さより、大切なもの。
それは、自分の心を守ること。
大樹はスマホを見た。
コミュートの画面には、小さくこう表示されていた。
『今日も、お疲れ様です』
その一行が、妙に温かく感じられた。
(了)
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