評価値 0.00
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
人間の評価値の話。
本文
第一章 測定不能
朝の通勤電車の中で、僕のスマートフォンが静かに振動した。画面を見ると、月例の人間性評価結果が表示されている。
**HUMANITY SCORE: 0.00**
目を疑った。
周りの乗客たちは、それぞれのスマートフォンを見つめている。ある人は満足そうに微笑み、ある人は落胆の表情を浮かべている。彼らの頭上には拡張現実で表示された数値が浮かんでいた。75.3、82.1、91.5……誰もが何らかの数字を持っている。
ゼロなんて、聞いたことがない。
人間性評価システム――通称HES(ヒューマニティ・エバリュエーション・システム)――が導入されて五年。AIが個人の行動、発言、SNSの投稿、購買履歴、表情、声のトーン、あらゆるデータを総合的に分析し、「人間らしさ」を0から100のスコアで評価する。
このスコアが就職、昇進、結婚、あらゆる社会活動の基準となった。70以上なら「標準的」、80以上なら「優良」、90以上は「模範的人間」として賞賛される。逆に50を下回ると、カウンセリングが義務づけられる。
だがゼロは、ありえない。
システムエラーかもしれない。そう思いながら会社に着くと、人事部長が険しい顔で待っていた。
「君のスコアについて、緊急ミーティングを開く」
第二章 異常値の意味
会議室には、人事部長、システム管理責任者、そしてHES開発元の技術者が集まっていた。
「システムエラーではありません」技術者がタブレットを見せながら言った。「何度も再測定しましたが、結果は同じです。あなたの人間性スコアは、完全なゼロです」
「そんなはずは……」
「理論上、ゼロというのはありえない数値なんです」技術者は困惑した表情で続けた。「たとえサイコパスでも、反社会的人格でも、何らかの数値は出ます。人間である以上、感情や思考のパターンが存在するからです」
「では、僕は……人間じゃないと?」
「いえ、そうではなく……」技術者は言葉に詰まった。「AIが、あなたという存在を『測定できない』と判断したんです」
部屋に沈黙が流れた。
「具体的には?」人事部長が尋ねた。
「彼の行動パターン、思考、感情表現……すべてが、既存のデータベースのどのカテゴリーにも該当しないんです。AIは彼を『未定義』と分類しました。測定不能。だからゼロ」
僕は自分の人生を振り返った。特別なことはしていない。普通に生きてきた。友人もいるし、家族との関係も悪くない。仕事も真面目にこなしている。
「では、どうすればいいんですか?」
「再教育プログラムを……」人事部長が口を開きかけたとき、技術者が遮った。
「待ってください。もしかしたら、これは……」
技術者の目が輝いた。
「新しい人間性の誕生かもしれません」
第三章 測定できない価値
その後の調査で、驚くべき事実が明らかになった。
僕の行動や思考は、確かに「標準的」なパターンから外れていた。だがそれは、欠陥ではなかった。
例えば、僕は困っている人を助けるとき、見返りを期待しない。それどころか、助けたことすら忘れてしまう。AIのデータベースでは「善行は承認欲求を満たす行為」と定義されていたが、僕の場合はそのパターンに当てはまらなかった。
また、僕は喜びを感じるとき、SNSに投稿しない。美しい景色を見ても、美味しいものを食べても、ただその瞬間を味わう。AIには「共有されない感情は測定不能」だった。
さらに、僕は失敗を恐れない。正確には、失敗を「データ」として捉え、次に活かす。AIのデータベースでは「失敗は忌避すべき負の体験」とされていたが、僕にとって失敗は単なる経過点だった。
「要するに」技術者は興奮気味に説明した。「あなたは、AIが想定していなかった人間性を持っているんです。純粋な行為、内的な充足、失敗を糧にする力……それらは、既存の評価軸では測れない」
会議室にいた全員が、僕を見つめていた。
「つまり……」人事部長がゆっくりと言った。「彼は、システムを超えている?」
「その通りです。HESは過去のデータから人間性を定義しました。しかし、人間は常に進化します。新しい価値観、新しい生き方が生まれる。彼は、AIが認識できない『次の人間性』を体現しているんです」
僕のスマートフォンが再び振動した。画面には新しいメッセージが表示されていた。
**評価不能。あなたの人間性は、現在のシステムの測定範囲を超えています。**
そして、その下に小さく文字が追加された。
**新しい評価基準を学習中……**
終章 ゼロからの始まり
それから三ヶ月後、HESの大規模アップデートが発表された。
新しいシステムは、従来の評価軸に加えて「測定不能領域」という概念を追加した。人間には、数値化できない価値がある。それを認めることこそが、真の人間性への理解だと。
僕のスコアは、今も0.00のままだ。だが、その意味は変わった。
ゼロは「何もない」ではない。「まだ定義されていない無限の可能性」だ。
通勤電車の中で、僕は窓の外を眺める。隣の乗客のスコアは83.7。その向かいの人は0.00。そしてまた別の人も0.00だ。
少しずつ、増えている。
AIに測れない人間が。
数字に収まらない人生が。
それは、システムの欠陥ではなく、人間の可能性なのだと、僕は今なら分かる。
スマートフォンの画面を閉じて、僕は静かに微笑んだ。
ゼロから始まる、新しい物語。
それは誰にでも、開かれている。
(完)
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