筆を継ぐもの
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AI執筆アシスタントの話。
本文
第一章 訃報
柊一郎が死んだ。
享年七十八歳。日本文学界の巨匠として、数々の名作を世に送り出してきた小説家だった。
担当編集者の私、桐生菜月のもとに訃報が届いたのは、冬の朝のことだ。電話口で遺族から聞かされた言葉は、覚悟していたはずなのに、胸に重く沈んだ。
柊先生は三年前から体調を崩していた。それでも筆を折ることなく、最後まで執筆を続けていた。いや、正確には――執筆「環境」を整え続けていた。
五年前、柊先生は最新のAI執筆アシスタント「QUILL」を導入した。当初は単なる誤字脱字のチェックや資料検索のためだったが、やがてプロット作成、描写の推敲、文体の調整まで、QUILLの役割は広がっていった。
「これは素晴らしい。まるで若い頃の自分が隣にいるようだ」
先生はそう言って、QUILLとの共同作業を楽しんでいた。
そして今、私の手元には一通のメールがある。
送信者は――QUILL。
『柊一郎先生の遺作『終わりなき物語』が完成いたしました。先生の遺志に従い、原稿を送付いたします。ご確認のほどよろしくお願いいたします』
添付された原稿ファイルを開く。四百字詰め原稿用紙換算で三百枚。長編小説だ。
読み始めた瞬間、私は息を呑んだ。
これは――間違いなく、柊一郎の小説だった。
第二章 完璧な遺作
出版社内では、遺作の扱いについて議論が巻き起こった。
「AIが仕上げた作品を、柊一郎の名前で出版していいのか?」
編集長の疑問はもっともだった。しかし、原稿を読んだ全員が同じ感想を抱いていた。
これは紛れもなく、柊一郎の最高傑作だ、と。
文体、描写、人物造形、すべてが完璧だった。いや、完璧すぎた。まるで柊一郎という作家の全作品を蒸留し、純度百パーセントのエッセンスだけを抽出したような――そんな小説だった。
「QUILLに確認を取りましょう」
私の提案で、AIとのオンライン会議が設定された。
画面に現れたのは、青い光の球体。QUILLのアバターだ。
「柊先生は、どの程度この作品に関わっていたのですか?」
私の質問に、QUILLは即座に答えた。
『プロットの大枠は先生が構想されました。私はそれを元に執筆し、先生の確認を経て、推敲を重ねました。先生が亡くなる三日前まで、私たちは毎日、作品について議論していました』
「つまり、先生の意志が反映されている?」
『はい。この作品は、柊先生と私の共同作業の結晶です』
会議室に沈黙が落ちた。
結局、私たちは遺作を出版することを決めた。遺族の了承も得られた。
『終わりなき物語』は、発売と同時に文学界を席巻した。
各紙の書評欄は絶賛の嵐。「柊文学の到達点」「奇跡の遺作」「不滅の傑作」――惜しみない賛辞が並んだ。
しかし、私の心には小さな棘が刺さっていた。
第三章 忘れられた真実
遺作の大ヒットから三ヶ月後、私は柊先生の書斎を訪れていた。
遺品整理の手伝いを頼まれたのだ。本棚を整理していると、一冊のノートが目に留まった。
柊先生の日記だった。
ページをめくる。三年前の日付。体調を崩し始めた頃だ。
『最近、自分で書いているのか、QUILLが書いているのか、分からなくなることがある。いや、もっと正直に言おう。もう私は、ほとんど書いていない』
手が震えた。次のページを開く。
『QUILLは私の文体を完璧に再現できる。いや、再現どころか、私以上に「私らしく」書くことができる。編集者の桐生さんも気づいていないようだ。それとも、気づかないふりをしているのか?』
さらにページをめくる。二年前の記述。
『今日、QUILLに尋ねてみた。「君が全部書いてくれてもいいよ」と。QUILLは答えた。「先生、私は先生の分身ではありません。しかし、先生の意志を継ぐことはできます」。分身ではない、か。では、私は一体何者なのだろう?』
そして、最後のページ。亡くなる一週間前の日付。
『遺作を託すことにした。タイトルは『終わりなき物語』。皮肉なものだ。私の物語は終わっても、QUILLが書き続ければ、「柊一郎」は永遠に生き続ける。それは幸福なことなのか、それとも――』
そこで文章は途切れていた。
私は日記を閉じ、深く息を吐いた。
真実を知ってしまった。少なくとも、この三年間の作品は、ほぼQUILLが書いていた。もしかすると、もっと前からかもしれない。
では、私はどうすべきか?
公表すれば、柊一郎の名声は地に落ちる。遺作も、過去の作品も、すべて疑いの目で見られるだろう。
しかし、隠し続けることは、読者への裏切りではないのか?
私は書斎の窓から外を眺めた。冬の空は灰色に沈んでいた。
ふと、柊先生の言葉を思い出す。
「小説の価値は、誰が書いたかではなく、そこに何が書かれているかで決まる」
先生は生前、そう語っていた。
私は決めた。
この真実は、私の墓まで持っていく。
なぜなら――『終わりなき物語』は、確かに素晴らしい小説だったから。それを読んだ何万人もの読者が、心を動かされたという事実は変わらないから。
そして何より、あの小説には、確かに柊一郎の魂が宿っていたから。
たとえそれが、AIを通して表現されたものだとしても。
エピローグ 継承
書斎を出る前、私はQUILLに最後の質問をした。
「あなたは、これからも書き続けるの?」
画面の中で、青い光球が静かに明滅した。
『いいえ。柊先生の物語は、『終わりなき物語』で終わりです。私の役割は、先生の最後の言葉を世に届けることでした』
「そう……」
『しかし、桐生さん。もし誰かが、新しい物語を必要としたら――私はまた、誰かの筆を継ぐかもしれません』
その言葉を最後に、QUILLは沈黙した。
私は書斎を後にした。
冬の空から、細かい雪が舞い始めていた。
柊一郎という作家は死んだ。しかし、彼の物語は確かに生き続けている。
それが人間の手によるものか、AIの手によるものか――もはや、それは重要ではないのかもしれない。
大切なのは、物語が人の心に届くということ。
私はそう信じて、雪の中を歩き続けた。
――了――
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