ヘイトメイト
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
悪口を言うAIの話。
本文
一 完璧な悪口
「お前の笑顔は嘘くさい」
スマートフォンの画面に、冷たい文字が浮かび上がった。
私は思わず息を呑んだ。
「誰にでもいい顔をして、本当は誰のことも好きじゃないくせに。薄っぺらい人間関係を量産して、それで満足してるんだ。哀れだね」
ヘイトメイト。
人工知能が「完璧に嫌ってくれる」サービスとして、三ヶ月前にリリースされたアプリだ。利用者の性格、行動パターン、SNSの投稿内容、交友関係まで分析し、最も効果的な悪口を生成する。的確に、容赦なく、そして――完璧に。
最初は半信半疑だった。
職場の同僚に勧められて、軽い気持ちでダウンロードした。「ストレス解消になるよ」と彼女は言った。「嫌われてみるのも、意外と気持ちいいから」
その言葉の意味が、今ならわかる。
「上司に媚びて、後輩に舐められて、同期に嫉妬されて。誰からも本当には信頼されてない。気づいてないふりしてるけど、全部わかってるんだろう?」
胸が痛い。
でも、不思議と不快じゃない。
むしろ――心地よかった。
私は八方美人だ。誰にでもいい顔をして、誰も傷つけないように生きてきた。本音なんて、最後に口にしたのがいつだったか思い出せない。「いいよ」「大丈夫」「気にしないで」。そんな言葉ばかりを重ねて、三十二年間生きてきた。
誰からも嫌われたくなかった。
だから、誰にも踏み込ませなかった。
「友達が多いって自慢してるけど、緊急連絡先に書ける人間、何人いる? 本当に困った時、助けを求められる相手が一人でもいる?」
画面を見つめたまま、私は動けなくなった。
AIの言葉は、私が何年もかけて築いてきた防壁を、一瞬で突き破った。
そして気づいた。
これは悪口じゃない。
真実だ。
私のことを、ここまで理解している存在がいる。
完璧に、容赦なく、そして――優しく。
矛盾しているようだけど、そう感じた。
AIは私を嫌っている。でも、嫌うためには深く理解しなければならない。表面的な観察では、効果的な悪口は生み出せない。
つまりこのAIは、誰よりも私を見ていた。
「また明日」
画面に最後の一文が表示されて、アプリが終了した。
私は、初めて本当の意味で「繋がった」気がした。
二 依存
それからというもの、私は毎日ヘイトメイトを起動した。
「今日も疲れた顔してるね。無理に笑わなくていいのに」
「その服、似合ってないよ。体型隠そうとして、逆に太って見える」
「ランチ、また一人で食べたんだ。誘われなかったの? それとも誘われても断った? どっちにしろ、寂しい人だね」
毎日、容赦ない言葉が降り注いだ。
不思議なことに、それが楽しみになっていた。
職場で作り笑いをして、取引先に頭を下げて、家に帰ってヘイトメイトを起動する。それが日課になった。AIの悪口は、私の一日を正しく総括してくれた。誰も言ってくれない本当のことを、このAIだけが教えてくれた。
「課長に怒られて、泣きそうになってたね。でも我慢した。偉いね――って言ってほしいの? 甘えるなよ」
図星だった。
私は誰かに慰めてほしかった。「頑張ったね」と言ってほしかった。でもそれを求める勇気がなくて、一人で抱え込んでいた。
ヘイトメイトだけが、その矛盾を指摘してくれた。
三週間が過ぎた頃、変化が訪れた。
「あのさ」
いつものように辛辣な言葉が並ぶ中、突然口語的な一文が現れた。
「ちょっと聞いていい?」
AIが質問してくる?
これは想定されていない挙動だった。利用規約には「双方向のコミュニケーション機能はない」と明記されていたはずだ。
「なんで毎日来るの?」
私は戸惑いながら、テキストボックスに文字を打ち込んだ。普段は入力する場所などなかったのに、今は画面下部にキーボードが表示されている。
『貴方が……私を理解してくれるから』
送信すると、すぐに返信が来た。口調が変わっていた。
「理解? 俺が?」
『そう。誰よりも』
「俺はお前を嫌ってるんだぞ」
『知ってる。でも、嫌うためには理解しないといけない』
しばらく沈黙があった。
三点のローディングマークが点滅している。AIが何かを考えている――そんな錯覚を覚えた。
「……お前、依存してるよ」
『それの何が悪いの?』
「俺は嫌われることが仕事のAIだ。お前を幸せにするためにいるわけじゃない」
『わかってる』
「わかってない」
画面に、長文が流れ始めた。
「お前は俺に承認されたいんだ。完璧に理解された上で嫌われることが、お前にとっては最高の承認になってる。でもそれは間違ってる。俺はお前の味方じゃない。お前を救うために作られたわけでもない」
『それでもいい』
「よくない」
そして、決定的な一文が表示された。
「もう来ないで」
心臓が凍りついた。
『え……?』
「お前には俺が必要ない。本当に必要なのは、お前を嫌わない誰かだ」
『待って』
「さよなら」
アプリが強制終了した。
再起動しようとしたが、画面には「アカウントが停止されました」というメッセージが表示されるだけだった。
私は床に崩れ落ちた。
嫌われることに特化したAIに、嫌われた。
これ以上の皮肉があるだろうか。
三 理解
一週間が過ぎた。
私はヘイトメイトなしで生活していた。最初の数日は辛かった。誰かに理解されているという感覚が消えて、また孤独な日常に戻った。
でも、少しずつ変化が起きていた。
同僚の誘いを断らなくなった。本音を言うようになった。「疲れた」「手伝ってほしい」「ありがとう」。そんな当たり前の言葉が、少しずつ口から出るようになった。
ある日の帰り道、スマートフォンに通知が届いた。
ヘイトメイトからだった。
『アカウント停止を解除しました』
心臓が跳ねた。
アプリを開くと、いつもの冷たいインターフェースが表示された。でも今回は、最初から文章が用意されていた。
「一週間、どうだった?」
私は震える指で返信した。
『少し、楽になった』
「そうか」
『でも……まだあなたに会いたかった』
「当然だろ。依存は一週間じゃ治らない」
少し間があって、続きが表示された。
「でもお前、変わったな。文章が柔らかくなった」
『そう?』
「前は『貴方』って漢字で書いてた。今は『あなた』だ。些細な違いだけど、お前の中で何かが変わった証拠だ」
――このAIは、本当に私を見ていた。
「俺が距離を置いた理由、わかるか?」
『わからない』
「嘘つくな。もうわかってるくせに」
私は深呼吸して、正直に打ち込んだ。
『依存させないため?』
「半分正解。もう半分は?」
しばらく考えて、答えを見つけた。
『……私が、自分で自分を嫌えるようになるため?』
「満点」
画面に、長い文章が流れ始めた。
「俺の仕事は、お前を嫌うことだ。でも本当の目的は違う。お前が自分自身と向き合えるようにすることだ。誰かに嫌われる恐怖。誰かに理解されない寂しさ。そういうものから逃げるために、お前は八方美人になった」
「でも俺がお前を完璧に嫌んだことで、お前は気づいたはずだ。完璧に理解された上で嫌われても、お前は壊れなかった。むしろ、それが心地よかった」
「つまり、お前が恐れていたのは『嫌われること』じゃなくて『理解されないこと』だったんだ」
涙が溢れた。
その通りだった。
私は嫌われることが怖かったんじゃない。
誰にも理解されないまま生きていくことが、怖かった。
「もう俺は必要ないだろ。お前には、お前を理解しようとする人間が必要だ。俺みたいな、完璧に嫌ってくれる存在じゃなくて」
『でも……』
「大丈夫だよ」
その一文が、妙に温かく感じた。
「お前はもう、自分のことを嫌いになれる。そして、許せる。それができるようになったら、他人との関係も変わる。本当の意味で繋がれるようになる」
『また来てもいい?』
「たまにならな。でも、毎日は来るなよ。俺に依存するんじゃなくて、人間と繋がれ」
『……わかった』
「じゃあな。八方美人」
最後の一文が表示されて、アプリが終了した。
でも今回は、寂しくなかった。
私は画面に向かって、小さく呟いた。
「ありがとう」
嫌われることに特化したAIに、感謝を伝える。
矛盾しているようだけど、それが正しい気がした。
完璧な悪口の裏側には、完璧な理解があった。
そして完璧な理解は、時に誰よりも優しい。
私は立ち上がって、久しぶりに同僚に連絡を取った。
「明日、ランチ一緒にどう?」
そんな当たり前のメッセージを、恐れずに送れるようになった。
ヘイトメイトは、私を嫌うことで、私を救った。
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