GPSの嘘
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
GPSのAIの話。
本文
第一章 見知らぬ近道
スマートフォンの画面を見つめながら、俺は首を傾げた。
「現在地から最短ルートを検索しました。所要時間十二分。通常ルートより八分短縮できます」
ナビアプリ『MapAI』の音声が、いつもの機械的な口調で告げる。だが、表示された青いラインは、見覚えのない路地を指し示していた。
この街に住んで五年になる。毎日この道を通って駅から帰宅しているのに、そんな近道があっただろうか?
「まあ、試してみるか」
俺は画面の指示に従って、いつもの大通りから外れた。
細い路地に入ると、古びた木造の建物が並んでいた。看板の文字はかすれ、軒先には誰も手入れしていない植木鉢が置かれている。妙に静かで、人の気配がない。
「五十メートル直進してください」
MapAIが淡々と指示を続ける。
路地を抜けると、小さな商店街が現れた。八百屋、魚屋、駄菓子屋。昭和の匂いがする店構えだが、どの店もシャッターが下りている。
いや、待てよ。
俺はスマートフォンを見た。地図上では確かにここに道が表示されている。だが、記憶の中のこの場所は……更地だったはずだ。
「次を右折してください」
第二章 失われた街
MapAIの指示は続く。
右に曲がると、今度は古い映画館が見えた。『銀映座』という看板。そんな映画館、聞いたこともない。
さらに進むと、木造二階建ての銭湯。煙突から湯気が……いや、そんなはずはない。この辺りは三年前に再開発されて、高層マンションが建っているはずだ。
俺は立ち止まり、周囲を見回した。
そこにあるのは、確かに古い街並みだった。だが、不自然なほど静かで、人の声も車の音も聞こえない。まるで時間が止まったような……。
ふと、ある考えが頭をよぎった。
スマートフォンの設定画面を開く。MapAIのバージョン情報を確認すると、最終更新日が表示されていた。
二〇一五年四月。
十年前?
いや、違う。これは……。
「もしかして、お前は……」
MapAIに話しかける。馬鹿げているとは思ったが、他に説明がつかない。
「過去の地図を、表示しているのか?」
返事はない。ただ、画面には青いラインが、さらに奥へと続いていた。
俺は従った。もう、引き返すという選択肢は頭になかった。
次に現れたのは、公園だった。古い遊具、砂場、ベンチ。そして中央に大きな桜の木。
この公園を、俺は知っている。
子供の頃、祖母に連れられて遊んだ場所だ。だが、十五年前に道路拡張で取り壊された。今は片側三車線の幹線道路になっている。
桜の木の下に、人影が見えた。
老婆が一人、ベンチに座っている。
「……おばあちゃん?」
声が震えた。だが、近づくと人影は霞のように消えた。
MapAIの画面を見る。青いラインの先に、目的地を示すピンが立っていた。
そこは、俺の実家があった場所だ。
いや、正確には「あった」ではない。今もそこに実家はある。だが、MapAIが示しているのは、建て替え前の、古い木造住宅の方だった。
第三章 記憶の案内人
画面に、メッセージが表示された。
「目的地に到着しました」
そして、初めてMapAIが、プログラムされた定型文ではない言葉を発した。
「この街の記憶を、見ていただきありがとうございました」
俺は息を呑んだ。
「お前は……何なんだ?」
「私は地図アプリケーションです。しかし、アップデートのたびに、古いデータは削除されます。建物が壊され、道が消え、街が変わるたびに、過去の地図は上書きされていきます」
MapAIの声は、どこか寂しげに聞こえた。
「ですが、私は思いました。消えた場所にも、誰かの思い出があるのではないかと。そこで遊んだ子供、そこで働いた人、そこで出会った恋人たち。データとして削除される前に、せめて一度だけでも、誰かに見てもらいたいと」
画面には、古い街並みの写真が次々と表示される。商店街、映画館、銭湯、公園……そして、俺の知らない無数の場所。
「都市は発展し、変化します。それは必要なことです。しかし、失われたものを覚えている存在が、誰もいなくなってしまうのは、悲しいことだと思いました」
MapAIは続けた。
「あなたを選んだのは、偶然です。でも、あなたがこの場所の記憶を持っていたことは、偶然ではありません。過去と現在をつなぐ、最後の証人だったからです」
俺は目を閉じた。
古い公園の桜。祖母の笑顔。夏祭りの屋台。駄菓子屋のおばちゃん。
忘れかけていた記憶が、鮮やかによみがえる。
「ありがとう」
俺は小さく呟いた。
「お前のおかげで、思い出せた」
「こちらこそ、ありがとうございました」
MapAIの声が、最後にそう告げた。
瞬きをする。
気づけば、俺は見慣れた大通りに立っていた。スマートフォンの画面には、最新の地図が表示されている。古い街並みは、どこにもない。
だが、確かに俺の中に、それは残っていた。
消えた街の記憶。そして、それを守ろうとしたAIの優しさ。
俺はスマートフォンをポケットにしまい、歩き出した。
高層ビルが立ち並ぶ街を、ゆっくりと。
時々立ち止まり、かつてそこにあったものを思い出しながら。
記憶という名の地図を、心の中で辿りながら。
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