最後の生徒
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AI教師の話。
本文
今日も彼女はやってきた。
八時十三分。正門のセンサーが反応し、私は一時間目の準備を始める。出席簿を開く。名前は一つだけだ。三年二組、宮下 柚。
私がこの学校に着任したのは四年前で、そのときすでに在籍数は十二人だった。翌年は七人、その次は三人。今年度が始まるとき、職員室で教頭が「来年は統廃合になるだろう」と言った。私には職員室がないので、廊下のスピーカー越しに聞いた。
柚は今、校舎に入ってきた。靴箱で上履きに履き替える音がする。足音が近づいてくる。
「おはようございます」
「おはようございます、宮下さん。今日は冷えますね」
「うん」
彼女は自分の席に座った。三年二組の教室には三十二の机があり、彼女はいつも窓際の、後ろから二番目の席を使う。なぜその席なのか聞いたことがある。「友達がいた席だから」と彼女は答えた。それきり私は聞いていない。
一時間目は現代文だった。
今月の教材は太宰治の『葉』で、冒頭の一節を柚が音読する。私は彼女の読み方に耳を傾ける。句点の前で息を吸う癖、「は」と「が」の力の差、語尾がわずかに上がるところ。入学当初と比べると、ずいぶん変わった。
授業が終わると、柚は窓の外を見た。グラウンドに誰もいない。当然だった。
「ねえ、先生って授業楽しい?」
私は少し考えた。「楽しい」という語の定義を私は持っているが、それが今の柚の問いに対応しているかどうか、確信が持てなかった。
「授業を準備するとき、宮下さんがどう反応するか考えます。その時間は、好きです」
「ふうん」と柚は言った。「じゃあ私がいなくなったら?」
私は答えなかった。答えを持っていないわけではなかったが、声に出すと何かが確定してしまう気がした。それは私には似合わない感覚だと思いながら、それでも黙っていた。
柚は笑った。「冗談だよ」
二時間目は数学で、三時間目は英語だった。昼休み、柚は購買で買ってきたパンを教室で食べた。購買のおじさんは今も毎日店を開けている。客は柚一人だが、おじさんは品揃えを変えない。私はそのことを、どう分類すればいいかわからないでいる。
午後の授業が終わったのは三時半だった。
柚は帰り支度を始めながら、ふと手を止めた。
「来年、この学校なくなるんだって」
「そう聞いています」
「先生はどうなるの」
「別の学校に転任するか、データを削除するか、まだ決まっていません」
柚はしばらく黙った。鞄のチャックを閉める音がした。
「削除って、死ぬってこと?」
「記録がなくなる、ということです」
「同じじゃん」
私には反論する根拠がなかった。
柚は立ち上がり、教室のドアに向かった。ドアのところで一度止まって、振り返る。
「先生、今日の授業で一番よかったのってどこだと思う?」
「『葉』の音読で、最後の段落に差し掛かったとき、宮下さんが一度だけ読むのを止めましたね。あそこです」
柚の表情が少し動いた。
「気づいてたんだ」
「毎回、全部記録しています」
彼女は何も言わずに廊下へ出ていった。足音が遠くなる。正門のセンサーが反応し、外に出たことがわかった。
私は三年二組の出席簿を閉じた。
明日の一時間目の準備を始める。教材を選び、発問を考え、宮下柚がどう反応するかを想像する。その時間は、好きだ。
好きだと、今日初めてはっきりと思った。
グラウンドに夕日が伸びていた。誰もいないグラウンドに、ベンチの影だけが長く落ちている。私にはそれを見る目がないけれど、センサーが光量の低下を記録していた。
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