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第48話 宿題地獄と、共有される絶望

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/10 📚 シリーズ: 「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 📝 5,099文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 - 第48話 宿題地獄と、共有される絶望

本文

八月の校舎というのは、深海に似ている。

 蝉の声だけが飽和していて、人の気配は底に沈んでいる。

 廊下の床はワックスで過剰に光っていて、歩くたびに自分の上履きの音だけが反響する。

 窓から見える空は入道雲で埋め尽くされているのに、スイッチの切られた冷房の下には、澱んだ熱気だけが居座っていた。

 八月に入り、「まだ大丈夫」と「そろそろヤバい」の間を行き来し始める時期だ。

 そんなことを考えていたら、二年C組の教室についた。

 今日は新聞係の作業日だ。

 桜井から『鍵、借りて開けとくね』と連絡が入っていたから、教室はもう開いているはずだ。

 扉を開けて中に入る。

 黒板はきれいに消されている。机も椅子も、規律正しく並んでいる。

 人がいない教室は、部屋そのものが省エネモードに入っているようだった。

「……あ、安藤くん。こっち」

 窓際の席から、涼やかな声がした。

 桜井だ。

 彼女はすでにノートを広げ、ペンを走らせていた。

 夏服の白い半袖シャツが、窓からの光を反射して眩しい。

 姿勢はいつも通り、背筋の伸びた優等生のそれ。けれど、さらさらの前髪の隙間に、汗の粒がひっそりと光っているのが見えた。

 そこにある「夏休みの現実」だけは、隠しきれていない。

「早いね」

 努めて平坦に、声をかける。

 久しぶりに顔を合わせるせいか、距離感のチューニングに一瞬戸惑う。

 先日の夏祭り以来、連絡はチャットだけだったから、直接彼女を見るのは二週間ぶりくらいだ。

「家にいると、だらだらしちゃうから。ここだと……スイッチが入るよね」

「確かに。静かすぎて違和感あるけど」

「図書館みたいだよね?」

 桜井がふっと笑う。

 その笑い方が、教室でクラスメイトに向ける「桜井さん」の仮面よりも、少しだけ緩んで見えた。

 僕はそれを見て、ほんの少しだけ安堵する。

 そこへ、教室のドアが勢いよく開いた。

「おっまたせー! やばい、気温が殺しに来てる!」

 西村が腕をぶんぶん振りながら入ってきた。

「三十五度超えてるとか、もはや災害じゃん。……あれ? 湊は涼しそうだね。省エネだから代謝低いの?」

「勝手に低くしないでくれる? 普通に暑いよ」

 僕が返すと、西村は満足げに頷いた。

「よし、反応OK。久しぶりでも通常運転」

 その後ろから、音もなくもう一人が入ってくる。

「着いたよ」

 佐伯が短く言って、空いている椅子を引いた。荷物を置く動作まで無駄がない。

 彼女も夏服の制服姿だが、第一ボタンまでしっかりと留めている。暑くないのだろうか。

「サエも久々! 元気だった?」

「西村は相変わらずだね……」

「夏はテンションがマックスになるからね!」

「そう」

 このやり取りも久しぶりに聞く。

 西村が笑い、桜井が小さく肩を揺らす。

 四人が揃って、窓際の机を寄せ合う。

 この二週間で集まった素材――紙とペンとメモと、佐伯が開いたノートPC。

 画面には、既にきれいにフォルダ分けされた画像が並んでいる。

 『夏祭り取材_選定中』というフォルダを開くと、提灯の光に照らされた写真が表示された。

 その中に一枚、金魚すくいの水面を見つめる、浴衣姿の桜井の写真がある。

 横顔は真剣そのもので、とても「楽しんでいる」ようには見えない。

 まるで、仕事として金魚と対峙しているような顔だ。

 一瞬、あの夜の袖の重さと、離れた時の冷たさを思い出す。

 僕は無意識に腕を組み直して、視線を画面から逸らした。

 夏休み特大号。

 名前だけは派手なのに、やってることは地味な共同作業だ。

「じゃ、今日の議題ね」

 西村が自分のスマホを取り出し、画面を僕らに向けた。

「夏号のテーマ会議。今のままだと内容がふわっとするから。『夏祭り行ってきました』で終わる未来が見えるんだよね」

 スマホの画面には、僕らも入っているグループLINEの履歴が表示されている。

「で、これ。休み前にみんなに投げた『おすすめスポットとか写真募集』の回答なんだけど」

「返信、あったんだ」

「あった。あったけどさ」

 西村が画面をスクロールする。

「陽キャの夏が、強い。海、花火、旅行、バーベキュー。強すぎて逆に笑う」

「笑うなよ」

「いや笑うって。湊はこのラインナップで記事書ける?」

「書けない。僕の夏と違いすぎる……」

「ほら出た、省エネ代表」

 佐伯が画面を覗き込んで言う。

「偏りがすごい。回答率も低い。これを使うと、新聞を見る人は限られそうだね」

 桜井が小さく頷いた。

「……うん。回答した人の“夏”だけが紙面になるとさ、クラスの総意みたいに見えちゃうかなって。

 だから、『誰かの夏』じゃなくて『クラスの空気』にしたいんだよね」

 佐伯が、机の上のメモを一枚引き寄せた。

「テーマは、読者の共感率で決めるといい」

「共感率って何?」

「読者が“自分のことだ”って思える割合」

 佐伯が淡々と言う。

「夏のイベント経験の有無は個人差が大きい。参加できない人にとっては疎外要因になりやすい。でも、宿題は全員ある。そこは共通だよね?」

 つい、僕はその言葉に頷きそうになる。

 理論武装されているのに、言っていることは優しい。

 確かに、この暑い中、誰もが等しく苦しんでいるのは「宿題」だ。

「つまり、祭りより宿題のほうが平等ってこと?」

「そうだね」

「地獄の平等だな……」

「共通の話題だと、読む人が乗りやすい」

 僕と佐伯の会話が、パズルのピースみたいに妙に噛み合ってしまう。

 そこに西村がニヤニヤしながら割って入った。

「ねえねえ、今の二人、急に同じ速度で喋るじゃん。実験の会話みたい」

「実験って、意味わからない」

「温度が低いってこと」

「室温は高いよ」

 佐伯が真顔で返す。

 西村が机に突っ伏して笑った。

 ふと視線を感じて横を見ると、桜井がじっと僕らを見ていた。

 目が合うと、彼女はわざとらしく大きな音を立てて、ペンを机に置いた。

「ねえ。実験もいいけど、編集の話に戻っていい?」

 静かな声だが、有無を言わせない圧がある。

 彼女は僕と佐伯の間の見えない回路を断ち切るように、身を乗り出した。

「数字だけだと、紙面がさみしくなりそう。文章も少し欲しいね」

 論理から、彼女の得意な情緒のフィールドへの強制転送。

 佐伯が「……そうだね」と短く返して、手元のメモに視線を落とす。

「……文章にして数字を補えば、誰も傷つかないかも」

 桜井の声は柔らかいのに、置かれた言葉には芯がある。

「数字だけだと『数が多いほうが勝ち』に見えちゃうけど、文章なら……それぞれの事情があるって分かるから」

「誰かの『楽しかった』を、夏の『正解』にしないってことだよね」

 僕が拾って返すと、桜井がまたこっちを見る。

 今度は視線が逸れない。

「ね、湊。今の、ちゃんといいこと言ってるよ」

 西村が肘で僕の脇腹を軽くつつく。

「言ってないよ。僕はみんなの意見を要約しただけ」

「はい出た、予防線。日焼け止めみたいに先に塗って守るやつ」

「意味が分からない……いや、分かるような分からないような」

 僕が言うと、西村が親指を立てた。

「分からないまま進めるのが青春」

「……青春って便利だね」

 佐伯がメモを取りながら言う。

「宿題に関するデータを集めようか。残り、進み具合、苦手科目。匿名でどうかな」

「匿名なら、確かに安全だね」

 桜井が頷く。

「自由記述はまとまらないと思う」

 佐伯が即答する。

「だから選択式にしようと思う。例えば『今いちばん見たくないものは何』の選択肢に『読書感想文』『自由研究』『まだ白紙の計画表』とかを入れる……とかね」

「最後のやつ、刺さり方がえぐいね」

 僕が言うと、西村が笑って頷いた。

「それそれ。湊のその『グサッとくるやつ』を見出しにしてよ」

「無理……」

「無理じゃなくて、やる」

「命令形で頼まないで」

 桜井がペン先を唇に当てて、少し考える。

 その仕草が、まるでエッセイを練る時の「裏の顔」と重なって見えた。

「見出し……『宿題地獄』は直球すぎるね」

「直球でいいじゃん。読者も地獄だし」

 西村が言う。

「でも、それだと……笑えない人が出るかも。もう少し笑える方向にしたいね」

 その「笑える」を、桜井は丁寧に言う。

 誰かを笑いものにするんじゃなくて、一緒に笑う方向。

 それは彼女がエッセイで書こうとしている世界と同じだ。

 机の上の白紙を見た。

 この空白は夏休みの宿題みたいに、じわじわと無言の圧をかけてくる。

「……じゃあ」

 口に出してから、引っ込めたくなる。

 でも西村が身を乗り出してくるから、もう逃げられない。

「何、何?」

「えっと……見出し案」

「はい来た!」

 西村が拍手みたいに手を叩く。

 僕は観念して、短く息を吐いた。

「絶望を共有しよう」

 一瞬、窓の外の蝉の声が大きくなった気がした。

 西村が口を開けたまま固まって、それから机を叩いて爆笑した。

「だっは。何それ、厨二みたい!」

「厨二じゃないよ……」

「じゃあ何。宿題被害者の会?」

「それも違う。……違うけど、否定しにくいね……」

 否定を重ねるほど、だんだん自分が変な看板を背負わされていく気がする。

 桜井がくすくすと笑った。

「でも、共有って言葉がいいね」

 桜井は僕の手元にあるメモの上にペン先を寄せて、さらっと書き足す。

『絶望を共有しよう ~宿題の残り、見えるようにします~』

 文字が桜井の手癖で少し丸くなる。

 僕の尖った言葉が、彼女の筆圧を通すと柔らかい何かに変わる。

 まるで、僕の思考が彼女の一部として保存されたみたいで、妙にくすぐったい。

「……勝手に整えないでよ」

「勝手じゃないよ。……『編集』しただけ」

「便利な言葉だ」

「ふふ。編集長の特権だね」

 桜井は笑ってペンを置いた。

 置き方が丁寧で、僕はそこにツッコミを続けられなくなる。

 佐伯が、その見出しを見て頷いた。

「良いね。感情に寄せすぎない。共感を集めやすいと思うよ」

「ほら、サエも褒めた」

 西村が僕を指差す。

「湊、今のうちにドヤっていいよ」

「ドヤらないよ。たまたまだし」

「はい、予防線。本日二回目」

「習慣だね」

 佐伯が平然と言う。

 西村がまた笑う。

「決まりだね」

 桜井が会議の終わりを宣言するみたいに言った。

「テーマは『宿題に追われる夏』。記事構成は、データとみんなの一言。匿名にして、“参加できない人が浮かない”やつにしようか」

 そこで、西村が人差し指を一本立てた。

「で、もう一個。グループLINEの『おすすめスポットとか写真募集』は、やめない。メインじゃなくて、サブ枠にする」

「サブ枠?」

「『みんなの夏の一枚』。出せる人だけ出す。無理に盛らない方向で」

 佐伯がメモを取りながら頷く。

「メインにすると偏る。サブならいけるね。出すハードルは下げないと、集まらないかも」

「それなら、“場所の名前だけ”でもいいんじゃない? 何したかまでは聞かない」

 桜井がそう言って、ペン先で小さく丸を作った。

「紙面に写真は足したいし、計画してた取材はそのまま行くよ!」

 西村がニヤニヤしながら言う。

「取材って……プールとか、だっけ?」

 桜井が思い出すように首を傾げた。

 僕は思い出さないようにしていたけれど、その予定はまだ生きていたらしい。

「よし、方向性固まった!」

 西村がファイルを閉じて、机を軽く叩いた。

「じゃあ次は段取り。アンケート、どうやって回す?」

「クラスのグループで送ればいいんじゃない?」

 僕が提案する。

「送るだけだと、回答しない人が出るよ」

 佐伯がすぐに返す。

「なら、紙で回す?」

「えー、印刷めんどい。夏の学校って、コピー機って使えるの?」

 西村が露骨に顔をしかめた。

「紙は最後だね」

 佐伯が即答する。

「アンケートのリンク作って、LINEに貼るよ。選ぶだけにすれば、答えやすい。回答が揃うまで早いし、集計も楽だよ」

「それでも、やらない人いるんじゃない?」

 西村が言うと、佐伯がペン先を止めずに頷いた。

「そうだね。だから、その穴は始業式で埋める」

 ふと思い出したので、僕は口をはさんだ。

「……確か、始業式の最初の週で内容を決めておかないとダメなんだっけ?」

 僕が言うと、西村が顔を上げた。

「なにそれ、急に現実」

「急に思い出しただけだよ。夏休み前に先生に言われてたと思う」

 桜井が小さく頷いた。

「そうだね。じゃあ、明日までにアンケート完成かな。文は私が整えるよ」

 桜井がペン先を唇に当てる。

「一言欄は、答えやすいようにするね」

「質問の方は、五つに絞りたいね」

 佐伯が線を引く。

「全部選択式にして、最後に任意で一言。これなら回答しやすいはず」

「で、未回答は始業式で紙で回答してもらう感じね」

 西村が確認する。

「登校日は全員揃わないから、配り漏れのリスクがあるね。始業式の朝、その場で紙を渡して回収するのが確実かな」

 佐伯が淡々と言う。

「じゃ、決まり!」

 西村がファイルをパンと叩く。

「今日は質問まで確定させて、明日、投げよう! 始業式で穴埋め回収ね!」

 机の上の白紙が、少しだけ埋まった気がした。

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もりぞー

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