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第74話 見ないで、忘れないで

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/15 📚 シリーズ: 「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 📝 3,136文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 - 第74話 見ないで、忘れないで

本文

学年末号の初稿が出揃ってから、一週間が経っていた。

 桜井の長谷川さんへの取材は、週明けにはもう動き出していた。

 放課後に彼女を捕まえて「もう一回、話を聞かせてほしい」と頭を下げたらしい。

 その場には僕もいなかったし、何を聞いたのかも知らない。

 ただ、数日後に届いた書き直しの原稿は、最初のものとは手触りが別物だった。

 佐伯が「通す」と一言だけ言って赤を入れなかったのが、何よりの証明だ。

 佐伯のレイアウト作業と並行して、今日の作業は写真の選定だった。

 ◇

 金曜日の放課後。

 教室には僕と桜井の二人だけが残っていた。

 佐伯は「レイアウト案を持ち帰る」と手帳を閉じて先に出て、西村は「うち先に用事あるから行くねー」と手を振って走っていった。

 写真選定は僕と桜井で済ませる手筈になっている。

 桜井が自分のスマホを机に置いた。

「ここに、新聞用に撮りためてた写真入れてあるから。

 一緒に見て、使えそうなの選ぼ」

「わかった」

 桜井の隣に座ると、またノート一冊分もない距離になった。

 前回と同じだ。むしろ前回より少し近いかもしれない。

 桜井のほうから椅子を寄せてきたので、距離を決めたのは僕じゃない。

 桜井がカメラロールを開いて、指先で写真を横にスワイプしていく。

「これ、体育祭の準備のやつ。みんなで段ボール運んでるの」

「いいね。裏方っぽさがある」

「でしょ。こういうのが好きなんだよね、安藤くんは」

 分かってるみたいに言われて、否定できない。

 僕の好みを、桜井はもう何度も見てきている。

 写真が次々と流れていく。

 文化祭の片付け、教室での編集会議、十二月号の印刷作業。

 どれも「裏側」ばかりで、表舞台の華やかなカットがほとんどない。

「……桜井さん、ステージの写真は?」

「あんまり撮ってないかも。

 凛ちゃんが十二月号のとき『反応が良かったのは数字じゃなくて手触りだ』って言ってたでしょ。

 だから今回も、そっち寄りで集めてたの」

「……たしかに、そうだったね」

 佐伯の分析を桜井が自分の撮影基準に落とし込んでいる。

 そういうチームになっている、ということだ。

 背筋が少しだけ伸びた。

「この辺が候補かな。何枚か選んで——」

 桜井が画面をスワイプした。

 僕は次の写真を指差そうとして、画面に手を伸ばした。

 指先が、画面の下端にかすった。

 ほんの一瞬のことだった。

 カメラロールが消えて、画面が切り替わる。

 直前まで開いていた別のアプリが、表に出てきた。

 メモアプリ。

 白い背景に、短い行がいくつか並んでいる。

 一番上の行だけが、目に飛び込んできた。

 『次作構想:観察者のいる教室』

 ——観察者の、いる、教室。

 指が止まった。

 視線が張りついたまま、動かない。

 ほんの一瞬だった。

 けれど、文字は読めてしまった。

「——っ」

 桜井の息を呑む音が、耳のすぐ横で聞こえた。

 次の瞬間、画面が真っ暗になった。

 桜井がスマホを胸元に引き寄せて、両手で覆うように抱え込んでいる。

「み、見ないで!」

 声が裏返っていた。

 桜井の耳が、首筋まで赤く染まっている。

 目がわずかに潤んでいるように見えたのは、蛍光灯の反射かもしれないし、そうじゃないかもしれない。

「……ごめん。わざとじゃないよ。指が画面に当たって——」

「……わかってる。わかってるけど……」

 怒っているようには見えなかった。

 声は震えていたけれど、棘はなかった。

 自分が見せたくないものを、よりによってこの人に見られた——そういう動揺に見えた。

 僕は視線を机の上に落として、両手を膝の上に置いた。

 「もう見てません」という姿勢を、全身で示す。

 しばらく、どちらも動かなかった。

 桜井の呼吸が、少しずつ整っていく。

「……見えた?」

 小さな声だった。

「……タイトルだけ」

 正直に答えた。

 嘘をつくことも考えたけれど、桜井に対して嘘をつくと、いつか必ず破綻する。

 この一年半で学んだことだ。

「タイトル……だけ」

 桜井が、ゆっくりとスマホを膝の上に下ろした。

 画面は消えたままだ。

「……うん。まだ、タイトルだけなの。中身は空っぽ」

 声が低くなっていた。

 さっきまでの動揺が引いて、代わりにもっと静かな何かが表面に出てきているようだった。

「構想だけメモして……そこから先が、書けない」

「……」

「ここから先は、怖いから」

 怖い。

 桜井が、書くことを「怖い」と言ったのは初めてだった。

 少なくとも、僕の前では。

 「書きたい」が先に来る人だ。

 衝動が先で、ブレーキが後。

 それが桜井すみれという書き手だと、僕はずっと思っていた。

 その人が、怖い、と言っている。

「変に名前がついたら、書けなくなる気がするの」

「名前?」

「この——今ある気持ちとか、書きたいものに、ちゃんとしたタイトルをつけちゃったら。

 形にしちゃったら。

 ……もう後戻りできなくなる」

 桜井の指が、膝の上のスマホの縁をなぞっていた。

 消えた画面の向こうに、さっきの文字列がまだ残っている。

「だから、まだ構想止まり。

 ……ずるいよね、書きたいのに書かないの」

「ずるくないよ」

 思ったより早く口が動いた。

「怖いなら、怖いまま置いておいていいと思う。

 書けるときが来たら書けばいい」

 編集者っぽいことを言おうとしたわけじゃない。

 ただ、桜井の声に混じっていた震えが、放っておけなかっただけだ。

 桜井が僕を見た。

 前髪の隙間から覗く目が、少しだけ赤い。

 何かを奥のほうで堪えているような、そういう目に見えた。

 それから、桜井はゆっくりと息を吐いた。

 肩の力が抜けるのが、隣にいると分かった。

「……ねえ、安藤くん」

「うん」

「いつか。いつか書き上がったら——」

 桜井が、消えたままのスマホの画面を一度だけ見下ろした。

 それからまっすぐ、僕の目を見た。

「一番最初に読んでほしい。安藤くんにだけは」

 心臓が、一拍だけ飛んだ。

 ——安藤くんに、だけは。

 その一言が、教室の空気を塗り替えた気がした。

 蛍光灯の音が遠くなって、窓から差し込む夕日の角度が変わって、時計の秒針だけがやけに鮮明に刻んでいる。

「……うん」

 声が少し掠れた。

 咳払いをしたかったけれど、この空気を壊す気がしてできなかった。

「待ってる」

 桜井の唇が、かすかに動いた。

 何か言いかけて、やめた。

 代わりに、小さく頷いて、スマホをカバンにしまった。

 それだけだった。

 それだけのはずなのに、教室の中の酸素が薄くなったみたいに、呼吸を意識しないとうまく吸えなかった。

 ◇

「……写真、続き選ぼうか」

 桜井がカメラロールを開き直した声は、さっきより半音高かった。

 僕は「うん」と頷いて、もう一度画面を覗き込む。

 今度は、指が画面に触れないよう気をつけた。

 写真を五枚選んで、作業を終える。

 桜井は「じゃあ、月曜にレイアウト確認ね」と言って、椅子を戻した。

 教室を出るとき、桜井が振り返った。

「安藤くん」

「ん?」

「さっきの——忘れてくれなくていいから」

 見ないで、と言ったのとは正反対のことを、桜井は穏やかな声で言った。

「タイトルだけ、覚えててくれたら。

 ……それだけで、たぶん書ける気がするから」

 廊下に出ていく背中を見送った。

 今日は西村の「遅いー!」が聞こえなかった。

 桜井は一人で、静かに帰っていった。

 僕は、机の上に置きっぱなしだった自分のノートを開いた。

 ペンケースからシャーペンを引っぱり出す指が、思っていたより落ち着かない。

 『観察者のいる教室』

 桜井のスマホで見えてしまったあの文字列を、同じように書いてみる。

 一文字書くたびに、胸の奥がきゅっとなる。

 覚えててくれたら、書ける気がする。

 そう言ってた。

 だったら、忘れないようにするのは、たぶん僕の仕事だ。

 書き終えたタイトルの下に、念のため小さく追記する。

 (見ないで、って言われたやつ)

 自分で書いておいて、ひどい。

 でも、ちょっとだけ呼吸ができるようになった。

 ノートを閉じ、カバンに入れる。

 教室を出ると、廊下の空気が少し冷たかった。

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もりぞー

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