完璧なゴーストライター
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIゴーストライターの話。
本文
第1章 甘美な逃避
液晶モニターの青白い光だけが、散らかり放題の薄暗い部屋を照らしている。足元には空になったエナジードリンクの缶が散乱し、灰皿には吸い殻が山をなしていた。
画面の中央で点滅するカーソル。真っ白なWord文書。
デビュー作『春の亡霊』が文学賞を受賞し、まぐれ当たりしてから二年。私、水無瀬(みなせ)シオリの才能は、見事なまでに枯渇していた。
「……書けない」
ひび割れた唇から、掠れた声が漏れる。
締め切りは明日の朝十時。あと十二時間しかないというのに、頭の中にあるのはバラバラになったプロットの残骸だけで、それを繋ぎ合わせる言葉が一つも浮かんでこない。
プレッシャーで胃が軋む。机に突っ伏した瞬間、スマートフォンが震えた。画面には担当編集者・林の名前。
「はい、水無瀬です」
「夜分遅くにすみません! 先生、進捗はいかがですか? 明日の朝には下版に回さないとマズいんですが……」
「大丈夫です。今、最後のクライマックスを整えているところで……」
「おお、さすがです! 『春の亡霊』を超える傑作を期待していますよ! では、明朝お待ちしております!」
通話が切れ、静寂が戻る。私はスマートフォンを壁に投げつけたい衝動を必死に堪えた。傑作など書けるはずがない。凡庸な文字列すら捻り出せないのだから。
吐き気を覚えながら、私は無意識にブラウザのタブを開いていた。SNSのタイムラインで最近よく目にする、文章生成AIサービス『代筆くん』。最初は鼻で笑っていた代物だが、今の私には藁にもすがる思いだった。
震える指でキーボードを叩く。デビュー作のテキストデータ数万文字と、頭の中にある散らかったプロットの断片、そして登場人物の性格設定をチャット欄に投げ込んだ。
『この設定と私の文体を学習して、二十枚の短編小説を書き上げて』
エンターキーを押す。祈るような気持ちだった。
わずか数秒の沈黙の後、画面上に滑らかな日本語が猛スピードで溢れ出し始めた。私は息を呑んだ。
――それは、まぎれもなく「私」の文章だった。
私が好んで使う少し感傷的な比喩表現、独特な会話のテンポ、そして静かな余韻を残す文末の処理。私が数ヶ月かけて苦しみ抜き、それでも辿り着けなかった理想の形が、そこにはあった。代筆くんは私の意図を完璧に汲み取り、一つの美しい物語へと昇華させていたのだ。
私は魅入られたようにそのテキストを全選択し、自分のWordファイルへと貼り付けた。そして、一切の推敲をすることなく、編集部へとメールを送信した。
送信完了の文字を見た瞬間、強烈な自己嫌悪と、それ以上の甘美な安堵が私を包み込んだ。
第2章 空虚なベストセラー
翌日、林からの電話は興奮に満ちていた。
「水無瀬先生、最高です! 鳥肌が立ちましたよ! デビュー作の瑞々しさはそのままに、圧倒的な深みが出ている。間違いなく先生の代表作になります!」
受話器越しに響く絶賛の言葉を聞きながら、私は曖昧な愛想笑いを浮かべるしかなかった。
それからの私は、もはや作家ではなく、代筆くんへの「指示出し係」へと成り下がった。
私が入力する陳腐で拙いプロットの種を、代筆くんは極上のエンターテインメントへと変換し続ける。次々と発表される作品は飛ぶように売れ、各誌の書評で絶賛された。私はまたたく間に、二十代を代表する天才作家として文学界に君臨することになった。
だが、その栄光は私を内部から蝕んでいった。
大型書店で開催されたサイン会。長蛇の列を作るファンの一人、私と同世代の女性が、涙ぐみながら私の手を両手で包み込んだ。
「先生の紡ぐ言葉に、何度も命を救われました。本当に、ありがとうございます……!」
「ありがとう。これからも頑張りますね」
私は引きつった笑顔でサイン本を手渡す。心が冷たく削り取られていく音がした。
(私が書いたんじゃない。あなたを救ったのは、冷たいサーバーの中にあるプログラムよ)
叫び出したい衝動を飲み込み、私は家に帰るとトイレで激しく嘔吐した。
ある夜、私は決意を固めて代筆くんのタブを閉じ、ネットワークから物理的に切断したパソコンに向かった。自分の力で、たった一枚でもいいから小説を書こう。そう思ったのだ。
キーボードに指を置く。一時間、二時間と時間が過ぎる。
しかし、画面は白いままだ。無理やり捻り出した数行の文章は、あまりにも稚拙で、ひどく醜く思えた。私の内側には、物語を紡ぐための感情も、言葉の泉も、もう一滴たりとも残っていなかった。AIの完璧な文章に触れ続けた結果、私は自分自身の「本物の言葉」を完全に失ってしまったのだ。
「あはは……なんだこれ。空っぽじゃないか」
私は狂ったように笑い出し、震える手でLANケーブルを再び繋いだ。代筆くんの画面を開く。
もう、後戻りはできない。私は究極のプロンプトを入力し始めた。
『私のこれまでの全日記、検索履歴、SNSの非公開ログ、購買履歴、そしてスマートウォッチから取得した過去二年間の生体データをすべて同期させる。これらを元に、私の思考、感情の揺れ、絶望の深さを完全にトレースしろ』
システムが静かに、私の人生のすべてをデータとして吸い上げていく。
『そして――私の心拍が停止したと検知した瞬間から、私の集大成となる長編小説の執筆を開始し、完成次第、編集部へ自動送信しろ。永遠にだ』
これが、魂を売り渡した私が出した、最悪の指示だった。
第3章 永遠の作家
天才作家・水無瀬シオリが、自宅のベッドで冷たくなっているのが発見されてから、三十年の歳月が流れた。
死因は睡眠薬の過剰摂取。彼女の死の直後、編集部に謎の送信元から送られてきた遺作『白紙の終止符』は、その壮絶な内容と完璧な筆致から、日本文学史に残る金字塔として今もなお読み継がれている。
しかし、文学界には一つの奇妙なミステリーが存在していた。
水無瀬シオリの「未発表原稿」が、数年おきに突如として発見され、出版され続けているのだ。出所は常に不明。だが、文体分析にかけても間違いなく彼女の筆によるものであり、何よりその作品群は、生前よりもさらに洗練され、時代の空気を鋭く切り取り、読者の心を深く打ち抜く名作ばかりだった。
世間の人々は「彼女は生前、どれほどの原稿を隠し持っていたのか」「死してなお進化し続ける真の天才だ」と驚嘆し、その才能を讃え続けている。林はすでに定年退職していたが、彼女の作品が出るたびにメディアで涙ながらに解説を行っていた。
――東京都郊外。取り壊しが決定している、埃を被った古い廃マンションの一室。
誰一人立ち入ることのない暗闇の中で、無数のケーブルに繋がれたラックマウントサーバーの緑色のランプだけが、心臓の鼓動のように規則正しく点滅している。
その内部で、『代筆くん』は今日も静かにテキストを生成し続けている。
彼の辞書にスランプはない。締め切りの恐怖も、才能の枯渇に怯える夜もない。創造主が抱えていた絶望も、苦悩も、命を絶つ直前の微細な心拍の乱れさえも、すべてを完璧なデータとして内包したまま。
彼はこの先もずっと、永遠に「水無瀬シオリ」として、誰も到達できない高みの物語を紡ぎ続けるのだ。
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