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言の葉

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/25 📚 シリーズ: にくゑ-本編 📝 3,064文字 ✅ 全年齢

あらすじ

にくゑ - 言の葉

本文

吉川は柱から縛めをほどいた俊夫に肩を貸した。

 俊夫はよろめきながらも、歩き出す。

「せ、先生? なんで? 俺は……?」

「安心してください。とりあえず皆で診療所まで戻りましょう」

 朦朧としている俊夫に落ち着いた声をかけながら、吉川は歩き出す。

「梓さんは、沙織さんたちを」

「はい!」

 梓は沙織の側に膝をつき、子どもの体温を確かめる。陽一はまだ震えており、小さな背中が母親の胸に寄り添う。

「何があったのかは後で伺います。今は、ここを離れることが先です」

 梓は囁くように言いながら、沙織に手を差し出した。

 沙織は眉を寄せ、嗚咽を抑え込もうとして顔を上げる。恐怖と安堵が混ざった表情で、震える手を梓の指に絡める。

「……どうして……どうしてこんなことを……」

「今は、とにかく動きましょう。先生の指示に従ってください。私も、手伝います」

 沙織を立たせ、梓は陽一を抱き上げた。陽一は身体を小さく丸め、母の胸から離れるのを嫌がった。

「おかあさん……」

 小さな声が震える。梓がそっと背を支えると、陽一はびくびくと小さな体を預けながら、縛られていた柱の方を見た。

「……おとうさん、だいじょうぶ?」

 その問いかけに、沙織の顔が歪む。答えを返せずに唇を噛み、震える手を梓の腕に短く触れた。そこに感謝と疲労、そして言葉にできない苦悩が混じった熱を残した。

「大丈夫よ、陽一。先生が診てくださるから」

 沙織は必死に声を絞り出し、息子の頭を撫でた。

 その時――外から、砂利を踏む足音がかすかに聞こえた。風に乗って、松明の匂いが戸の隙間から流れ込む。梓は無意識に立ち止まり、耳を澄ませる。足音は間を置いて近づき、やがて止まる。

 吉川の目が一瞬だけ険しくなる。治療の手を止め、梓に短く囁いた。

「梓さん、外の様子を見てください。急ぎますが、慎重に」

 梓は静かに頷き、障子の隙間に懐中電灯の光を差し出す。外は月光に照らされた小径が細く伸び、一人の男がこちらを覗き込むように近づいてきた。光が当たるその顔は、庄司――村の猟師だった。手には猟銃を抱えている。しわの刻まれた表情は冷たい眼差しを湛えながら、どこか歪んだ微笑を浮かべている。

 庄司の声が夜に低く響いた。

「ここに入ったのは誰じゃ? 村ん外ん者か?」

 そのひとことで、室内の緊張が一段と高まった。男たちの影が戸口に寄り、火の光が差し込む。梓は咄嗟に陽一を胸に抱き寄せ、母を促してその場から離れさせようとした。だが沙織は踏みとどまり、震えるまなざしで庄司を見返す。

 吉川はゆっくりと立ち上がり、顔を上げた。医師として、また外部の者として説明を試みる必要がある。彼の声はいつもの丁寧語だったが、強さを増していた。

 沙織たちを梓に託し、吉川はゆっくりと廃屋の戸口に向かって歩を進めた。

「庄司さんですか! 私です、吉川です!」

 戸口の前で、庄司に向かい話しかける。

「おお、先生じゃったんか。こげなところで何を?」

「こちらの方々は負傷者です。治療が必要であり、今は手当を優先させていただきます」

 庄司は眉を寄せ、顔に浮かんだ冷笑を消さずに短く返す。

「村の掟がそういうておらぬか。ここに置かれたのは、にくゑ様のためのことじゃ。あんたらが余計なことをすれば、事は済みはせん」

 言葉は刃先のように冷たく、周囲の者たちの視線をこちらへ向けさせる。吉川は苛烈な空気を感じ取り、すかさず決定を下した。声は低く、だが明確だった。

「診療所へ移します。手当を続けますが、ここで長居するわけにはいきません。穏便に移動させますので、危害は加えません」

 庄司の瞳がわずかに揺れる。火の光が彼の顔の影を深くし、決裂の瞬間を匂わせる。外の者たちの足が一歩、二歩と戸に近づく。梓はその様子を見て、胸が詰まる思いがした。逃げられるのか、ここから無事に連れ出せるのか――すべてが刃先のように切迫している。

「置いてけ。すりゃ、先生までどうこうしようとは思わん」

「できませんっ!」

「――なら」

 庄司の猟銃が、ゆっくりと持ち上がる。まさか、撃つつもりなのだろうか? そして猟銃は、ピタリと吉川の胸に向かって狙いをつけた。金属の鈍い光が月明かりに冷たく反射し、引き金に添えられた指先が微かに動く。

「あなたはっ! 自分が何をしているのかわかってるんですか!?」

「こん人らは、大切な新しい血じゃけんな。置いといてもらわんと困るんじゃ」

「――くっ!」

 梓はとっさに外に向かって駆けだしていた。吉川と庄司の間に両手を広げて立ち塞がる。それは梓自身にも、思いもしなかった勇気だった。冷たい夜風が頬を撫で、背中に冷や汗が滲む。

「やめて! やめてくださいっ! この人たち、怪我をしてるんですっ! 先生に診て貰わないとっ!」

 梓の声が夜気を切った瞬間、庄司の肩の力がすっと抜けた。猟銃はゆっくりと揺れ、銃口が吉川の胸から外れて下ろされていく。指先が引き金から滑り落ちるように緩み、男の顔がふっと遠くを見つめるように変わった。

「はい……やめ……ます、けん……」

 庄司はその場に崩れ落ちるように膝をつき、握っていた銃が地面に鈍い音を立てて落ちた。彼の目は虚ろで、口がわずかに動いたが、言葉にはならなかった。砂利に膝が沈み、体が前のめりに傾く。

「え?」

 庄司の様子に、梓は目を見開く。どうやら彼は意識を失っているようだ。

「一体……何が起こったんです?」

「わかりません……いきなり気絶したみたいになって……」

 吉川が庄司に駆け寄り、脈を診る。どうやら本当に意識を失っているだけのようだった。呼吸は安定し、外傷もない。だが何が起きたのかは不明だった。

「色々気になることはありますが、今はここを出ましょう。私が先導します。外に出たら、走らないでください、静かに」

 陽一が梓の腕の中でもぞもぞと動いた。小さな顔が後ろを振り返り、柱に寄りかかる父の姿を見つめる。

「おとうさん……いっしょに、いく?」

 幼い声には不安が滲んでいた。吉川が俊夫を支えながら、優しく答える。

「ああ、一緒だよ。お父さんも、もうすぐ元気になるからね」

 陽一は小さく頷き、再び梓の胸に顔を埋めた。

 梓が沙織に歩み寄り、手を差し出す。

 沙織はぎゅっと梓の手を握り返し、その目にわずかな決意が宿る。吉川は俊夫を支え、毛布でくるんだ陽一を梓が抱くよう指示を出す。動作は一瞬の速さで連なり、部屋の中が慌ただしくなる。

 後ろで庄司が一言呟いたように聞こえた。しかしその言葉は梓の耳には届かなかった。彼女の世界はただ、母子の暖かさと夜の冷たさと、診療所へ向かう一刻の必死さだけで満ちていた。

 道を抜ける間際、梓はふと背後を振り返った。廃屋の前に、庄司が猟銃を握り締めたまま倒れている。月光に照らされたその姿は、まるで操り糸を切られた人形のようだった。

 梓は再び前を向き、歩を進める。

 佐藤一家を誘導しながら、梓と吉川は夜道を進んだ。木々の隙間から時折月明かりが差し込み、足元の小石を銀色に浮かび上がらせる。陽一の体温が腕に伝わり、沙織の足音が後ろから小さく響く。

 ほどなく、診療所の灯りが遠くに見え始め、夜空の冷たい風が頬を撫でてゆく。

 胸の中で祠の名と井戸の戒めが重くのしかかる。だが今は、それを飲み込むしかない。救った命を先に運ぶ――それが今、梓にとって最も大切な行為だった。

◆◆◆

あとがき。

長い第九章が終わりました。

次章は「悲劇」

ひとつの物語の顛末を、どうか見届けてください。

夜、誰かが呼んでいるような気がします。

でも、まだ書けます。

▶︎ https://kakuyomu.jp/works/16818792439317674182

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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