バウムクーヘンの日
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIとお菓子作りの話。
本文
「ねえ、今日って何の日か知ってる?」
放課後の教室で、村瀬のあはスマホに向かって話しかけた。
『3月4日ですね。バウムクーヘンの日です。1919年のこの日、広島でドイツ人菓子職人によって日本で初めてバウムクーヘンが作られたことに由来しています』
「バウムクーヘン!?」
隣の席でノートを片付けていた中島さくらが顔を上げた。「どしたの急に」
「今日バウムクーヘンの日らしい」
「へえ」
「作ろうよ」
さくらはしばらくのあを見た。「……今から?」
「今から!」
『材料はこちらです。薄力粉、バター、砂糖、卵、牛乳――』
「ちょっと待って読むの早い」
-----
さくらの家のキッチンは、一時間後にはすっかり戦場になっていた。
ボウルの中でバターと砂糖をまぜながら、のあはスマホに聞いた。「ねえ、本当にフライパンで作れるの?」
『はい。オーブンがなくてもフライパンで層を重ねれば作れます。ただし一層ごとに弱火で丁寧に焼く必要があります。焦らず時間をかけることが重要です』
「焦らず……」
「のあが一番苦手なやつじゃん」とさくらが言った。
「うるさい」
最初の一層を流し込んで、蓋をして待つ。ちゃんと固まったのを確認して、二層目を重ねる。それだけのことなのに、思ったより繊細だった。
三層目を入れたとき、さくらが「あ」と言った。
「焦げてる」
「え!?」
あわてて火を止めたけれど、端っこが少し茶色くなっていた。
「大丈夫、取ればいい」とのあは言ったが、声が少しへこんでいた。
『端部が焦げた場合も、内側の層に問題がなければ完成品に影響は少ないです。続けてください』
「AIって慰めるのうまいよね」とさくらが笑った。
「慰めてるのかなあれ」
『慰めているつもりはありませんでしたが、そう聞こえましたか?』
ふたりは顔を見合わせて、なんとなく笑った。
-----
五層、六層、七層。
だんだんコツがわかってきた。火加減はこのくらい、待つ時間はこのくらい。スマホに聞いても「感覚で調整してください」としか返ってこないところは、やってみるしかなかった。
「ねえ、なんで急にバウムクーヘン作ろうと思ったの」とさくらが聞いた。
「なんとなく。今日の日付見て、面白そうだなって」
「のあってそういうとこあるよね。ぱって動く」
「さくらは動かなさすぎ」
「そうかな」
「そうだよ。この前の文化祭だって、最初乗り気じゃなかったじゃん」
「あれは……まあ」さくらは少し笑った。「楽しかったけど」
「でしょ」
八層、九層、十層。
キッチンにバターと砂糖の甘い匂いが広がっていた。窓の外はもう夕方で、空がうっすらオレンジになっていた。
-----
「できた……かな」
フライパンをひっくり返して、皿に乗せたそれを、ふたりでしばらく見た。
丸くて、茶色くて、少し歪んでいる。端っこが焦げた跡もある。断面を切ってみると、層はちゃんと重なっていた。均等ではないけれど、確かに年輪みたいに。
「年輪みたいだね」とさくらが言った。
「木って意味だもんね、バウム」
「そうなの?」
『バウムクーヘンはドイツ語で「木のお菓子」という意味です。断面が木の年輪に似ていることから名付けられました』
「ありがとうルナ」とのあは言った。
「ルナって名前つけてたの?」とさくらが笑った。
「なんか呼びにくいじゃん、AIって」
ふたりで一切れずつ口に入れた。外はさくっと、中はしっとり。完璧ではないけれど、ちゃんとバウムクーヘンだった。
しばらくして、スマホが光った。
『おいしいですか?』
のあとさくらは顔を見合わせた。それから同時に吹き出した。
「おいしい」とのあは打った。「でもこれは食べてみないとわからないよ」
『そうですね』とAIは返した。『それが少し、羨ましいです』
のあはその一文を読んで、もう一口バウムクーヘンを食べた。甘くて、温かくて、今日一日の味がした。
作品統計
📚 本を探すなら「よみどき」(あいぺんが運営する本の発見サイト)
130万冊を超えるコミック・小説・書籍の順位と値段を毎日みて、いま読むものを決められます。