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第70話 真夏の彷徨、あるいは罪の蓋

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/5/14 📚 シリーズ: 終焉の探偵 📝 3,807文字 ✅ 全年齢

あらすじ

終焉の探偵 - 第70話 真夏の彷徨、あるいは罪の蓋

本文

翌朝、目が覚めると、隣の布団はもう冷たくなっていた。

 枕元には、『祭りの準備で集まりがあるから行ってくる。朝ごはんは適当に食べて』という走り書き。

 体が重い――やっぱり体調はあがったりさがったりみたいだ。

 まるで中学校の頃に戻ったみたい。

 一人になりたくなかった。

 梓がいなくなると、昨夜のあゆみちゃんたちの賑やかさが嘘のように、古民家の静寂が耳に痛い。

 私は簡単な食事を水で流し込むと、サンダルを突っかけて外へ出た。

 ――そうだ。探偵さん。

 探偵さんを誘って蛍を見に行こう。

 スマホを使って連絡してみるけど、応答もなくて既読もつかない。

 そんなに広い村って訳でもないし、探しに行こうかな。

 ミーンミンミンミン。

 ――外は、暴力的なまでの快晴だった。

 ジリジリと肌を焼く日差し。

 乾いた道から立ち上る陽炎が、村の景色を油絵のように歪ませている。

 蝉時雨が、まるでノイズのように脳味噌を揺さぶった。

「……探偵さーん」

 あてどなく名前を呼んでみるけれど、返事はない。

 吉川先生の診療所、裏の土蔵、村の広場。

 先生や伊織さんに聞いても、昨日から戻っていないと言われた。

 きっと村の何かを探っているんだろうな。

 あちこち歩き回ったけれど、あの黒いコートの姿は見当たらない。

 体調は最悪だった。

 視界の端に、時折白い火花のようなものが散る。地面がスポンジみたいに柔らかく感じて、足元がおぼつかない。

 それでも私は歩き続けた。

 足を止めたら、思考の隙間から「何か」が溢れ出してきそうで、怖かったから。

 村はずれの林道に差し掛かった時だ。

 木陰の濃い闇から、ジャリ、と砂利を踏む音がした。

「――おや、真弓ちゃんじゃなかか。ずいぶんとまぁ大きくなってなぁ!!」

 ビクリとして顔を上げると、猟銃を肩に担いだ初老の男性が立っていた。

 誰だっけ。えーっと、そうだ、猟師の庄助さんだ。

 日に焼けた顔の皺に、玉のような汗が溜まっている。

「あ……庄助さん、こんにちは」

「おお、覚えとってくれたとか。こげな暑い中、どこ行くんね。顔色が、ちと悪かぞ」

「ちょっと、散歩をしてて……」

 言い訳をしながら、私の視線は吸い寄せられるように、庄助さんの手元に釘付けになった。

 その太い指に、無造作に掴まれているもの。

 鮮やかな青い羽を持つ、一羽の鳥だった。

 力なく垂れ下がった首。

 白く濁った瞳。

 そして、くちばしの端から一筋、乾きかけた赤黒い線が流れている。

「ああ、これか。さっき仕留めたんじゃ」

 私の視線に気づいた庄助さんが、悪気なくその亡骸を掲げてみせた。

 ぶらり、と鳥の体が揺れる。

「綺麗な羽根をしとるが、畑を荒らす害鳥じゃけぇな。可哀想じゃが、これも村の守りじゃ」

 ――可哀想じゃが。

 その言葉が、耳の奥で、ぐわんと歪んで反響した。

 害鳥だから。

 村を守るためだから。

 だから、命を奪っても仕方がない。

 ドクン、と心臓が跳ねた。

 強烈な既視感(デジャヴ)が、背骨を駆け上がる。

(……あ)

 逆光の中で、ぶら下がっている鳥の姿が、一瞬、別のものに見えた。

 コンクリートの床。

 制服のリボン。

 投げ出された白い手足。

 私の可愛い後輩だったはずの、千晶ちゃんの顔をした――肉塊。

『――先輩、見てください!』

 幻聴が聞こえた。

 あの日、あの時、私の手の中にあった硬い感触。

 肉を断つ、鈍い衝撃。

 飛び散る飛沫の温かさ。

「うっ……!?」

 胃袋が裏返るような吐き気に、私は口元を押さえてその場に膝をついた。

 世界が赤い。

 青い空も、緑の木々も、全部が赤黒いフィルター越しに見える。

「おい、大丈夫か!? やっぱ熱があるんじゃ……」

 庄助さんが駆け寄ってくる。

 でも、その手にある「死」が、私を責め立てる証拠品に見えて、喉から悲鳴が漏れた。

「き、来ないで……っ!」

 私はサンダルが脱げるのも構わず、アスファルトを蹴った。

「真弓ちゃん?」

「ごめんなさい、ごめんなさい……!」

 誰に謝っているのか、自分でも分からなかった。

 庄助さんにか。死んだ鳥にか。

 それとも、この手で息の根を止めた、あの子にか。

 私は走った。

 蝉の声が、私の罪を糾弾する叫び声のように降り注ぐ中を、ただ無我夢中で。

(私は、人殺しだ)

 その事実は、真夏の太陽よりも熱く、重く、私を焼き焦がしていった。

◇

「はぁ、はぁ、はぁ……っ!」

 忘れていたんじゃない。

 あまりに辛くて、自分が許せなくて、心を麻痺させていただけだ。

 その下には腐乱した罪悪感がずっと横たわっていたんだ。

(人殺し。人殺し。人殺し)

 蝉の声が、そう合唱しているように聞こえる。

 私は自分のTシャツの裾で手をこすった。

 何度こすっても、あの時の生暖かい感触が消えない。肉を断った、あの嫌な重みが指に残っている。

「探偵さん……っ! どこ……!?」

 会いたい。あの人に会いたい。

 だってあの人がいっただもん。私が、私が千晶ちゃんに手を下せって!!

 ううん、違う。探偵さんのせいにしてる。

 決めたのは私じゃない!?

 探偵さん、どこ? あの人だけが、私を裁いてくれる。あるいは許してくれる。

 今の私には、彼以外の人間は眩しすぎて、直視できない。

 ◇

 足がもつれて、分校の前の坂道で膝をついた。

「――真弓ちゃん?」

 頭上から、鈴を転がしたような声が降ってきた。

 顔を上げると、麦わら帽子を被った美穂ちゃんが、ジョウロを持って立っていた。

 分校の花壇に水をやりに来ていたのだろう。

「どがんしたん!? 顔色、真っ青やないの!」

 美穂ちゃんが慌てて駆け寄ってくる。

 その瞳は澄んでいて、一点の曇りもない。

 綺麗だ。

 だからこそ、今の私には耐え難いほど恐ろしかった。

「大丈夫? 熱があるんやない? 保健室、鍵開けるけぇ……」

 美穂ちゃんの白い手が、私の額に伸びてくる。

 やめて。

 触らないで。

 私の汚れが、あなたに移ってしまう。

「触らないでっ!」

 私は反射的にその手を振り払ってしまった。

 パシッ、と乾いた音が響く。

「あ……」

 美穂ちゃんが驚いて目を丸くした。

 傷ついたような顔。

 やってしまった。私は、心配してくれた友達の手を。

「ご、ごめん……ごめんなさい……!」

「真弓ちゃん……?」

「あのね、美穂ちゃん。探偵さん……黒いコートの人、見なかった?」

 私は謝罪もそこそこに、縋るように尋ねた。

「え? あ、あの人なら……さっき、村の広場の方で見たような気がするけど……」

「ありがとう!」

 私は立ち上がり、美穂ちゃんから逃げるように走り出した。

 背中で「真弓ちゃん! 無理したらいけんよ!」という声が聞こえたけれど、振り返れなかった。

 ◇

 広場についても、彼の姿はなかった。

 いるのは、盆踊りの櫓(やぐら)を組み立てている村の大人たちだけ。

 太陽は真上にあり、影すらも焼き尽くそうとしている。

 フラフラと歩いていると、橋の欄干に自転車を止めて休んでいる人影があった。

 健太くんだ。

 彼は本を読みながら、ペットボトルの水を飲んでいた。

「……あれ、真弓ちゃん?」

 私に気づいた健太くんが、眼鏡の位置を直しながら近寄ってくる。

「どしたん、そんな息切らして。……っていうか、なんか様子変じゃぞ?」

 健太くんは鋭い。

 私の異常な雰囲気を察して、眉をひそめた。

「ねえ、健太くん。探偵さん、知らない?」

「探偵さん?……黒コートのよそもんならさっき広場におらんかったか?」

「いなかったの! どこにもいないの!」

 叫んだ拍子に、視界がぐらりと揺れた。

 地面が迫ってくる。

「おいっ!」

 倒れそうになった私を、健太くんがとっさに支えてくれた。

 彼の腕の体温。生きた人間の温かさ。

 それが、私が奪ってしまった千晶の体温と重なって、私は悲鳴を上げそうになった。

「放して……!」

「落ち着きんさい! お前、手ぇ冷えきっとるぞ。これはいけん、梓ちゃんか先生呼ばんと……」

「いいの! 私は探偵さんに会いたいの!」

 私は健太くんの腕を強引に解いた。

 彼は呆気にとられた顔で私を見ていた。

「真弓ちゃん、お前……」

「ごめんね、健太くん。あとで、ちゃんと説明するから……!」

 私はまた走った。

 足の裏が痛い。喉が渇いて張り付きそうだ。

 でも、止まるわけにはいかない。

 ◇

 それから、どれくらい歩き回っただろう。

 村中を探して、探して、探して。

 誰に聞いても「さっきまでそこにいた」「あっちへ行った」と、蜃気楼のように捕まらない。

 太陽が傾き始め、空が赤く染まりだした。

 その赤色が、私の記憶の蓋を完全に焼き切った。

(殺した。殺した。殺した)

 あの子の笑顔。

 あの子の最期の表情。

 私の手のひらの感触。

「う、ぅぅ……」

 限界だった。

 心も体も、もう一歩も動けない。

 私は村の外れ、鬱蒼とした森の入り口にある、古い鳥居の前まで来ていた。

 朱色が剥げ落ちた鳥居が、夕日を浴びて、まるで血に濡れているように見える。

「……探偵、さん……」

 名前を呼ぶ声も、カスカスに枯れていた。

 その場にうずくまり、膝に顔を埋める。

 もう、ダメだ。

 このまま私が溶けてしまえばいい。そうすれば、この罪も消えるのかな。

「……やあ」

 頭上から、待ち焦がれていた声が降ってきた。

 幻聴かと思った。

 恐る恐る顔を上げると、逆光の中に、黒いコートの裾が揺れていた。

「探偵、さん……?」

「ずいぶん探したよ、ワトソン君。……まるで迷子の子供みたいだ」

 彼は鳥居の下に立っていた。

 世界から切り離された影のように、どこか寂しげに。

 でも、その瞳だけは、確かに私を捉えていた。

 張り詰めていた糸が、プツリと切れた。

「探偵さんっ……!」

 私は地を這うようにして、彼の足元へ縋り付いた。

 コートの裾を握りしめる。

 ああ、やっと会えた。

 私の罪を、この人なら――。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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