第87話 運命
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あらすじ
終焉の探偵 - 第87話 運命
本文
戦闘は、一秒目から始まった。
探偵さんが手刀を一閃した瞬間、壁の肉人形たちが一斉に襲いかかってきた。
四方八方から。天井からも。床からも。
この空間全体が久我の身体であり、全方位が攻撃手段だった。
「真弓くん、僕のそばを離れるな!」
探偵さんの右手が淡く光り、飛びかかってきた肉人形を薙ぎ払う。
光の軌跡が弧を描く。触れた肉人形が灰になって崩れていく。
でも、倒しても倒しても、壁から新しいのが湧いてくる。
そして――繭から。
とくん。ぐちゅり。
三十秒ごとに、新しい分体が清音さんの身体から産まれ続けている。
「きりがないな」
探偵さんが身構えながら呟いた。汗が額を伝っている。
「根元を断たないと。清音さんを繭から引き離さないかぎり、兵隊は無限に増える」
「でも、久我が――」
久我が肉塊の上に立ちはだかっていた。足元の触手が蠢き、空間そのものが彼の防壁になっている。
清音さんの繭は、久我の真後ろ。心臓部の根元。
一番守られた場所に据えられていた。
「梓君」
探偵さんが、戦いながら振り返った。
梓は立っていた。血まみれの拳。膝が震えている。弓はとっくに消えた。
でも、目だけは前を向いていた。清音さんの繭だけを見ていた。
「……僕が道を開く。君は清音さんのところへ行け」
「……行けるわけないでしょ」
梓が、かすれた声で言った。笑いじゃない。事実の確認。
「もう力がないの。走れるかも怪しいわ」
「聞いてくれ」
探偵さんの声が真剣だった。触手を手刀で弾きながら、でも目だけは梓を見ていた。
「君だけが清音さんを救うことが出来る。あの忌まわしい網から、君が触れることさえ出来れば」
「……本当に?」
「本当だ。ただし――」
探偵さんの声が、一瞬だけ詰まった。
「力がない状態でそれをやれば、身体そのものを燃料にすることになる。……命を、削ることになる」
沈黙。
繭が収縮した。とくん。ぐちゅり。また一つ、分体が産まれた。
梓が、その音を聞いた。
血まみれの拳を、握り直した。
「……それ、最初に言って」
「梓君――」
「馬鹿にしないで」
梓の声が空気を裂いた。低い。静か。でも、火が灯っている。
「清音があんな風に使われてるのに、私の命が惜しいと思うの?」
その言葉を聞いて、探偵さんは静かに口を開いた。
◇
「真弓くんは僕の後ろに。きっと守るからね」
探偵さんは、私を見つめたまま、笑った。
いつもの、困ったような、でも温かい笑顔。
でもその目は、もう迷っていなかった。
「……メイサ」
静かな声。
肉壁の軋みの中に、それだけが通った。
身体を縛る鎖が、微かに光って応えた。
『……主よ』
どこからか、女性の声。鎖の、声。
「これが最後の仕事だ。……力を貸してくれ」
鎖が、軋んだ。
まるで返事をするように。
『……はい。最後まで、お供いたします』
探偵さんが、目を閉じた。
そして、声を変えた。さっきまでの僕じゃない。もっと深い、もっと遠い場所から出す声。
「夜の鎖よ、異界の銀鎖チェイン・オブ・ザ・ビヨンドよ」
詠唱。
前に聞いた、あの呪文。でも、あの時とは違う言葉が続いた。
「全ての契約を解き――在るべき姿かたちに還れ」
綺麗な女性の声が応える。
『次元干渉封印ディメンション・シール――完全解除フル・リリース』
あの時は一部解除だった。
今度は――全部。
『神性漏出ディバイン・リーク――限界値を突破。回帰不能ポイント・オブ・ノーリターンに到達』
回帰不能。
もう戻れない、ということ。
『……主よ。これより先は、もう……』
涙をはらみ、泣きそうな女性の声が聞こえる。
「知ってるよ、メイサ」
探偵さんが、ふわり笑った。
「最初から、そのつもりだ」
銀の鎖が、光を放った。
砕けたんじゃない。形が変わったのだ。
腕に巻きついていた細い鎖が解けて、伸びて、探偵さんの全身を一瞬包み込んだ。
同時に、黒いコートが燐光を纏う。
鎖は再び一本に集まり、探偵さんの右手に収まった。
でも、もう、さっきまでの鎖じゃない。
銀白の光を纏った、長い一振りの剣。触れるもの全ての因果を断ち切る、きっと最後の武器。
眩い光が、溢れ出した。
此岸の光じゃない。もっと遠い。泡の外側に広がる、無限の海の光。
目を開けていられないほどの光量。でも不思議と温かかった。にくゑの甘くて鉄錆びた匂いを、全部押し流すような。
探偵さんの姿の全身を不思議な光が彩ってゆく。
肉壁が悲鳴を上げた。光に触れた部分から、蒸発するみたいに消えていく。
「私は、終焉の探偵。世界の外から来た漂流者」
声が変わった。低くて深くて、世界の底から響くような声。
一人称が、僕から私へ。
光の奔流が、迫りくる肉の壁を押し返す。
膨張していた空間が、一瞬で広がった。
「贖罪のために数多の世界を巡り、滅びと戦い続ける者」
探偵さん――いいえ、超越者が、銀鎖の剣を構えた。
剣の先端が、肉塊の中心に融合した久我を指す。
「終焉存在。お前の物語は、ここで書き直す」
肉塊の奥から、久我の声が轟いた。
『やってみろッ! これが僕の物語だ! 誰にも書き換えさせない!!』
銀白の刃が、唸りを上げる。
迸る光と肉が激突する。
白銀の剣が空を一閃した。閃光の刃が肉人形の群れを焼き払い、繭への道が、一瞬だけ開いた。
「私が道をつくる、行けッ!」
探偵さんの声に、弾かれるように梓が駆け出した。
◇
肉の壁を殴り、蹴り、全身でぶつかりながら、梓は進んでいた。
膝が笑う。足が縺れる。転ぶ。立ち上がる。
爪が剥がれた。肘の皮が破れた。構わない。
肉人形が行く手を塞ぐ。拳で殴る。拳じゃ効かない。体当たりで押しのける。人間の力では、にくゑは殺せない。でも、どかすことはできる。
繭が、近づいてくる。
あと十メートル。あと五メートル。
久我の声が降ってきた。
探偵さんと戦いながらもその声には余裕がある。
「無駄だよ。力が残っていない巫女に何ができる?」
答えない。息がない。走ることに全部使っている。
「触れたってどうにもならない。彼女を繋いでいるのは因果の糸だ。巫女の霊力なしに断てるわけが――」
「うるさい」
梓の声が、空気を裂いた。
低い。静かで、獰猛。
霊力じゃない。人間の、意志の声。
「清音は、私の恋人だから」
あと三メートル。
「あんたが何を握ってようが、どんな糸で縛ってようが」
あと一メートル。
「私が取り返す」
手が、繭に触れた。
ジュッ。
影が焼ける音。煙が上がった。
同時に、梓の身体が光った。
淡い光。弓の時みたいな緋色じゃない。もっと深くて、もっと白い光。
身体そのものが、祓いの器として起動した。
――そして、代償が始まった。
梓の顔から、色が消えた。
皮膚が紙みたいに白くなっていく。唇が青ざめる。目の下に影が落ちる。
命を、燃やしている。
「梓ッ!!」
私が叫んだ。
梓は振り向かなかった。
繭の膜を両手で掴む。指が焼ける。掌の皮が蒸発する。それでも離さない。
引き剥がすように、膜を裂いていく。
梓の白い光が、繭に食い込んでいく。にくゑの因果の糸が、一本ずつ焼き切られていく。
ぷつん。ぷつん。ぷつん。
清音さんの身体からケーブルが外れていく。赤黒い管が千切れて、粘液を吐き出しながらのたうつ。
でも、梓の身体もまた崩れていく。
髪の毛が白くなっていく。黒い艶のあった長い髪が、毛先から色を失っていく。
とくん。ぐちゅ……
脈動が乱れた。繭が形を保てなくなっていく。
あと一本。最後のケーブル。清音さんの背中に深く根を張った、一番太い管。
「――離れ……なさいッ……!!」
梓が咆えた。
全身から、光が噴き出した。白い。白すぎる。目が潰れそうなほどの。
命の最後の一滴を、絞り出すような光。
最後のケーブルが、千切れ飛んだ。
同時に。
梓の身体が、糸の切れた操り人形みたいに崩れ落ちた。
◇
床に倒れた梓の横に、清音さんの身体が繭から滑り落ちてきた。
ぐったりしている。呼吸があるのかないのか、ここからでは分からない。
私は走った。
探偵さんと梓が開けた道を転がるように。
「梓ッ! 清音さんッ!」
梓は動かなかった。
目は開いている。でも、焦点が合っていない。
髪が、半分以上白くなっていた。顔は老婆みたいに皺が寄って、梓の顔じゃなくなりかけている。
命を燃やした代償。
呼吸は、ある。浅くて、遠くて、消えそうだけど。
「梓……梓ッ……!」
返事はない。意識がない。瀕死だった。
私は清音さんの方に手を伸ばした。
清音さんは梓の隣に横たわっていた。
痩せ細っている。肋骨が浮いている。でも、背中に繋がっていたケーブルの痕から赤い液が漏れ出していて。
目が、うっすら開いた。
「清音さん……!」
「……まゆ……み、ちゃん……?」
掠れた声。でも、意識があった。
「はい……! 大丈夫です、今助け……」
そこまで言った瞬間。
足元が、崩れた。
◇
ズズズズズ……ッ!
地鳴り。
地下空間全体が、痙攣した。
中央の肉塊――にくゑの心臓が、異常な速度で脈打ち始める。
ドクン! ドクン! ドクン!
制御装置を失った原子炉みたいだ。母胎を失ったにくゑが、暴走している。
そして、暴走するにくゑが――目の前にいる私を、掴んだ。
「――あ」
心臓の裏側で、何かがパチンと弾けた。
足首に肉が巻きつく。ふくらはぎを這い上がる。太ももを覆う。
熱い。胸が焼ける。
「ぐ……あぁっ……!」
膝から崩れた。
清音さんに伸ばしかけた手が、途中で止まった。
肉が、私の手首を掴んでいた。
視界が明滅する。現実の風景の上に、見たことのない映像がノイズみたいに重なる。
燃える村。崩れ落ちる家々。笑顔のまま溶けていく人々。
――病院のベッドで、冷たくなっていく「私自身」の姿。
(……これは……正史の……記憶……?)
吉川先生が絶望し、久我が狂気に堕ちていった、あの「本来あるべきだった歴史」。
津波のように、私の中に流れ込んでくる。
『運命の分岐器』
どこからともなく聞いたことない声がする。男とも女ともつかない無機質な声。
いや、音。
久我じゃないっ! この音は一体何!?
『世界は修正を求めている……お前の記憶を解放するのだ。お前を起点に、世界はお前を起点に修正変更されたが故にその結末もまたお前の魂に記憶されている。』
「いや……やだ……っ!」
私の意思とは関係なく、身体が光り始めた。
影みたいな、泥みたいな光。胸の奥からにくゑが溢れ出して、全身を覆っていく。
足が床に融合し始めていた。清音さんの身体に差し込まれていたのと同じケーブルが、私の背中からぬるりと伸び始めた。
清音さんの代わり。
世界を終わらせるためのスイッチとして、私が起動しようとしている。
「真弓ッ!」
探偵さんの声が、遠い。水の底で聞いているみたい。
◇
私の意識が沈んでいく中で。
見えた。
清音さんが、動いていた。
腕が動いた。指が動いた。膝が動いた。
ずるり、ずるり、と。
倒れた身体で、床を這っていた。
私の方じゃない。
梓の方へ。
「……あ、ず……さ……」
ケーブルの痕から、赤い液が床に線を引いている。
痩せた腕で身体を引きずって、一センチ、一センチ。
梓は動かない。白くなった髪が床に広がっている。
目は開いているのに、何も見えていない。
清音さんの指が、梓の手に触れた。
握った。
冷たい指が、梓の血まみれの拳を、そっと包んだ。
「……ごめん、ね……あず、さ……」
掠れた声。
「……わたし……の、せい、で……こんな……」
梓の指が、微かに動いた。
意識がないのに。反射なのか。それとも、もっと深い場所にある何かが反応したのか。
清音さんが、泣いていた。
涙が、梓の手の上に落ちた。
「……ずっと……聞こえて、た……の……」
繭の中でも。母胎にされている間も。
梓が叫んでいたのが、聞こえていた。
「……殺す、って……叫んで、た……わたしの、ため、に……」
清音さんの声が、途切れそうになる。
「……うれし、かった……梓が……来て、くれて……」
清音さんの身体が、小さく痙攣した。
ケーブルの痕から流れ出す液が、止まらない。
母胎として使われ続けた身体は、もう限界を超えていた。柳田先生と同じだ。にくゑが支えていたものを引き剥がしたら、身体が持たない。
(……嘘でしょ……)
二人の姿が見えている。
肉に囚われた私の目の前で。手が届かない場所で。
清音さんが、梓の手を握ったまま、微笑んだ。
「……あずさ……帰ろう、ね……一緒、に……」
梓の目に、光が戻った。
ほんの一瞬。焦点が合った。清音さんの顔を、見た。
そして――梓が、笑った。
あの強気な笑い方じゃない。
穏やかで、幸せそうで、こんな場所で見るはずのない笑顔。
白くなった指が、きゅっと清音さんの手を握り返した。
「……うん」
たった一言。
かすれて、消えそうな声。でも、確かに。
二人の手が、重なっていた。
清音さんの目から、最後の涙が零れた。
そして。
静かに。
二人の手から、同時に、力が抜けた。
……指だけが、絡み合ったまま。
◇
「そう、そうだ!! 二人は共に死ぬ! 正史の通りにっ!!」
――狂ったような叫び声が朧に耳に入ってくる。
先生が灰になった。
清音さんが死んだ。
梓が死んだ。
全部、私の目の前で起きた。
全部、私の手が届かない場所で。
怒りも、悲しみも、もう限界を超えていて、何も感じなかった。
感じないことが、一番怖かった。
肉が、腰まで覆っていた。
下半身はもう動かない。床に融合している。背中からケーブルが伸びて、にくゑの心臓に繋がっている。
でも、上半身はまだ自由だった。腕は動く。目は見える。声も出る。
探偵さんが、振り返った。
私を見た。
肉に半分呑まれた私を。
その瞳が、揺れた。
いつもの飄々とした光じゃない。深くて、悲しくて、迷いの色。
分かった。
探偵さんは、迷っている。
世界を救うか。私を救うか。
かつて彼は、世界を救おうとして失敗したと言っていた。自分の故郷を、自分の手で終わらせてしまったと。
私を助ければ、世界が終わるかもしれない。
世界を救うには――私を、ここで断つしかないのかもしれない。
「……探偵さん」
声が出た。かすれていて、自分の声じゃないみたいだった。
「私に構わないで」
探偵さんの目が、見開かれた。
「……久我を。久我を止めて」
笑おうとした。うまく笑えなかった。
「私のことは……いいから」
探偵さんの瞳が、私を見つめていた。
迷いが。
消えた。
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