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第88話 銀鎖の剣

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/6/1 📚 シリーズ: 終焉の探偵 📝 3,574文字 ✅ 全年齢

あらすじ

終焉の探偵 - 第88話 銀鎖の剣

本文

赤い膜の向こうで、光が閃いた。

 私の意識はもう半分沈んでいた。肉に覆われた視界の隙間から、断片的に見えている。感じている。

 探偵さんが、駆けた。

 銀鎖の剣が唸りを上げて弧を描く。肉壁から噴き出した触手の群れを、一閃で焼き払った。

 剣が触れた因果そのものが切り裂かれて、最初からなかったかのように消えていく。

 光を纏とい。黒いコートをたなびかせ、探偵さんは久我に詰め寄る。

「久我樹」

 探偵さんの声が、空間に響いた。低くて深い、超越者の声。

「出てこい。お前の物語を終わらせに来た」

 肉塊の中心から、声が返ってきた。

 もう人間の口から出ている声じゃない。空間全体が振動して生み出す、地鳴りみたいな声。

『……終わらせる? 僕を?』

 笑い声。壁が震えた。

『来いよ、探偵さん。――この空間全体が僕だ。僕の肉だ。僕の物語だ』

 天井から肉柱が落ちてきた。

 探偵さんが横に跳ぶ。刃を振るう。肉柱が因果ごと消滅する。

 でも、消えた場所からすぐに新しい肉が生えてくる。

 床が隆起する。壁が迫る。天井が下がる。

 空間そのものが久我の意志で収縮していく。探偵さんを、万力みたいに潰そうとしている。

 探偵さんが鎖を振るう。空間を切り開く。潰される度に切り開く。

 でも、息が荒い。光が、少しずつ弱くなっている。

(……探偵さん……)

 私の意識が沈む中で、それだけは見えていた。

 探偵さんは、消耗している。

◇

 封印を解いた代償なのだろうか?

 その封印を解いた今、力は解放されている。でも同時に、その力に身体が耐えられなくなっていく。

 鞭を振るう度に、光が揺らぐ。

 足元に血が滴っている。光の衣の下で、身体が壊れ始めている。

 それでも、探偵さんは止まらなかった。

 一歩。また一歩。

 肉壁を切り裂いて。触手を焼いて。迫りくる牙を叩き折って。

「そこにいるんだろう? もう逃げることも隠れることもできない」

 探偵さんの言葉に、ぞわりと壁が動き出し、数多の肉人形と、それに守られた何かが姿を現した。

 赤黒い筋肉の塊。

 太い血管が四方八方に伸びている。中心に、人の形が透けて見える。

 久我だ。肉と融合して、もう人の形を半分失っている。

 あれは――にくゑの心臓?

『無駄だ!』

 久我の声が空間を揺らした。

『いくら切ったって、こちらには清音の霊力で生み出した分体がまだ何千と眠っている! 一人で僕を倒せるわけがない!』

「お前ならわかるだろう?」

 探偵さんが、静かに言った。

 鞭を構え直す。血が手首を伝う。

「千や万の木偶人形が何の役にたつ?」

 一歩。

「これだけの人を犠牲にして。これだけの命を使い潰して。……それで手に入れたものは何だ、久我樹」

 沈黙。肉塊の脈動が、一瞬だけ乱れた。

 探偵さんが、にくゑの心臓の前に立った。

「……何も手に入らなかった。そうだろう、終焉存在よ」

『黙れ』

 心臓から触手が噴き出した。十本。二十本。全方位から。

 探偵さんが、腕を振り上げた。

 先端が白熱して伸びた。剣の光が鞭のように伸び、宙に十字の軌跡を刻む。

 触手が全て切り飛ばされる。因果が断たれる。再生する間もない。

 そして、光はそのまま――蛇のようにうねりながら、久我に向かって突き進んでゆく。

 幾つもの肉の触手がそれを阻もうとするが、その軌跡にあるものは全て蒸発していった。

 ヒュン――と。

 白銀の光が、肉塊を貫いた。

 久我の胸を巻き取り、背後の肉塊の血管を絡め取り、締め上げる。

『――ぐ、あ……ッ!』

 久我の声が、初めて苦痛に歪んだ。

 空間の声じゃない。人間の、喉から出た声。

「この物語を終らせよう」

 探偵さんが、光の帯となった剣をを引いた。全体重をかけて。

「お前とにくゑの、接続を――断つっ!」

 ぶちぶちぶちっ。

 肉が千切れていく。光の縛めが久我の身体に食い込んで、肉塊との接続を一本ずつ引き裂いていく。

 清音さんの時と同じだ。ケーブルが抜ける。管が外れる。融合が解除されていく。

 ぶちんっ!

 最後の血管が千切れて、久我の身体が肉塊から引き剥がされた。

 ドサリ。

 乾いた音。

 にくゑから切り離された久我が、糸の切れた人形みたいに床に崩れ落ちた。

 鎖が、だらりと垂れ下がった。光が消えかけている。

◇

 影達は消えていた。

 そこに横たわっているのは、ただの男だった。

 痩せて、ひび割れて、指先から少しずつ灰になり始めている。

 柳田先生と同じだ。清音さんと同じだ。

 にくゑを外したら、身体が持たない。

「……やられた、な」

 久我が、笑った。

 自嘲。でも、その笑い方は不思議と穏やかだった。

 探偵さんは静かに見下ろしていた。

 剣を下ろして。

 光が弱まって剣が消えてゆく。

 勝者の驕りも、怒りもない。凪いだ水面みたいに静かな瞳。

「……久我樹」

「……名探偵さん。一つだけ、聞いてくれよ」

 久我が、震える手を伸ばした。天井を掴もうとするみたいに。

「俺は、本当は……はるかのことが……好きだったよ」

 息が止まった。

 柳田先生。久我に利用されて、怪物に変えられて、灰になった先生。

「伊織への未練じゃなかったんだ。あいつが直樹と幸せにやってるのは、嬉しかったよ。本当に」

 声が掠れる。灰になっていく喉で、最後の言葉を絞り出している。

「でも……俺には、何もなかった。救われたこの世界で、俺だけが要らない人間だった。誰の物語にも……俺は、書かれなかったんだ」

 指先が灰になって崩れていく。

「……はるかだけが、俺を見てくれてた。俺の怪談を最初に褒めてくれたのも、あの人だった」

 久我の目に、涙が光った。

「なのに……俺がやったことは」

 声が震えた。

「あの人を、一番ひどい目にあわせることだった」

 灰が、膝まで登ってきている。

「……真弓ちゃん」

 赤い膜越しに、久我の目が私を見た。

 能面じゃない。冷笑じゃない。壊れそうに歪んだ、人間の目。

「ごめんな」

 ――けれど。

 次の瞬間、その目に影が差した。

 久我の唇が、微かに笑った。

 穏やかな笑みじゃない。最後に残った、あの冷たい光。

「でもね、名探偵」

「……何だ」

「遅いよ」

 探偵さんの目が、見開かれた。

「にくゑのネットワークはもう完成してるんだ。真弓ちゃんが取り込まれた時点で、正史への書き換えは始まっている」

 久我の身体が、胸から崩れ始めた。灰が風に乗って散っていく。

「僕が消えても、もう止まらない」

 最後の視線が、私を射抜いた。

「……正しい歴史が、帰ってくるのさ」

 その言葉を最後に。

 久我樹の身体は、黒い灰になって崩れ落ちた。

 風もない地下空間で、灰がゆっくりと散っていく。

 柳田先生の灰と、同じ色だった。

 後には何も残らなかった。

 彼が生きた痕跡すら。

◇

 久我が消えた。

 終わった。

 そう思った瞬間。

 ズズズズズ……ッ!!

 地鳴り。

 背後の巨大な肉塊が、狂ったように脈打ち始めた。

 ドクン!! ドクン!! ドクン!!

 制御者を失ったにくゑの心臓。でも止まらない。

「――歴史の修正力が、運命が動き出してしまったのか!?」

 探偵さんが焦ったような声をあげた。今までにないくらい。

 制御者を失ったにくゑの心臓。でも止まらない。

 そして、回路の中心にいるのは――私だ。

 身体が裂けるように熱い。

 肉が全身を覆い尽くしていく。赤い膜が視界を奪っていく。

 背中から伸びたケーブルが、にくゑの心臓と直結して、正史の記憶が津波みたいに流れ込んでくる。

 ううん、違う。

 私から流れ出している。

 私の見た悪夢が、現実になろうとしている。

『そう、歪みであるお前を取り込み、歴史は正しく修正される』

 どこからか声がする。

 私の――私のせいで、あの世界が変わってしまう。

 私がいるばかりに――。

 燃える村。崩れる世界。溶けていく人々。

 本来あるべき歴史が、私を通して現実を上書きしようとしている。

 肉の殻が、私を完全に包み込もうとしていた。

「真弓!」

 探偵さんの声。

 遠い。でも聞こえた。

 赤い膜が閉じていく。最後の隙間から、探偵さんの姿が見えた。

 光が弱まっている。身体中から血を流している。片膝をついている。

 手の中の鎖は光を失いかけて、ただの銀色の金属に戻りつつある。

 それでも立ち上がって、こちらに手を伸ばしている。

「……待っていろ。いま行く」

 その声は、震えていた。

 でも、目は震えていなかった。

 探偵さんが立ち上がった。

 崩れかけた身体を、最後の光で繋ぎ止めて。

 消えかけた鎖を振り絞って、閉ざされようとする肉の殻に叩きつけた。

 光と闇が衝突する。

 肉が裂ける。鎖が食い込む。殻の隙間が開く。

 探偵さんの手が、肉の隙間から差し伸べられた。

「掴まれ、真弓!」

 でも、私の手はもう動かなかった。

 肉に塞がれている。指一本動かせない。

 赤い膜が、完全に視界を覆った。

 最後に聞こえたのは、探偵さんの叫びだった。

「――真弓ッ!!」

 そして、私は正史という名の悪夢の中へ、落ちていった。

 赤い膜の向こうで、光が閃いた。

 私の意識はもう半分沈んでいた。肉に覆われた視界の隙間から、断片的に見えている。感じている。

 探偵さんが、走ってくるのが見える。

 でも、もう、意識が。

 ――そして世界が書き換わり始めた。

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作者について

カクナ・ノゾム

カクナ・ノゾム

カクナノゾムと申します。 趣味の小説を細々と書いてます。 面白いことは間違いないので是非是非ご一読くださいませ。

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