第90話 エピローグ 初恋
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あらすじ
終焉の探偵 - 第90話 エピローグ 初恋
本文
夏休みも終わり、いつもの日々。
5時間目の現代文。教壇に立つ柳田先生は、いつものように頬を上気させ、教科書そっちのけで歴史上の『熱い友情』について語っていた。
「――というわけで、この時代の武将たちの手紙のやり取りは、実に熱烈なんですねぇ。尊いですねぇ」
――相変わらず絶好調だ。
窓の外には、突き抜けるような青空と入道雲。
蝉の声がうるさいくらいに降り注ぐ、平和な9月の午後。
「先生、もうチャイム鳴ってますよー」
男子生徒のツッコミに、先生はハッとして時計を見た。
「あら、ごめんなさい! ついつい熱が入っちゃって……。あ、そうだ。最後に一つ連絡事項があります」
先生は出席簿を閉じると、嬉しそうに私たちを見回した。
「明日、このクラスに転校生が来ます。それも二人!」
「えー、この時期に二人も?」
「はい、何でも村を代表して東京の文化を学ぶんですって。何だか留学生みたいですよね」
「男子? 女子?」
教室がざわめく。先生は人差し指を唇に当ててバチンとウィンクした。
「二人とも、とっても綺麗な女の子ですよ。二人は遠い親戚同士だそうです。みんな、仲良くしてあげてね」
私の胸が、トクン、と跳ねた。
転校生。田舎から。二人。
私は思わず声を上げていた。
「先生、その子達、村ってどこから転校してくるんですか?」
「えーっと、虚木村。あら虚木さんと同じ名前ね。そういえば一人の名字も同じです。ご親戚かなにかなのかしら」
ああ、あの村からやってくるんだ!
それじゃ、一人は清音さんだ! 懐かしいなぁ。
でも、もう一人は誰なんだろう?
同い年だと美穗ちゃんだけど、何となく違う気がする。
うんそれが誰でも、なぜかきっと仲良くなれるそんな予感がするよ!
「うふふふ、それじゃそろそろホームルームを終りますね?」
何だか妙に浮かれてる柳田先生。
クラスの皆もそう思ったのだろう、最前列の子が手を上げた。
「先生、何かいいことあったんですか?」
「うふふ、わかる? わかっちゃいます!?」
くねくねと体をくねらせながら、先生が浮かれポンチな様子を見せる。
「実は、実はですね、わたくし柳田はるかにもついに春がやってきまして! この秋には久我はるかになる予定なんですよー」
おおっ、とざわめく教室。
そ、そっか。久我さんと付き合っているって噂は本当だったのか!
私は視線でこちらに合図を送るサヤカと目配せしあった。
後で部室に行ったら、問い詰めないとだね!
「号令! 起立、礼!」
「さよーならー」
そして楽しい放課後が始まる。
◇
授業が終わると、私はサヤカと一緒に文芸部の部室へ向かった。
二人で並んで廊下を歩く。
「ねー真弓、聞いた? 駅前に新しいパンケーキ屋できたんだって」
「またパンケーキ? サヤカ、先週も行ってなかった?」
「別腹なの! 明日行こうよ、もうすぐ文化祭だし!」
「それ、全然行く理由になってないから!」
他愛のない会話。廊下に響く笑い声。
もっと楽しい話題もあるが、我慢我慢。
部室についてからのお楽しみだ!
部室のドアを開けると、いつものインクと紙の匂いがした。
「あ、真弓センパイ! サヤカセンパイ! お疲れ様です!」
机に向かっていた後輩が、パッと顔を上げて手を振った。
ボブカットが可愛らしい、挿絵担当の千晶ちゃんだ。
「千晶ちゃん、早いね。また絵描いてたの?」
「はいっ! 真弓センパイの新作、イメージが湧いてきちゃって!」
千晶ちゃんがスケッチブックを広げる。そこには、繊細なタッチで描かれた幻想的な風景があった。
元気だ。笑ってる。ペンを握る指も、白い肌も、どこにも傷なんてない。
(……あれ?)
ふと、胸の奥に違和感が走る。
当たり前の光景なのに、どうして私は、千晶ちゃんがここにいるだけでこんなにホッとしているんだろう。
「やあ、みんな揃ってるね」
そこへ、ノックもなしにドアが開いた。
ジャケット姿の青年、というには年を取っている男性――OBの久我さんが、コンビニの袋を提げて入ってくる。
「あ、久我さん! またサボりですか?」
「人聞きが悪いなぁ。取材の合間の息抜きだよ。はい、これ差し入れ」
久我さんは苦笑しながら、冷えた缶コーヒーを配ってくれた。
「それから、これも」
差し出されたのは一冊の文庫本。作者は藤瀬伊織、とある。
聞いたことあるホラー作家さんだ。何でまた?
「友人が新刊出してね。送ってくれたんだ。自分でも買ってたから、これは余っちゃってさ」
久我さんのお友達だったんだ!?
その表情は穏やかで、毒気がない。久我さん、ライターとしてはパッとしないかもしれないけれど、私たちにとっては頼れる優しい先輩。友人が作家で新刊出してるのに、全然嫉妬した様子もなくて心から喜んでいる。器の大きいいい人だと思う。
「そういえば聞いたよ。明日、転校生が来るんだって?」
「久我さん、情報早すぎません?」
「はるか……いや、柳田先生から聞いてね。なんでも、僕が昔取材した村の子たちらしいんだ」
久我さんは懐かしそうに目を細めた。
「いいところだよ、あそこは。何もなくて、静かで……友人も住んでてね。まあ、僕にはちょっと退屈すぎて、物語のネタにはならなかったけどね」
そう言って笑う久我さんの顔には、ただ笑顔があった。
そう、ただの、平和な世界の住人。
なんで、こんなこと思うんだろう?
私は自分の思考に小首を傾げながら、口を開いた。
「ネタにならなかったって言いますけどぉ」
私はニヤニヤしながら、久我さんの顔を覗き込んだ。
「一番大きなネタ、捕まえたんじゃないですか? 先生が教室でノロけてましたよ、『秋には久我はるかになります!』って」
「ぶっ!」
久我さんがコーヒーを吹き出しそうになる。
サヤカと千晶ちゃんも「おめでとうございますー!」と手を叩いた。
「は、はるかさん……生徒の前で言っちゃったのか……」
「顔真っ赤ですよ久我先輩! いやー、春ですねぇ」
「うるさいなぁ。……まあ、なるようになったってことだよ。彼女には敵わないからね」
照れくさそうに頭をかく久我さんを見て、私たちは顔を見合わせて笑った。
机を囲んで、みんなでワイワイと話す。
話題はいつしか、そんなおめでたい流れから、恋バナへと移っていった。
「で、真弓センパイはどうなんですか? 先輩も春、来てないんですか?」
千晶ちゃんが身を乗り出してくる。
「そうだよ真弓。あんたガード固いんだもん。理想高すぎなんじゃない?」
「そ、そんなことないよ……」
言い淀む私に、サヤカが視線を落とした。私の鞄から顔を出している、赤い箱のお菓子を見て首を傾げる。
「ていうかさ、真弓。最近いつもそれ買ってない? パッキー」
「え?」
「前はそんなにお菓子食べる方じゃなかったのに。夏休み終わってから、ずっとそれ持ってる気がする」
「あ……」
私は手元の箱を見た。
チョコのかかった棒状のスナック菓子。
言われてみれば、そうだ。コンビニに行くと、なぜか無意識にカゴに入れてしまっている。
「……なんでだろ。自分でもよく分かんないんだけど、これ持ってると、なんか落ち着くんだよね」
「もしかして、好きな人の好物とか!? 匂わせですかセンパイ!?」
「ち、違うよ! 好きな人なんていないってば!」
私が慌てて否定すると、みんながえーっと声を揃えた。
「じゃあ、芸能人で言うと誰ですか? タイプくらいあるでしょ?」
「芸能人っていうか……」
私はパッキーの箱をいじりながら、なんとなく、頭の中に浮かんだイメージを言葉にした。
「……黒いコートが似合う人、かな」
「え? コート? この真夏に?」
サヤカが素っ頓狂な声を上げる。
「うん。なんかね、真夏でも長袖の黒いコート着てて、ちょっと暑苦しいんだけど……でも、涼しい顔してるの」
自分でも何を言っているのか分からない。
空想上の人物。私の脳内が生み出した、架空のキャラクター。
「ちょっと変な人で……いっつもパッキーばっかり食べてて。住所不定で、公園に住んでて、段ボールハウス作るのが得意で……」
「ちょっと真弓ちゃん!? それただのダメ男じゃん!」
久我さんが吹き出した。部室に爆笑が渦巻く。
私も一緒になって笑った。
「あはは、そうですよね。ダメ男ですよね」
おかしいな。
笑っているのに、胸の奥がチクリとする。
「でもね、いざという時は、誰よりも頼りになって。私がピンチの時は、どこからでも駆けつけてくれて。お姫様抱っこして、ビルの上を飛んでくれたりして……」
「はいはい、ラノベの読みすぎー」
サヤカが呆れたように手を振る。
「……優しい目をしてるの。どこか遠くを見てて、寂しそうで……でも、私のことを見るときだけは、困ったみたいに笑ってくれるの」
言葉にするたび、心が温かくなる。
会ったこともない人なのに。名前すら知らないのに。
その人を想うだけで、世界で一番守られているような気持ちになる。
「真弓センパイ、すっごく嬉しそうな顔してますよ?」
「えっ、そう?」
「完全に恋する乙女の顔です! で、それは実在するんですか?」
千晶ちゃんの問いに、私は首を振った。
「ううん。……私、まだ恋とかしたことないし」
そう。私は恋を知らない。
この胸の痛みも、切なさも、きっと気のせいだ。
「憧れるなぁ、そういうの。いつか、そんな人が現れるといいな」
私は精一杯、明るく笑ってみせた。
窓の外から風が吹き込み、カーテンが揺れる。
どこかで、銀の鎖が鳴るような音がした気がした。
――ガタンッ。
私は無意識に、椅子を蹴って立ち上がっていた。
「え、真弓センパイ?」
「どうしたの、急に」
みんなが驚いた顔で私を見ている。
心臓が、早鐘を打っていた。
ここにいてはいけない気がした。
何かを、確認しに行かなければいけない。今すぐに。
「ご、ごめん! 私、ちょっと用事思い出した!」
「えっ、用事って?」
「すぐ戻るから! ……ううん、今日は先に帰ってて!」
私は鞄を掴むと、逃げるように部室を飛び出した。
背後で「あ、待ってよ真弓!」というサヤカの声がしたけれど、振り返らなかった。
廊下を走る。階段を駆け下りる。
上履きのまま昇降口を抜け、ローファーに履き替えるのももどかしく、晩夏の光の中へ飛び出した。
◇
暑い。
息が切れる。
汗が頬を伝う。
――私、何やってるんだろ。
誰を探しているの?
黒いコートの人なんて、いるわけないのに。あんなのは私の妄想なのに。
でも、足が止まらない。
西口公園、グローバルリング。
円形のモニュメントの中央で、噴水が高く吹き上がっている。
水遊びをする子供たちの歓声。
(――恵みの雨だね)
脳裏に、ずぶ濡れになった男の人の笑顔がよぎる。
暑苦しいコートを着たまま、バシャバシャと水を浴びていた、常識知らずな人。
私はそれを見て、呆れて、でも……笑っていたはずだ。
噴水の周りをぐるりと見回す。
ベンチに座る老人。待ち合わせのサラリーマン。鳩。
黒いコートの姿は、どこにもない。
「……っ」
私はまた走った。
黄昏の光が降り注ぐ、サンシャイン通り。
私は制服のスカートを翻して、人混みの中を走っていた。
「はぁ、はぁ……」
確か、ここで……ううん、いつ? 誰と?
行き倒れている変な人を、私が助けたような気がする。
「……いない」
麦茶。そうだ麦茶を買わなきゃ!
湧き上がってくる訳のわからない衝動を押し殺し、視線の先にそびえ立つランドマークに向かって走り出す。
高速道路の下をくぐり、サンシャインシティを見上げる。
高い、高いビルの屋上。水族館。
青い光。揺らめく水槽。
二人でクラゲを見た気がする。
隣で、「外の世界とは違う、守られた海。……まるで、泡の中みたいだ」と呟く寂しげな声を聞いた気がする。
雑踏の中、似たような背格好の人を探す。でも真夏に黒コートの男性なんている訳がない。わかってはいても探さずにはいられない。心臓が跳ね、追いかけて、追い越して――別人だと気づいて、落胆する。
その繰り返し。
一時間、二時間。
私は馬鹿みたいに、夏の池袋を彷徨い続けた。
汗だくになって、足が棒のようになって。
やがて私は、東池袋公園の入り口で足を止めた。
夕暮れが、街を茜色に染め始めていた。
影が長く伸びる。
「……私、変だ」
膝に手をついて、荒い息を整える。
誰もいない。
私の探している「誰か」なんて、最初からこの世界には存在しないんだ。
夢と現実の区別がつかなくなってるなんて、受験勉強のしすぎかな。
柳田先生の浮かれ話にあてられたのかもしれない。
私は重たい足を引きずって、公園の奥へ進んだ。
木陰のベンチ。
ここには前、何かがあったような気がする。段ボールハウスのような、秘密基地のような何かが。
でも、今はただの空き地だ。
ドサリ、とベンチに座り込む。
喉が渇いた。お腹も空いた。
鞄の中から、ガサリと音がした。
コンビニの袋。部室で話題になったパッキーだ。
「……いただきます」
誰にともなく呟いて、一本、取り出す。
夕日にかざすと、チョコが少し溶けて光っている。
ポリリ。
一口、囓った。
「…………」
口の中に広がる、チープで、でも懐かしい甘さ。
ほんの少し、塩っぱいような気もする。
高級なチョコなんかよりずっと、胸に染み渡る味。
その瞬間。
ドッ、と。
堰を切ったように、感情が溢れ出した。
「……あ、れ?」
ポロリ、と目から雫が落ちた。
「なんで……」
さっきまで、あんなに笑っていたのに。
友達と話して、先輩を冷やかして、楽しい放課後だったのに。
一人になった途端、世界にたった一人ぼっちにされたような孤独が襲ってくる。
「なんで……泣いてるんだろ……」
悲しいことなんて何もないのに。
みんな生きてて、笑ってて、世界はこんなにも平和で。
幸せなはずなのに。
胸の奥が、ぎゅっと締めつけられるみたいに痛い。
まるで、自分の魂の半分を、二度と会えない場所に置いてきてしまったような喪失感。
「う……うぅ……っ!」
涙が止まらない。
誰かが足りない。
一番大切な、誰かが。
誰かがいっていた言葉が不意に脳裏をよぎる。
――初恋は叶わない。
初恋。
私は恋をしていたのかな?
いつ? 誰と?
確かに、誰かを好きになった気がする。
「あ……ああああっ……」
私は膝を抱えて、公園のベンチで声を上げて泣いた。
子供みたいに、しゃくりあげて泣いた。
涙で視界が歪んで何も見えない。
頬を伝った雫が地面に落ち、まだらな模様をつくった。
風が吹き抜ける。
(そんなに泣かないで? せっかくの美人さんが台無しだよ?)
――不意に声が聞こえたような気がした。
懐かしい、誰かの声が。
秋の風が吹く。誰かが、泣いている私の頭を、優しく撫でてくれたような気がした。
頬を伝う涙の理由を、私はきっと永遠に思い出せない。
ただ、私の中に――甘いチョコレートの匂いだけが、いつまでも――
何故だろう。
夏の終わりと共に――私はきっとこれで初恋が終ってしまったのだと、そう感じたのだった。
【終焉の探偵 エピローグ 初恋 完】
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