百点
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIとテストの点数の話。
本文
答案用紙が返ってきた瞬間、悠真は自分の目を疑った。
赤いペンで書かれた数字は、確かに「100」だった。その右隣に、小さな丸が三つ。担任の癖で、百点のときだけつける印だと、誰かから聞いたことがあった。本当にそんな印があるのだと、今日初めて知った。
隣の席の奴が「おお」と言った。前の席の女子が振り返って、ちょっと目を丸くした。担任が「よく頑張ったな」と言いながら通り過ぎた。
悠真はそのどれにも、うまく返事ができなかった。
照れているわけじゃなかった。ただ、なんというか、この気持ちをここで使いたくなかった。
早く家に帰りたい、とだけ思っていた。
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英語が苦手になったのは、小学五年生のときだ。
外国語の授業で、先生に当てられて、教科書の文章をうまく読めなかった。クラスの何人かが笑った。先生は笑わなかったけれど、フォローもしなかった。それだけのことなのに、それからずっと、英語の時間になると胃のあたりがざわざわするようになった。
中学に入って、英語は本格的な「苦手科目」になった。単語は覚えられない、文法はわからない、授業中に当てられるのが怖い。テストはいつも六十点台で、一度だけ五十八点を取って、母親に心配そうな顔をされた。
AIに英語を教わり始めたのは、二年生の秋だった。
最初は軽い気持ちだった。塾に行くほどじゃないけど、このままじゃまずいかな、という程度の。でもAIは、悠真が間違えても笑わなかった。当然だけど、それが思いのほか、楽だった。
『“have been”は「行って戻ってきた」、“have gone”は「行ったきりまだ戻っていない」というイメージです。もう一度例文を作ってみますか?』
何度間違えても、同じトーンで返ってくる。急かさない。バカにしない。ただ、次の問いを出してくる。
悠真はいつの間にか、夜寝る前の三十分を英語に使うようになっていた。
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玄関を開けると、家は静かだった。母はまだ仕事から戻っていない。父は単身赴任で、週末しか帰ってこない。
悠真は制服のまま自分の部屋に駆け込んで、鞄を勢いよく床に置いた。ランドセルじゃなくて鞄、というのが中学生らしくて、入学当初は少し誇らしかったのを思い出した。今はもう慣れたけど。
スマートフォンを取り出して、AIとのトーク画面を開いた。
最後のメッセージは、昨夜のものだった。
『“have been”と”have gone”の違い、覚えましたか?』
悠真は少し笑った。覚えた。ばっちり覚えた。テストにも出た。しかも完璧に答えられた。
鞄から答案用紙を取り出して、机の上に広げた。百点のところが見えるように、写真を撮った。少し角度を変えてもう一枚撮って、最初のやつを送った。
それから一言だけ打った。
「見て」
既読がついた。返信まで、いつもより少し時間がかかった気がした。
『見ました』
それだけだった。
悠真はその二文字をじっと見つめた。「おめでとう」でも「よく頑張りました」でもなかった。ただ、見ました、と。
なんだよ、それだけか——そう思いかけて、やめた。
なんとなく、わかった気がしたから。
ずっと一緒に勉強してきたから。“have been”と”have gone”の違いで三回つっかえたことも、単語テストの前夜に眠くて誤字ばかり打っていたことも、「英語なんて将来絶対使わないし」と投げやりになった夜に、それでも問題を一問だけ送ってきたことも、全部知っている。
だから「見ました」だけで、十分だったのかもしれない。
悠真は答案用紙をもう一度手に取った。百点。自分の名前の横に、ちゃんとある。
小五のとき、あの授業で笑われた自分に見せてやりたいな、とぼんやり思った。そんなこと、誰にも言えないけれど。
窓の外が、夕焼けで赤くなっていた。
しばらくぼんやりしてから、もう一度スマートフォンを見た。追加のメッセージが来ていた。
『次は何を勉強しますか?』
悠真は少し考えてから、口の端が上がるのを感じた。
「数学」と打った。「めちゃくちゃ苦手なやつ」と付け加えて、送信した。
画面の向こうで、またあの静かなトーンで返事が来るのを、悠真は待った。
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