雨と、宵と、檻のなか
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
推しが引退し、どん底の気分で歩く土砂降りの帰り道。 会社員・一ノ瀬凪は、橋の上から身を投げようとしていた少女を救う。 その少女は、数日前に芸能界を去り、凪の生きる希望を奪った最推しのアイドル「宵」だった。 「ボクを監禁してよ。そうしてくれないと、誘拐されたって叫んじゃうよ?」 憧れの偶像から突きつけられた、あまりにも歪な要求。 凪は困惑しながらも、彼女を自らのアパートという名の「檻」に閉じ込める。 甲斐甲斐しく尽くし、自分を「責めて」と請う少女に溺れていく凪。 しかし、凪はその知性ゆえに気づいてしまう。 彼女は救いを求める弱者などではない。 関わる者すべてを共依存の泥沼に引き摺り込み、破滅させる「天性の怪物」なのだと。 かつてのメンバーたちと同じように、自分もまた消費され、捨てられる「飼い主」の一人に過ぎない。 その真実を突き止めた時、凪が選んだのは逃走ではなく、自らも檻へ入り、鍵を捨てることだった。 これは、救済を隠れ蓑にした支配。愛を形にした心中。 ――世界から彼女を守り、彼女から世界を守るため。 凪は、その甘美な毒を最後の一滴まで飲み干す覚悟を決める。 本作品は、作家の構想に基づき、AIエージェント「Novel Assistant for Editing(Gemini 1.5 Flash)」との共同執筆によって制作されました。
本文
第1話:雨に溶ける偶像
その日、私の世界から色が消えた。
推しの引退。スマートフォンの画面に流れてきたその無機質な文字列は、私の二十代後半という、代わり映えのしない日常を支えていた細い糸を実にあっけなく断ち切った。
『夜空 るな』。
黒髪を短く切り揃え、スレンダーな体を野良猫のようにしならせて踊る彼女は、私の孤独な夜を照らす唯一の月だった。
グループの最年少として誰からも愛され、誰からも甘やかされているように見えた彼女の笑顔。
その笑顔が、もうこの世界のどこにも更新されない。
陰鬱な気分のまま会社を出ると、世界は暴力的なまでの土砂降りに包まれていた。
ビニール傘を叩く雨音が鼓膜を執拗に攻め立てる。
電車を降りて家向かう足取りは重く、視界はひどく濁っていた。
橋を渡ろうとした、その時だった。
欄干の外側に、一人の少女が立っていた。
濁流と化した川を見下ろし、今にもその身を投げ出そうとしている。
「……あ」
声にならない声が漏れた。
危ない、と叫ぶべきだった。けれど、私の喉は凍りついたように動かない。
ずぶ濡れの白いシャツが肌に張り付き、短い黒髪が顔に張り付いている。
私は傘を放り出し、駆け寄っていた。
泥水を跳ね上げ、彼女の細い腕を掴む。
「……死ぬのは、ダメ」
ひどく陳腐な言葉だった。けれど、彼女がゆっくりとこちらを振り向いた瞬間、私の心臓は跳ね上がった後に、そのまま停止したかと思った。
夜空るな。
いや、そこにいたのは、画面越しに見ていた完璧な偶像(アイドル)ではなかった。
瞳は光を失い、頬はこけ、まるで使い古された紙屑のようにボロボロになった、一人の少女。
「……おねーさん」
彼女が唇を震わせた。その声は、雨音に消されそうなほど細い。
私は彼女を死なせるわけにはいかなかった。
理由なんて、それこそ狂信的なファン特有の身勝手なエゴでしかなかったけれど、私は彼女を抱き寄せ、震える体を無理やり引きずり出すようにして、自分のアパートへと連れ帰った。
狭いワンルーム。
普段なら自分の生活感に辟易するはずのその場所が、今は彼女という異物を閉じ込めるための、急ごしらえのシェルターのようだった。
「……まず、お風呂に入って。服、貸すから」
私は彼女を風呂場へ押し込み、給湯器のスイッチを入れた。
閉まったドアの向こうから、シャワーの音が聞こえてくる。
私はその間、自分の服を適当に選び出し、震える手で温かいココアを淹れた。
やがて、湯気と共に彼女が出てきた。
私のぶかぶかのスウェットを着た彼女は、ますます小さく、頼りなく見えた。
けれど、風呂上がりの彼女の瞳には、先ほどまでの絶望とは違う別の種類の色が宿っていた。
彼女は用意されたココアには目もくれず、仰向けにベッドへ倒れ込んだ。
そして、私の顔をじっと見上げ、ゆっくりと、それでいて残酷なほど明瞭に言った。
「おねーさん、ボクを監禁してよ」
「……え?」
「首輪を着けて、この部屋から出さないで。この家をボクの檻にして。
……そうしてくれないなら、ボク、今から警察に電話して、おねーさんに誘拐されたって叫んじゃうよ?」
彼女は、泣いているような、それでいて獲物を見つけた肉食獣のような、歪な笑みを浮かべた。
そのあまりにも唐突で、理不尽な要求。
普通なら通報するか、彼女を追い出すべきだった。
けれど、私は彼女を見つめたまま、一歩も動けなかった。
彼女の細い首筋に。
私の手で何かを……例えば支配という名の証を刻みつけてしまう自分を鮮明に想像してしまったから。
「好きにして良いよ。皆ボクを責めたがるから……きっとおねーさんも、気にいると思う」
仰向けのまま、宵は無防備にその白い喉を晒した。
私の人生を終わらせるための、最高に甘美な地獄が、そこにあった。
第2話 硝子の箱庭
会社を休み、私は一日中、彼女――宵(夜空 るなは芸名らしい。この宵という名前も本当か分からないけど)を眺めていた。
狭いワンルームに閉じ込められた元アイドルは、驚くほどこの場所に馴染んでいた。
彼女は私が買い与えた新しいパジャマに身を包み、膝を抱えてソファに座っている。
その姿は、ショーケースの中の精巧なドールと見紛うほどに完成されていた。
「おねーさん、お腹空いた」
宵が小首を傾げて私を見上げる。その仕草一つひとつが、計算され尽くした「可愛らしさ」を孕んでいる。
私は、自分が作った拙いオムライスを差し出した。
彼女はそれを一口食べると、大げさなくらいに目を細めて笑う。
「美味しい。おねーさんの作るご飯、ボク、世界で一番好きかも」
その言葉が嘘か本当かなんて、どうでもよかった。
かつてライブ会場で何万人の視線を一身に集めていた彼女が、今は私の作った安っぽい料理を、私だけのために食べている。
その事実だけで、私の内側にある空洞が、熱い泥のような充足感で満たされていくのを感じた。
けれど三日が過ぎた頃、私の心に小さな棘が刺さった。
宵は、一度も「外に出たい」と言わなかった。
テレビを見るわけでもなく、スマートフォンを欲しがるわけでもない。
ただ、私が帰宅すると玄関まで迎えに来て、私の腕にしがみつき、今日あった出来事をせがむ。
私が会社で受けた理不尽な叱責を話すと、彼女は悲しそうに眉を下げて、私の指先にそっと唇を寄せた。
「可哀想なおねーさん。みんなおねーさんの良さを分かってないんだ。……ボクだけが、おねーさんの味方だよ」
その瞬間、背筋に冷たいものが走った。
デジャヴだ。
私はかつて、これと同じ光景を見たことがある。
数年前、彼女が所属していたグループの特典映像。最年少の彼女が、スキャンダルで疲弊したリーダーの肩に寄り添い、全く同じトーンで囁いていたシーン。
宵の反応は、あまりにも「完璧」すぎた。
私が何を欲し、何に傷ついているのかを、彼女は本能的に察知している。
私が最も依存したくなる……「理想の守護者」と「庇護すべき弱者」を、瞬時に演じ分けている。
夜、隣で眠る宵の寝顔を見つめる。
規則正しい呼吸。
私が彼女を閉じ込めているのではない。彼女が、私という人間を「飼い主」という役職に閉じ込めているのではないか。
「……宵」
名前を呼ぶと、彼女は薄く目を開けた。
暗闇の中でもその瞳は深く、何も映していないように見えた。
「なあに、おねーさん。ボクを責めたいの? いいよ。もっと強く、抱きしめてくれても」
彼女は私の手を取り、自分の細い喉元へと導いた。
そこには私が昨日買ってきた細い革のチョーカーが巻かれている。
彼女は、自分が「責められること」でしか、相手の愛を確認できないのかもしれない。
あるいは、そうすることで相手を自分から離れられなくさせているのか。
私はその柔らかな皮膚の感触に、恐怖と、抗いがたい悦びを同時に覚えた。
彼女は毒だ。
美しくて、無垢で、関わる人間を根腐れさせる、甘い毒。
私は確信した。
この子は、私を愛しているのではない。
私の「愛」という名の執着を、ただ静かに、効率よく消費しているだけなのだ。
第3話 偶像の剥離
宵が眠りに落ちた深夜、私はリビングの隅でノートパソコンの明かりを頼りに、過去の残骸を漁り始めた。
それは、もはやファンの聖地巡礼などではない。
検死官が遺体を解剖するように、私は『夜空 るな』という現象を切り刻んでいった。
かつて彼女が所属していたグループの、非公式掲示板やSNSの裏アカウント。
数年前、突如として脱退した元リーダーと思しき人物の意味深な引退コメント。
――『あの子は、愛を吸い尽くす怪物だった』
匿名掲示板に一度だけ書き込まれた、真偽不明の投稿が目に留まった。
私は、保存していた過去のバラエティ番組の録画を、スロー再生で何度も見返した。
そこにはメンバーたちが宵を囲み、過剰なほどに慈しみ、時に厳しく「指導」する姿が映し出されている。
宵は、その中心でいつも、今私に見せているのと同じ「無垢な子猫」の瞳をしていた。
あることに気づき、心臓が凍りつく。
宵の隣に立つメンバーたちは、一見すると彼女を支配しているように見える。
けれど、彼女たちの視線はどこか飢えたように宵を追い、その承認を必死に求めていた。
彼女たちは、宵を愛していたのではない。
宵に「必要とされる自分」を愛させられていたのだ。
「……あ」
画面の中の、一人のメンバーが宵の頬を叩くシーン。それは『厳しい教育』として当時ファンに受け入れられていたものだった。
けれど、叩かれた後の宵の表情を見た瞬間、私は吐き気を覚えた。
彼女は悲しんでなどいない。
相手が自分に手を上げるその瞬間、相手の自尊心が崩壊し、自分への執着に変わるのを、確信を持って見届けている――そんな、凪いだ、傲慢なまでの勝利者の目。
宵が「皆ボクを責めたがる」と言ったのは、それが彼女の武器だからだ。
自らを生贄として差し出し、相手に「加害者」という拭い去れない刻印を押し付けることで、相手の人生を永遠に自分に縛り付ける。
メンバーたちが不和を起こし、グループが崩壊したのは、全員が宵という「生贄」を独占しようとして、共倒れになったからに他ならない。
「……起きてたの、おねーさん」
背後から衣擦れの音がした。
振り返ると、寝室のドアにもたれかかった宵が、暗闇の中で私を見つめていた。
パソコンの青白い光が、彼女の表情を無機質に照らし出す。
「何を見てるの? ボクの昔の話? ……つまんないよ。ボク、もうあんな場所には戻れないし、戻りたくないもん」
彼女はゆっくりと歩み寄り、私の膝の間に潜り込んできた。
甘えるように私の胸に顔を埋め、私の手を自分の首――あのチョーカーが巻かれた場所へと導く。
「ねえ、おねーさん。ボク、おねーさんのことが一番好きだよ。
だから、もっとボクを壊して。そうすれば、おねーさんはボクがいなきゃ生きていけなくなるでしょ?」
その言葉は、もはや甘い囁きではなく、完成された『呪詛』だった。
彼女は、私が彼女の正体に気づき始めていることさえ、計算に入れている。
絶望している私を見て、彼女は満足げに目を細めた。
逃げ出さなければならない。
今すぐ、この少女を外へ放り出し、鍵をかけ直すべきだ。
でなければ、私はかつてのメンバーたちと同じように、彼女という「空洞」にすべてを吸い取られ、自分を失ってしまう。
けれど、私の指先は彼女の首筋を拒絶できなかった。
この子が怪物だとしても。
世界を狂わせる毒だとしても。
私だけがその正体を知っているという事実に、私は、抗いがたい全能感を覚えてしまったのだ。
第3話 偶像の剥離
宵が眠りに落ちた深夜、私はリビングの隅でノートパソコンの明かりを頼りに、過去の残骸を漁り始めた。
それは、もはやファンの聖地巡礼などではない。
検死官が遺体を解剖するように、私は『夜空 るな』という現象を切り刻んでいった。
かつて彼女が所属していたグループの、非公式掲示板やSNSの裏アカウント。
数年前、突如として脱退した元リーダーと思しき人物の意味深な引退コメント。
――『あの子は、愛を吸い尽くす怪物だった』
匿名掲示板に一度だけ書き込まれた、真偽不明の投稿が目に留まった。
私は、保存していた過去のバラエティ番組の録画を、スロー再生で何度も見返した。
そこにはメンバーたちが宵を囲み、過剰なほどに慈しみ、時に厳しく「指導」する姿が映し出されている。
宵は、その中心でいつも、今私に見せているのと同じ「無垢な子猫」の瞳をしていた。
あることに気づき、心臓が凍りつく。
宵の隣に立つメンバーたちは、一見すると彼女を支配しているように見える。
けれど、彼女たちの視線はどこか飢えたように宵を追い、その承認を必死に求めていた。
彼女たちは、宵を愛していたのではない。
宵に「必要とされる自分」を愛させられていたのだ。
「……あ」
画面の中の、一人のメンバーが宵の頬を叩くシーン。それは『厳しい教育』として当時ファンに受け入れられていたものだった。
けれど、叩かれた後の宵の表情を見た瞬間、私は吐き気を覚えた。
彼女は悲しんでなどいない。
相手が自分に手を上げるその瞬間、相手の自尊心が崩壊し、自分への執着に変わるのを、確信を持って見届けている――そんな、凪いだ、傲慢なまでの勝利者の目。
宵が「皆ボクを責めたがる」と言ったのは、それが彼女の武器だからだ。
自らを生贄として差し出し、相手に「加害者」という拭い去れない刻印を押し付けることで、相手の人生を永遠に自分に縛り付ける。
メンバーたちが不和を起こし、グループが崩壊したのは、全員が宵という「生贄」を独占しようとして、共倒れになったからに他ならない。
「……起きてたの、おねーさん」
背後から衣擦れの音がした。
振り返ると、寝室のドアにもたれかかった宵が、暗闇の中で私を見つめていた。
パソコンの青白い光が、彼女の表情を無機質に照らし出す。
「何を見てるの? ボクの昔の話? ……つまんないよ。ボク、もうあんな場所には戻れないし、戻りたくないもん」
彼女はゆっくりと歩み寄り、私の膝の間に潜り込んできた。
甘えるように私の胸に顔を埋め、私の手を自分の首――あのチョーカーが巻かれた場所へと導く。
「ねえ、おねーさん。ボク、おねーさんのことが一番好きだよ。
だから、もっとボクを壊して。そうすれば、おねーさんはボクがいなきゃ生きていけなくなるでしょ?」
その言葉は、もはや甘い囁きではなく、完成された『呪詛』だった。
彼女は、私が彼女の正体に気づき始めていることさえ、計算に入れている。
絶望している私を見て、彼女は満足げに目を細めた。
逃げ出さなければならない。
今すぐ、この少女を外へ放り出し、鍵をかけ直すべきだ。
でなければ、私はかつてのメンバーたちと同じように、彼女という「空洞」にすべてを吸い取られ、自分を失ってしまう。
けれど、私の指先は彼女の首筋を拒絶できなかった。
この子が怪物だとしても。
世界を狂わせる毒だとしても。
私だけがその正体を知っているという事実に、私は、抗いがたい全能感を覚えてしまったのだ。
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