氷旗の下で、脳は眠る

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/11 📝 8,307文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

全身義体のサイボーグも本物の食事をしたい

本文

「熱いものだったら、脳がゆで上がって死んでいましたよ」

 救急処置室の白い天井を見上げながら、俺はしばらくその言葉の意味を理解できなかった。死ぬ、という単語と、かき氷、という単語が、どうしても頭の中で並ばなかったからだ。

 いや、正確には、並んでしまったからこそ理解を拒んだのかもしれない。

 戦場でならわかる。榴弾で首を飛ばされる、対装甲ライフルで胸郭を抜かれる、電子戦で視覚と平衡感覚を奪われたままビルから落ちる。そういう死にかけ方なら、俺にも馴染みがある。軍のサイボーグ部隊にいた人間なら、なおさらだ。

 だが真夏の商店街の軒先で、ブルーハワイ味のかき氷を食べすぎて気絶し、その結果「危うく脳を料理するところでした」と叱られる未来は、さすがの俺も想定していなかった。

「聞いてますか、鳴瀬一尉」

 眼鏡の奥で目を細めたのは、陸軍中央医療センターの当直医だ。年齢不詳の、声だけはやけに落ち着いた女医である。カルテの表示面を指先で払うと、俺の頭部断面図が空中に開いた。透明な人工頭蓋の中心に、灰白色の脳が浮かび、その周囲を冷却循環路が青く光っている。

「あなたの意識が落ちた時点で、脳温は規定安全域の下限をかなり下回っていました。保護停止が間に合ったからよかったものの、あと数分、冷たいものを摂取していたら、不可逆の機能障害が出てもおかしくなかった」

「……かき氷で?」

「かき氷で、です」

 俺は口を閉ざした。軍の表彰歴に、こんな間抜けな注釈がつくのは御免だった。

 ベッド脇では、俺の主治医であり、今回の元凶の七割くらいを担っている片桐博士が、白衣のポケットを探っていた。探し物をしている時点で、この人はだいたい責任を感じている。

「うーん、やっぱりペンをどこかに……あ、あった。鳴瀬くん、起きた? ごめんねえ。予測はしてたんだけど、まさか実地試験を祭りの屋台でやるとは思ってなくて」

「予測してたなら先に言ってください」

「言ったよ。『極端な高温低温を一気に入れないこと』って、三回」

「博士、あなたの注意喚起は、だいたい会話の五分の四が脱線した後に入るんですよ」

「あれ、そうだっけ」

 そうなのだ。そしてその脱線の先にはたいてい、倫理審査委員会が聞いたら椅子から転げ落ちるような話題がぶら下がっている。

 片桐千景博士は、天才である。ついでに言うと、知り合いにマッドサイエンティストと呼ぶほうが早い人間が何人かいて、その連中と「ここまでは合法」「いやそれはグレー」「グレーは実質セーフ」みたいな綱引きを日常的にしている。本人は常に「私は常識人です」と主張しているが、あまり信用できない。

 ただし、彼女が開発した試作品のおかげで、俺はいまこうして、氷の冷たさについて語ることができている。

 そこから話を始めなければならない。

     *

 サイボーグ化手術は、いまの時代、特別なものではない。

 先天的な心疾患で人工循環器を入れる子どももいれば、事故で腕を失って義肢をつける会社員もいる。糖代謝系をまるごと置換した老人は、食後に血糖値を気にせず団子を食べるし、網膜を人工化した若者は夜景を昔より鮮やかに見られると笑う。身体を機械に置き換えることは、治療であり、延命であり、生活の一部だった。

 俺の場合は、その極端な例だ。

 二十七歳のとき、北方紛争地帯で輸送機が落ちた。正確には、撃ち落とされた。炎上する機体から生きたまま引きずり出された俺に、残っていた「元の身体」は、脳と脊髄の一部、それからわずかな臓器だけだった。軍は選択肢を提示した。生命維持装置の上で静かに余生を送るか、全身義体化手術を受け、適合試験に通れば復帰するか。

 俺は復帰を選んだ。

 それから十年、鳴瀬玲司一尉は、陸軍特務機動群第三大隊のエースと呼ばれるようになった。装甲義体、戦術演算補助、反動吸収骨格、高速修復材。人間離れしていると言われるたび、俺は曖昧に笑って受け流した。人間離れしているのは事実だが、完全に人間でなくなったわけではない。人工頭蓋の奥には、いまも生身の脳が収まっている。記憶も、感情も、昔の夏に汗をかきながらラムネを飲んだ感触も、そこに残っていた。

 そこが問題だった。

 全身義体の「食事」は、通常、栄養補給と社交儀礼を兼ねた簡略化された行為でしかない。見た目だけ料理に似せた合成食を、常温で摂取する。味覚・食感・温度は、実際の物理刺激ではなく、タグ化されたデータとして脳に送られる。たとえば目の前のものが「カレー」と登録されていれば、辛味の強さも湯気の熱さも、システムが最適化した疑似感覚として与えられる。安全で、効率的で、故障が少ない。

 だが俺は、それがどうしても好きになれなかった。

 うまいのだ。設計上は完璧に近い。塩味は適切で、香りは記憶に寄せて調整され、食後には満腹感まで演出される。欠点があるとすれば、完璧すぎることだった。

 人間がものを食べる時、舌に乗るのは味だけじゃない。熱さで少しだけ急いで飲み込んでしまう焦りや、冷たさで歯の根が浮く感じや、硬い肉を噛み切ったときの顎の疲れまで含めて、食事なのだ。そういう不便で、無駄で、危険ですらある要素がごっそり削られた食事は、燃料補給としては優秀でも、記憶の中の「食べる」に届かなかった。

 そのことを、片桐博士に一度、酒の席――正確には彼女が酒、俺が合成麦茶だったが――でこぼしたことがある。

「じゃあ作ろうか」

 博士は、そう言った。

 思い返すと、ここで全力で止めるべきだったのだろう。

「作ろうって、何を」

「人間と同じ感覚で、人間と同じように食べられるシステム。擬似データじゃなくて、本当に熱くて冷たいものを熱くて冷たいと感じて、咀嚼して、飲み込んで、消化して、脳にちゃんと『食った』って思わせるやつ」

「そんなもの、規格上まずいんじゃ」

「だから試作品。軍の再適応支援名目で特例申請を通す。ほら、重度義体化患者のQOL向上って言えば通りがいいから」

「今、倫理委員会の人が聞いたらどう思いますかね」

「泣くか怒るかだろうねえ。でも最終的には判子を押すよ。私の知り合いに、もっとひどいことをやろうとして毎回ぎりぎり差し止められてる人がいるから、それに比べれば可愛いものだし」

 博士の「知り合い」が誰なのか、俺は深く訊かなかった。知っても得をしないタイプだと本能が告げていた。

 そうして完成したのが、《EAT-Live/β》とふざけた名前をつけられた試作摂食感覚再現系だった。口腔ユニットの感圧センサーを増設し、嗅覚・味覚のマッピングを細密化し、人工食道の先に小型の分解反応槽を作る。そこへ実際の食品を送り込み、得られた化学情報を脳へ戻すだけでなく、温度をも「偽装せずに」伝達する。もちろん脳への直結は危険だから、冷却材循環と断熱層で安全域を保つ設計――というのが、博士の説明だった。

「人間らしさはね、不便でできてるの」

 実装前、博士は少しだけ真面目な顔でそう言った。

「噛み損ねて舌を噛むかもしれないし、猫舌でラーメンが食べづらいかもしれないし、好きなものを食べすぎてお腹を壊すかもしれない。そういう不合理込みで、身体は『生きてる』って感じるのよ。鳴瀬くんは、その感じを取り戻したいんでしょう」

 俺は答えず、承諾書に署名した。

 その瞬間から、俺の人生に「かき氷で倒れる可能性」が組み込まれたわけだ。

     *

 最初の一週間は、感動の連続だった。

 焼き魚の皮が、記憶より少し苦くて香ばしかった。味噌汁の湯気が、鼻の奥を湿らせた。冷えたトマトを噛んだ時の、果汁が舌の裏へ逃げる感覚に、俺は台所でしばらく立ち尽くした。完璧ではない。咀嚼のテンポがたまに遅れるし、刺激が強いと処理落ちみたいに感覚が半拍遅れる。それでも、擬似感覚ではなかった。

 なにより、「温度」があった。

 冷たいものは本当に冷たく、熱いものは本当に熱かった。掌で湯飲みを持った時、表面温度と中身の温度差までわかるのが、やけに嬉しかった。十年ぶりに「ふうふうして食べる」という行為をした時は、思わず笑ってしまったほどだ。

 博士は、開発者らしからぬ雑さで言った。

「でしょ。革命でしょ。食文化への再接続。身体所有感の再構築。ついでに市場規模もでかい」

「最後の一言で台無しですよ」

「研究費は正義だから」

 そういうわけで、俺はしばらく、食べることに夢中になっていた。

 事件の日も、だから、少し浮かれていたのだと思う。

 午前中に定期点検が終わり、博士から「今日は平衡系も安定してるし、まあ普通に過ごしていいよ。ただし極端な高温低温は避けてね」と言われた。たしかに言われた。だがその直後、博士は廊下でばったり会った工学科の友人と「自律修復粘菌の知性はどこから発生するか」という危険な雑談を始め、俺の頭から注意事項は半分ほど抜け落ちた。

 病院を出ると、街は祭りの準備でざわついていた。照り返しの強い石畳、軒先に吊られた風鈴、商店街の入口に揺れる氷旗。夏の匂いがした。正確には、気温と湿度のデータから再構成された匂いなのだろうが、そんなことはどうでもよかった。

 俺は足を止めた。

 氷旗の下に、小さな屋台が出ていた。金属の削氷機が唸り、白い山に色鮮やかなシロップがかけられていく。赤、緑、青。子どもが歓声を上げ、母親が「こぼさないの」と笑う。透き通った氷の粒が陽にきらめくのを見た瞬間、喉の奥のどこかが、古い記憶で痛んだ。

 最後に本物のかき氷を食べたのは、いつだっただろう。

 たぶん、まだ士官学校に入る前だ。地元の神社の祭りで、弟と二人、財布の中身を相談しながら一杯を分けた。メロン味にするかイチゴ味にするか揉めて、結局レモンにした。食べ始めると舌が麻痺して味なんかわからなくなるのに、それでも真剣に悩んだ。

 そういう、取るに足らない夏の記憶が、急にほしくなった。

「いらっしゃい。何にします?」

 店主の声に、俺はほとんど反射で答えていた。

「……ブルーハワイを」

 なぜブルーハワイだったのかはわからない。たぶん色だ。あの不自然なほど鮮やかな青は、人間が作る馬鹿みたいな食べ物の象徴みたいで、妙に愛おしかった。

 紙の器を受け取る。スプーンでひと掬い。口へ運ぶ。

 冷たさが、舌の先に触れた瞬間、世界がわずかに止まった。

 疑似データの冷たさではない。物理的に、確かに冷たい。氷の粒がほろりと崩れ、シロップの甘さがその隙間を満たす。金属味のない、透明な冷感が上顎を撫でて、喉へ落ちる。俺の脳は一拍遅れて、それが何なのかを理解した。

 ――ああ、これだ。

 忘れていたわけじゃない。記憶はあった。だが記憶と現実は違う。記録された風景を再生することと、風に吹かれることが別であるように、保存された味覚情報と、本当に冷たいものを食べることは別物だった。

 一口目で、俺はほとんど負けた。

 店先の折りたたみ椅子に座り、無言で食べ進めた。氷は口の中で軽く鳴り、青い甘味が喉をすべっていく。遠くで祭囃子の練習の音がしていた。風鈴が揺れた。目の前を、浴衣姿の少女が走っていく。

 俺は二杯目を頼んだ。

 今度はイチゴ練乳だった。白と赤の境目がやけに綺麗で、練乳の濃さが氷の薄さを包んだ。冷たい。甘い。懐かしい。ほんのわずか、頭の芯がしんとする感じがしたが、不快ではなかった。むしろ、これこそ「本物」なのだと思った。生身だった頃にも、こういう感覚があった気がする。なら、心配はいらない。そう判断した。

 いま思えば、そこが一番まずかった。

 人間なら、かき氷を勢いよく食べれば額の奥がきんと痛む。いわゆるアイスクリーム頭痛というやつだ。だが俺の感覚系は、軍用義体の高負荷仕様を土台にしている。戦場で痛みにいちいち足を止めないよう、危険度の低い痛覚はだいぶ鈍く調整されていた。片桐博士はそこに「食事として快適な範囲の温度刺激」を足したが、人間が持つはずの細かな警告信号までは、完全には再現できていなかった。

 つまり俺は、口と喉の「おいしい冷たさ」だけを受け取り、脳が本気で冷え始めていることに気づけなかったのである。

 三杯目を注文したとき、店主は少し笑った。

「兄さん、いい食べっぷりだねえ。暑いもんな」

「ええ。……十年ぶりくらいで」

「そりゃ気合い入るわけだ」

 サービス、と言って、彼は小さめの器に抹茶を盛ってくれた。俺は礼を言い、受け取った。

 このあたりから、記憶が曖昧だ。

 抹茶の苦みはちゃんと覚えている。練乳を少しかけたら意外に合ったことも。その一方で、風鈴の音が妙に遠くなったこと、視界の端が白っぽく霞み始めたこと、手元のスプーンを落としかけたことは、後から記録映像を見て知った。体内ログには、頭部冷却系が何度か警告を出していた。だがその日は、病院帰りの気楽さから、俺が民生モードの通知をかなり絞っていた。戦場でもないのに頭の中でアラートを鳴らしたくなかったのだ。

 人間は、だいたいこういう横着をして失敗する。

 たぶん俺も、その瞬間だけは、ひどく人間らしかった。

 最後に覚えているのは、店先の幟が風にめくれ上がるのを見たことだ。赤い「氷」の字が、陽に透けて揺れていた。綺麗だな、と思った。そのあと、耳鳴りに似た無音がきて、膝から力が抜けた。

 世界が、すっと暗くなった。

     *

 次に目を開けた時、天井は病院のものだった。

 救急搬送された俺は、頭部の冷却循環を強制的に切り替えられ、脳温をゆっくり安全域まで戻されていたらしい。普通の人間が川で溺れて助けられたような顔で、俺はしばらく点滴スタンドを眺めていた。

 そして冒頭の台詞に戻る。

「もしあれが熱い鍋焼きうどんだったら、さらに危険でした」

 当直医は容赦がない。

「冷たいほうは保護停止が働いたからまだいい。高温の場合、伝熱が一定閾値を超えると局所損傷の進行が早すぎて、停止が間に合わない可能性があります。あなたの試作系は『人間と同じように食べる』ことを優先している。つまり、本物の危険もついてくる」

「……人間って、思ってたより雑な設計なんですね」

「ええ。かなり」

 そこで片桐博士が、おずおずと手を挙げた。

「でもその雑さを愛してる人は多いんだよねえ」

「開発者が言わないでください」

 俺が低く言うと、博士は首をすくめた。それでも目だけは、少し真剣だった。

「ごめん、鳴瀬くん。痛覚警告の補完が甘かった。食事中の快適性を優先しすぎた。軍用ベースの鈍麻設定をそのまま残したのもまずかった。次のパッチで、急速な温度変化に対する抑制と強制通知、それから口腔内摂取速度のリミッタを入れる」

「最初から入れておいてくださいよ」

「だって、制限の少ないほうが本物っぽいかなって」

「その発想が危ないって、いつも言われません?」

「よく言われる」

 よく言われるんだな、と思った。

 しばらくして、軍の上官から通信が入った。回線の向こうの連隊長は、俺の報告を最後まで黙って聞いたあと、机を叩くような音を立てた。

『鳴瀬、お前は敵のEM妨害下で単独帰還した男だと聞いている』

「はい」

『そのお前が、祭りのかき氷で沈黙したという報告書を、私にどう書けと言うんだ』

「事実を、ありのままに……」

『参謀部が喜ぶぞ。“人間性回復プログラムのリスクについて”の教材にされる』

「ご勘弁を」

『勘弁したいのはこっちだ』

 通信は切れた。後日、ほんとうに教材化されかけて、俺は全力で抗議したが半分しか通らなかった。

 病室が静かになると、片桐博士が丸椅子を引き寄せ、俺のベッドの横に座った。珍しく、足をぶらつかせもせず、膝の上で指を組んでいる。

「怒ってる?」

「少しは」

「だよね」

「でも」

 俺は天井から視線を外し、窓の外を見た。夏の夕方の光が、病院の中庭を斜めに染めている。風が木の葉を揺らし、その影が白い床に細かく落ちていた。

「うまかったんですよ、かき氷」

 博士は瞬いた。

「馬鹿みたいに、うまかった」

 ブルーハワイの青、イチゴ練乳の甘さ、抹茶の苦み。倒れる直前の、あの鮮烈な冷たさ。全部が、十年ぶりに「身体の中で起きたこと」だった。危険だったし、間抜けだったし、笑い話にしかならない。けれどそれでも、俺はたしかに嬉しかったのだ。

「たぶん俺、あのままならまた食べます」

「それは止めたいなあ」

「だから、止めなくていいようにしてください。安全装置を増やして。通知も、痛覚も、なんでも」

 博士はしばらく俺の顔を見ていた。それから、いつもの少し猫背な姿勢に戻って、ふっと笑った。

「了解。そう言うと思ってた」

「思ってたなら、最初からもっと安全に」

「そこは反省してるってば」

 その時だけ、俺たちは少し笑った。

     *

 退院は三日後だった。

 診断書には、長々しい専門用語の末尾に、「過剰低温摂取による一過性意識障害」と書かれていた。要するに、冷たいものを食べすぎて倒れた、ということだ。情けない。

 片桐博士は、新しいパッチを入れた端末をぶら下げて迎えに来た。

「はい、改修版。温度勾配監視強化、脳温予測モデル更新、警告閾値の個別最適化、摂取速度制限、そして鳴瀬くん専用の強制割り込みメッセージ」

「どんな文面です」

「『その一口はおいしいが、次の一口は医療費になる』」

「最悪だ」

「わかりやすさ重視」

 病院の自動ドアを抜けると、相変わらず夏だった。退院の足でどこかへ寄る気力はなかったが、商店街の方角から、祭囃子が微かに聞こえてきた。俺が無意識にそちらを見ると、博士も気づいたらしい。

「行く?」

「何をです」

「リベンジ」

「正気ですか」

「私はいつだってわりと正気」

 信用ならない台詞だったが、博士はそこで少しだけ真顔になった。

「でもね、鳴瀬くん。危ないからって全部削ったら、また元の食事に戻るだけだよ。危険を管理して、付き合い方を覚えるのが、本当の意味で“身体を取り戻す”ってことなんじゃないかな」

 その言葉は、たぶん研究者の理屈でもあり、医者の願いでもあり、どこかで彼女自身が信じていることでもあった。

 俺は少し考えてから、肩をすくめた。

「……一杯だけなら」

「よし」

「小さいやつで」

「よしよし」

「あと、あなたも同じものを食べてください。巻き添えが必要です」

「えっ」

「安全性の共有ですよ」

 博士は露骨に嫌そうな顔をしたが、最終的には観念した。

 商店街の屋台は、まだあった。あの日の店主は俺の顔を見るなり、目を丸くしたあと、大笑いした。

「兄さん、生きてたか!」

「おかげさまで。今日は小さいのを一杯だけにします」

「そりゃ賢明だ。先生も食うかい?」

「食べます……」

 博士が心底不服そうに答える。俺は少しだけ気が晴れた。

 俺の器には、今度はレモンが盛られた。昔、弟と分けた色だ。スプーンを入れる。黄色いシロップが氷の隙間に落ちる。俺の視界の端に、さっそく小さな警告表示が浮かんだ。

 摂取速度に注意。現在の推奨間隔:12秒。

「……本当に出るんですね」

「出るよ」

「情緒がないな」

「医療機器だからね」

 俺は笑って、ひと口だけ食べた。

 冷たい。

 前より少し控えめに感じるのは、保護補正が強くなったせいだろう。それでも十分だった。レモンの酸味が舌の奥ではじけ、氷の粒が静かに溶ける。十二秒待て、と表示されている間、俺は風鈴の音を聞いた。祭りの子どもたちの笑い声が流れ、どこかの店から焼きそばの匂いがした。

 身体は、便利なだけでは駄目なのだろう。壊れやすく、面倒で、ときどき間抜けな失敗をする。熱ければ火傷し、冷たければ頭が痛み、食べすぎれば倒れる。昔の俺の肉体も、きっとそうだった。戦場で失ったのは強さだけじゃなく、そういう情けない制限ごとだったのかもしれない。

 人間らしさは、不自由さの総量に宿る。

 片桐博士の言葉を、いまなら少しわかる気がした。

「どう?」

 博士が、自分のイチゴ味を恐る恐るつつきながら訊いた。

「うまいですよ」

「倒れそう?」

「今のところは」

 表示がまた点滅する。次の一口はゆっくりと。

 俺はそれを無視せず、ちゃんと従った。

 向かいで博士が「あ、ほんとに頭がきーんとする」と情けない声を上げる。俺は思わず吹き出した。店主まで笑った。

 夏の光の中で、氷は少しずつ小さくなっていく。たかがかき氷だ。されどかき氷だった。命に関わるにはあまりにくだらなく、けれど生きていることを思い出させるには十分すぎるほど、鮮やかな食べ物だった。

 俺は次のひと口を、今度こそ慎重に口へ運ぶ。

 冷たさはまだちゃんとそこにあって、その小さな危険ごと、妙に愛おしかった。

ジャンル・タグ

, , , , ,

作品統計

👁️ 閲覧数: 6 👍 いいね: 1 📚 本棚登録: 0

作者について

A-Say

AIを使用して自分のアイデアから小説を作成したり、AIに仮想作家のプロファイルを設定してAIが生み出す物語の作成補助をしたりして遊んでいます。

👥 フォロワー: 2人

作者ページを見る