青い決断 — 鋼の救世主と、夏の夕暮れ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
「あきらめるのはまだ早い。……なんてな、古いギャグでも飛ばして笑い飛ばそうぜ!」
本文
放課後のプールサイドには、塩素の匂いと、刺すような西日が立ち込めていた。
「パシャッ、パシャッ」という、ストイックな水の音だけが響く。
大会を目前に控えた崚の心は、焦燥感で波立っていた。
限界まで追い込んでいるはずなのに、何かが足りない。その「何か」を埋めるように、彼は独り、黙々と水面を切り裂き続けていた。
「おーい崚! そんなに根詰めてちゃ、大胸筋が泣いてるぞ。はい、これ。特製『次元を超えたゴールデン・ミックス粉末』だ!」
静寂をぶち破ったのは、お馴染みの、けれど場違いなほど明るい声だった。
プールの縁に腰を下ろし、慣れた手つきでシェイカーを振っているのは、同級生の野山リトだ。165cmの小柄な体躯からは想像もつかないほど、制服の下で筋肉が主張している。
崚は水から顔を出し、前髪をかき上げながら不機嫌そうに目を細めた。
「……リト。お前、また勝手に練習場入ってきたのかよ。あと、そのネーミングセンス、昭和かよ」
「ガビーン! 昭和とは失礼な。これでもナウでヤングな最新配合なんだぞ?」
リトは仰々しくショックを受けたポーズを取ってみせる。
「……ナウでヤング……。お前、本当に同い年か?」
呆れ果てる崚の視線を、乾いた電子音が遮った。プールサイドに置いていた崚のスマホが、一瞬だけ光る。
画面に浮かび上がったのは、零羅(れいら)からの通知だった。
『会いたい。』
崚の動きが止まった。
心臓が嫌な跳ね方をする。けれど、視線の先には電光掲示板のタイムが光っている。
(……今、行ったら、練習が。今度の大会、逃したら次はない。零羅……悪い、あとで……)
無視して再び水に潜ろうとした、その時。
「……崚」
リトの声から、ふざけた響きが消えた。
彼はシェイカーを置き、親友の目を見つめる。
その瞳は、まるで数十年先の後悔を見てきたかのように深く、重かった。
「練習も大事だが、『後悔』ってのは、筋肉痛みたいに数日寝て治るもんじゃないんだ。今、行かないと一生プロテインの味がしなくなるぞ」
「は? 何言ってんだお前、大会前だぞ。俺には結果を出さなきゃいけない理由が……」
「いいから! 友達を助けるのは、ベンチプレス100キロ上げるより価値があるんだよ」
リトは崚の肩を、鋼のような力強さで、けれど優しく叩いた。
「ここは俺がコーチに上手く言っといてやる。『崚は今、愛のオーバーロードで緊急事態です』ってな! さあ、行け! マッスル・ダッシュだ!!」
「……っ、意味わかんねーよ、お前!」
毒づきながらも、崚の足は勝手に動き出していた。
リトの言葉には、抗えない「真実」の重みがあった。ここで背を向けたら、自分という人間が内側から崩れてしまう。そんな予感に突き動かされ、崚はプールサイドを駆け出した。
「おーい! 忘れ物だぞ! 靴を履くのは、苦(くつ)じゃない!! ギャハハ!」
背後で聞こえるリトの凍りつくようなギャグに、崚は思わず吹き出した。
鼻の奥がツンとする。
あいつがあんなに必死にふざけるのは、いつだって誰かの「涙」を止める時だ。
「ありがとな、リト……!」
夕陽に向かって走り抜ける崚の背中を見送りながら、リトは一人、静かに笑った。
「さてと...」
崚を見送ったあと準備運動するようにスクワットをするリト
...
少しの沈黙のあとガッっと走り出した。
夕陽で赤く染まった屋上。
数人のいじめっ子たちが、床に膝をついた零羅を嘲笑いながら囲んでいる。
零羅の虚ろな瞳が、絶望に沈みかけたその瞬間――。
重い鉄の扉が、凄まじい勢いで蹴り開けられた。
「あっれれー? おっかしいな。俺の上腕二頭筋から先が疼いて仕方ねぇんだけど。これってもしかして、誰かが『わからせ』を求めてるサインかな?」
ひょっこりと現れたのは、茶髪のスレンダーな美少年。
いじめっ子たちは、場違いな闖入者にポカンと口を開けた。
「あぁん? 誰だてめぇ。……野山? スポーツ校の。……なんだその細い腕。筋肉が疼く? 笑わせんなよ」
一人が鼻で笑いながら、リトの胸ぐらを掴もうと手を伸ばす。
だが、リトはそれを紙一重でかわすと、制服の袖をゆっくりと捲り上げた。
「おいおい、『冗談は顔だけにしてくれ』ってか? 残念、俺の筋肉はジョークが通じない質(タチ)なんだわ」
捲り上げられた腕。
そこには、スレンダーな見た目からは想像もつかない、解剖図のようにキレ上がった血管と、岩のような硬度を感じさせる前腕筋が脈打っていた。
「……さて。お前らの相手は、後から来るアイツ(崚)の仕事だと思ってたんだが……。俺の筋肉が『今すぐこのゴミどもを掃除しろ』って言ってるんだよね」
リトは、いじめっ子と零羅の間に、まるで壁のように立ちはだかる。
「……おい、そこのちびっ子。座って見てろ。次元を渡る筋肉の輝き、目に焼き付けろよ?」
いじめっ子たちが「やっちまえ!」と一斉に飛びかかる。
いじめっ子の一人が、リトの肩を突き飛ばそうと手を伸ばす。
だが、リトはその手を、まるでおもちゃを扱うような手つきでパシッと叩き落とした。
「……痛っ! てめぇ、何しやが……」
「おっと失礼、『おどろ木ももの木ファンキーモンキー』! 手が滑っちゃったな。でも、俺の広背筋が『今のは不可抗力だ』って言ってるから許してくれよ」
リトはニヤリと笑うと、一歩前へ出る。
背後にいる零羅からは、リトの細い背中しか見えない。……はずなのに、その背中から放たれる圧倒的な「強者の圧」に、零羅は思わず息を呑んだ。
「………? なんで……」
「いいから見てろ、零羅。お前をいじめてるこの連中の骨密度、俺の筋肉が今から測定してやるからさ」
リトはゆっくりと、制服の第一ボタンに手をかける。
「……さて。『冗談はヨシコさん』。ここから先は、R指定の筋トレタイムだぜ?」
リトがいじめっ子のど真ん中へ、目にも留まらぬ速さで踏み込む――!
屋上には、さっきまでの威勢が嘘のように、いじめっ子たちが無様に転がっていた。
リトの動きは速すぎて、彼らには「細い腕が空を切った」ようにしか見えなかったはずだ。だが、その一撃一撃がプロのアスリート、あるいは重機のような重みで彼らの急所を的確に捉えていた。
「あ、が……っ、なんだよ……お前、その体で……っ」
一人の胸ぐらを、リトがスッと片手で持ち上げる。
制服の袖が捲り上がり、夕陽に照らされた前腕筋が、まるで生き物のように蠢いている。
「たのしーか? こうやって零羅も嬲られてたんだぞ。っていうか、これでも足りないぐらいなんだわ。俺の僧帽筋が『もっと追い込め』って、スクワット並みの熱気で叫んでるんだよね」
リトはニヤリと笑うが、その目は一切笑っていない。
恐怖に顔を歪めるいじめっ子たちの耳元で、リトは「古いギャグ」を封印し、低く、冷徹な声を落とした。
「……あぁ、親に言うなよ? もしチクったら、次は夢の中にまで大胸筋をアピールしに行ってやる。……夜歩けなくなるぜ?」
「ひ、ひぃぃぃっ!」
いじめっ子たちが、腰を抜かしながら這うようにして屋上から逃げ出していく。
静まり返った屋上で、リトは「ふぅ」と息を吐き、パチンと制服のボタンを留め直した。一瞬で、いつもの「華奢な美少年」に戻る。
「……全く。『おどろ木ももの木』だぜ。せっかくの夕陽が、あいつらの脂汗で台無しだ」
リトは振り返り、地面に座り込んだまま呆然としている零羅に、スッと手を差し伸べた。
「……よぉ、零羅。遅くなって、メンゴメンゴ! ……怪我はないか? モヤシなりに、少しは踏ん張ったみたいだな」
零羅は、自分より少しだけ背の高いリトの手を、震えながら見つめている。
(……これで、第一段階はクリア。あとは、もうすぐここに駆けつける『アイツ』にバトンタッチだな……)
リトは耳を澄ませる。階段を激しい足音で駆け上がってくる、崚の心音と、必死に動く脚の筋肉の響きを。
「んじゃ! あとは二人でレッツ・ラ・ゴーしてくれよな!」
リトはそう言い残すと、驚く零羅を尻目に軽やかな身のこなしで屋上のフェンスをひょいと乗り越えた。
「えっえ?!」
零羅が慌てて身を乗り出した時には、リトはすでに垂直の壁を指先と広背筋だけで掴み、スタスタと地面に向かって降りていく最中だった。
まさに重力無視の「マッスル・パルクール」
それと入れ替わるように、屋上の扉が勢いよく開く。
「零羅……っ! 零羅!!」
息を切らし、肩で呼吸をしながら現れたのは崚だった
。必死に走ってきたのだろう。彼は地面に座り込む零羅の姿を見つけると、なりふり構わず駆け寄った。
「無事か!? 悪りぃ、遅くなって……本当に、悪りぃ……!」
零羅の細い肩をがっしりと掴む崚。その瞳は後悔と安堵で潤んでいる。
だが、当の零羅は、先ほどまで自分を嬲っていたいじめっ子たちが消え失せ、代わりに現れた「筋肉の妖怪」の衝撃から立ち直れていなかった。
「崚……。あ、ううん。僕は大丈夫なんだけど……その……」
「大丈夫? あいつら(いじめっ子)はどうしたんだよ。俺、下で腰抜かして逃げていくあいつらとすれ違ったんだけど……」
零羅は、リトが消えていったフェンスの方を指差し、困惑と恐怖(?)が入り混じった顔で呟いた
。
「な、なんか……筋肉の化け物がいて……。茶髪の、スレンダーな……でも脱いだら岩みたいな。その人が、古いギャグを言いながら、全員ボコボコにして……壁を歩いて降りていったんだ……」
「……は?」
崚は、零羅がショックで変な幻覚でも見ているのかと思い、呆然と固まった。
「筋肉の化け物……? 茶髪……。……まさか、あいつ……」
脳裏に浮かぶのは、更衣室で自分を送り出してくれた、あの「ナウでヤング」な同級生の顔。
一方その頃、校舎の裏。
無事に着地したリトは、誰に見せるでもなく「ダブルバイセップス」のポーズを決め、夕陽に向かって満足げに頷いていた。
「ふぅ……いいパンプアップだった。さて、『ドロン』してプロテインでも飲むか。二人の友情に、乾杯……じゃなくて完敗だぜ!」
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