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整形外科医

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/13 📚 シリーズ: 帰ってきました~貴方へのラブレター~ 📝 2,412文字 ✅ 全年齢

あらすじ

異世界帰り色々な日常 一話完結・オムニバス

本文

佐藤 純が気づいたとき、彼はまだ病院の更衣室にいた。

ロッカーの扉を開けたまま、白衣に手をかけたその姿勢のまま。蛍光灯は相変わらずわずかにちらついていて、廊下からはナースコールの電子音が聞こえてくる。十五年という歳月が、まるでなかったことのように。

純はゆっくりと深呼吸した。

整形外科医として培った冷静さが、パニックの手前でかろうじて彼を引き留めている。骨折した患者を前にしても動じない、あの無表情で有名な佐藤先生が、今だけは目を細めて更衣室の天井を見上げていた。

「……十秒も経ってないじゃないか」

呟きは誰にも届かない。

白衣を羽織りながら、純は記憶を整理しようとした。いや、整理などできるわけがない。十五年分の記憶が、脳の中で渦を巻いている。魔法の修練。薬草の採取。竜との交渉。名前も覚えきれないほどの人々との別れ。

それが全部、この十秒間に圧縮されている。

純はとっさに自分の関節を確認した。手首を回す。肘を曲げる。肩を上げる。異世界で何度か骨折したが、ポーションのおかげで綺麗に治癒している。むしろこちらにいた頃より、可動域が広がっているかもしれない。

職業柄、それが少しだけ気になった。

---

午前の外来が始まるまで、あと十分ある。

純はコーヒーを入れて、診察室の端に腰を落ち着けた。電子カルテには本日の患者一覧が並んでいる。変形性膝関節症。腱板断裂。腰椎椎間板ヘルニア。いつも通りの顔ぶれだ。

異世界では、これらをポーションで10秒で治していた。

純は額に手を当てた。これは困ったことになった。

変形性膝関節症ひとつとっても、こちらでは投薬、リハビリ、場合によっては人工関節置換術というルートをたどる。長い道のりだ。一方、向こうでは「回復の雫」を一滴垂らせば、軟骨が目の前でにゅるると再生する。患者は「おお」と声を上げ、立ち上がって歩き出す。   以上。

手術時間、ゼロ分。リハビリ、不要。術後感染リスク、皆無。

……現代医療とはなんだったのか。

もちろん重篤な疾患にいきなりポーションは使えない。認可もなければデータもない。「魔法薬です」で認可が下りる世界であってほしいが、残念ながらここは日本だ。

ただ、軽効のものなら話は別かもしれない。筋肉の疲労を取ったり軽い炎症を鎮めたりする、湿布の上位互換みたいな代物が向こうには存在した。材料の一部はこちらの近縁種で代替できる。

そしてもっと先の話をするなら——純はエリクサーの調合法まで習得している。

どんな傷も病も一滴で癒す、究極の回復薬だ。使いどころが来るかどうかはわからない。でも、来たときのために手順だけは頭に入れておく。

純はコーヒーカップを置いた。まあ、今日のところは肩こりから始めよう。

...

最初の患者は、膝が痛くて階段が辛いという主訴だった。

レントゲンを見ると、関節の隙間がかなり狭くなっている。典型的な変形性膝関節症だ。

「先生、良くなりますかねえ」

患者は不安そうな目で純を見た。

純の脳裏に、ポーションの小瓶が浮かんだ。めちゃくちゃ良くできた薬だ。

使えないけど。

「リハビリから始めましょう。大腿四頭筋を鍛えることで、膝への負担を減らせます」

患者は安心したように頷いた。

「向こうなら10秒なんだけどな」と思ったが、顔には出さなかった。。

---

昼休みに、純は屋上に出た。

空は青く、雲は白い。異世界の空はピンク色だった。

あちらではドラゴンや翼竜が当たり前のように横切っていたが、こちらではカラスと鳩しかいない。

純は手すりに肘をついて、ぼんやりと空を眺めた。

ふと、引っかかっていたことが、するりと形になった。

外来で診た患者の顔が浮かぶ。膝の痛みで階段が辛い、肩こりがひどくて夜も眠れない、湿布を何枚貼っても追いつかない——そういう人たちだ。手術するほどではないが、じわじわと日常を削られている。

あの人たちになら、軽効ポーションをこっそり使えるんじゃないか。

純は少し考えて、すぐに結論を出した。

まあ、いいだろう。患者が楽になるなら、細かいことは気にしない方向で。

---

午後の手術は、橈骨遠位端骨折の固定だった。

一時間もかからない比較的楽な手術だ。

純はガウンを着てグローブをはめて、手術室に入った。

メスを持った瞬間、不思議な感覚があった。

この手で、十五年間、ずっと人を治してきた。こちらでもあちらでも、道具は違っても、やっていることは同じだった。

壊れたものを元に戻す。動けない人を動けるようにする。

ポーションがあれば10秒で終わるな、とふと思った。

……いや、待て。骨の硬さ、手ごたえ、スクリューが噛み込む感触。この一時間の情報は、ポーションでは絶対に得られない。純の強みは結局、この手の感覚だ。十五年でさらに磨かれている。

純は雑念を振り払い、骨片を丁寧に整復した。スクリューを一本ずつ、確実に。モニターの数値は安定している。 麻酔科の先生の大きな声が聞こえる。

変わったのは、自分の中身だけだ。十五年分の経験と、少し広がった可動域と、誰にも言えないエリクサーの調合法と。

使いどころは、きっとある。そんな気が、じわじわとしてきた。

---

夕方、すべての診療が終わって、純は更衣室に戻った。

白衣を脱ぎ、ロッカーを閉める。朝、まさにその姿勢で十五年が始まり、十五年が終わった場所だ。

バッグを肩にかけながら、今後の予定を考えた。薬局に寄って、軽効ポーションの材料を探す。うまくいけば週末に試作できる。まず自分の肩こりで試して、手ごたえがあれば患者にもこっそり使う。地味だが、確実な一歩だ。

肩こりから始めて、いつかもっともっと大事なものを使う。そういう話だ。

なんだか、楽しみになってきた。

佐藤 純は、病院の自動ドアを抜けた。

夕暮れの風が、十五年ぶりに静かに撫でていった。

その顔は、朝よりも少しだけ晴れやかだった。

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JJ

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