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第89話 閑話 田中陸は、モブが主役になる瞬間を見届ける

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/16 📚 シリーズ: 「隅っこのこと、教えてよ」——クラスの有名人に観察係を任された僕の青春記録 📝 4,285文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

クラスの有名人・桜井すみれには、誰にも言えない裏の顔がある。 ――匿名で「主役じゃない人たちの高校生活」を綴る、秘密のエッセイ書き。 「私、どうしても真ん中側からしか見えないの。隅っこのこと、教えてよ」 その一言で、教室の"背景"だった僕は「観察係」に任命された。 放課後の屋上で秘密を共有し、雨の日の教室で本音をぶつけ合い、 「業務連絡」という名の理屈を重ねるうちに——距離だけが、じわじわと縮まっていく。 「安藤くんのその『色』が、私のお気に入りなんだけどな」 本人たちだけが気づかない。周りはとっくに察している。 名前のつけられない関係が、三年かけてゆっくり恋に変わる、じれったすぎる青春の記録。

本文

 千夏ちゃんからLINEが来たのは、年明けの三日目だった。

『ごめん、ちょっと聞いていい? 最近、湊と連絡取ってる?』

 正月のぐうたら生活を全力で満喫していた俺は、こたつの中でスマホを持ち替えた。

『年末に「あけおめ」送ったくらい。既読はついた』

『返事は?』

『「あけおめ。今年もよろしく」。以上。句読点までテンプレ』

 少し間が空いてから、返事が来た。

『なんかさ、クリスマスのあと湊の返事がそっけないっていうか……勉強で忙しいだけならいいんだけど』

 俺はこたつから上体を起こした。

 千夏ちゃんが「ちょっと聞いていい?」を使うときは、大体ちょっとじゃない。

『そっけないって、具体的には?』

『スタンプだけとか、既読スルーが増えた。前はもうちょっと中身あったのに』

 なるほど。

 千夏ちゃんは大げさに騒ぐタイプじゃない。

 わざわざ俺に聞いてくる時点で、それなりに引っかかっているということだ。

『了解。気にしとくわ。何かあったら連絡する』

『ありがと。……心配しすぎかもだけど』

『心配しすぎくらいでちょうどいいよ。あいつ、自分からSOS出すタイプじゃないから』

 そう送ってから、こたつに背中を預けた。

 天井を見上げる。

 湊の返事がそっけない。

 秋に会ったときは、文化祭のことを聞いても妙に口数が少なかった。

 年末にLINEで「調子どう」と聞いたときも、「まあぼちぼち」の四文字で終わった。

 あいつは元々、自分から語るタイプじゃない。

 でも「語らない」と「閉じている」は違う。

 最近の湊は、後者に見える。

 ◇

 一月の冬休み明け。

 予備校の直前対策講座の帰り道。

 試験終了のチャイムが鳴って、建物を出る。

 一月の風は顔が痛い。

 マフラーを口元まで上げて、駅に向かう途中——人混みの中に、見覚えのある後ろ姿を見つけた。

 黒髪。猫背気味の姿勢。

 ダウンジャケットのポケットに両手を突っ込んで、周囲に溶け込むように歩いている。

 見慣れた背中だ。

 十何年、ずっと見てきた。

「おい」

 声をかけると、湊の肩がぴくりと跳ねた。

 振り返った顔は、思っていたより疲れていた。

「……陸?」

「おう、奇遇だな」

「奇遇って……なんでここに」

「俺は直前講習。それよりお前、なんかゾンビみたいな顔してるぞ」

 湊が小さく息を吐いた。

 白い呼気が、一月の空気に溶ける。

「寒い。どっか入るか」

 湊が頷く。断る気力もなさそうだった。

 駅前の通りを少し入ったところに、チェーン系のカフェがあった。

 受験生だらけの時期だが、昼過ぎの微妙な時間帯のおかげで、奥のテーブル席が空いていた。

 ブレンドコーヒーを二つ頼んで、向かい合って座る。

 湊は上着を脱いで、椅子の背にかけた。

 俺はコーヒーを一口飲んで、聞いた。

「受験、どうよ?」

「……この前返ってきた模試が、C判定だった」

「Cか。まだ戦えるじゃん」

「前回はBだったんだよ。落ちてる」

 湊はカップを両手で包んだ。指先が白い。

「一度B出せてんなら、ポテンシャルはあるってことだろ」

「そういう問題じゃないんだよ……」

 湊の声は、平坦だった。

 怒っているわけでも、泣いているわけでもない。

 ただ、疲れている。

「……やっぱりさ、分相応なところに変えたほうがいいのかなって」

 湊が、コーヒーの水面を見つめたまま言った。

「本命のままだと、共通テストでかなり取らなきゃいけないし。

 ランク落とせば、今の偏差値でも安全圏に入る」

 論理的に聞こえる。

 だが、あいつが「分相応」って言葉を使うときは、大体自分を低く見積もっているサインだ。

 俺はコーヒーを置いた。

「なあ、湊」

「何」

「志望校の話は一回置いとく。別のこと聞いていいか」

 湊の眉が、わずかに動いた。

「お前さ、気づいてんだろ。桜井さんの様子がおかしいの、お前が一番分かってんだろ」

 湊の手が、カップの上で止まった。

「なんで陸が桜井さんの様子を知ってるんだよ……」

「千夏ちゃんから聞いた」

「……そっか」

 湊は一息つき、少ししてから口を開いた。

「……共通テスト前で忙しいんだよ。桜井さんは」

「嘘つけ」

「嘘じゃない」

「じゃあなんで、"桜井さん"って言うときだけ目が逸れるんだよ」

 湊が黙った。

 高二の十二月に湊に会ったとき、俺は「文化祭のあと何かあった?」と聞いた。

 あのときも湊は黙ったけれど、その沈黙は「言いたくない」だったと思う。

 今のは、たぶん違う。

 言葉にする方法を探しているような、そういう黙り方に見えた。

「……共通テスト前だから、ってのは嘘じゃないよ。実際、忙しいとは思う」

 湊は、コーヒーの水面に目を落としたまま、ゆっくりと口を開いた。

「でも……それだけじゃないのは、たぶん分かってる」

「たぶん、じゃないだろ」

「……うん。桜井さんの様子が違うのは、分かってる。

 でも、何が違うのかはうまく言えない」

 静かに認めた。

 カフェのBGMが、やけに遠くに聞こえる。

 隣のテーブルで参考書を広げている女子二人組の鉛筆の音だけが、やたら近い。

 俺は、一つだけ聞いた。

「……で、お前はどうしたいんだよ」

 湊の視線が、手元に落ちた。

 カップの縁を、指先で無意識になぞっている。

「……最近さ」

 声が小さくなった。

「いつも通りに見てたのに、間に合わなかったことがあって」

「間に合わなかった?」

「桜井さんが、一人で辛そうだったとき。……僕より先に、別の人が隣に立ってた」

 湊の言い方は曖昧だったが、何かを指しているのは分かった。

 具体的に何があったのかは知らない。

 千夏ちゃんからも、そこまでの詳細は聞いていない。

 ただ、湊の声が、さっきの「分相応」とは別の色をしていた。

 模試の疲れや志望校の迷いじゃない。

 もっと違う、生々しい何かだ。

「……隣にいたのは、僕じゃなかった」

 口からこぼれ落ちたその一言に、言った本人が一番驚いているような顔だった。

 カフェの暖房が、低く唸っている。

「……で、どうしたかったんだよ」

 俺は、できるだけ普通の声で聞いた。

 長い間。

 湊が、カップから手を離した。

「……隣に、いたかった」

 短い言葉だった。

 だが、そこに乗っている重さを、俺は聞き逃さなかった。

 高一の夏。

 ファストフード店で「恋愛から逃げるな」と言ったとき、湊は「モブ志望です」で流した。

 高二の秋。

 コンビニの前で「手ぇ伸ばせ」と言ったとき、湊は「欲しいものなんて、特にないけど」と返した。

 あのとき「ない」と言い切っていたやつが、今——「いたかった」と言った。

 ない、じゃなくて。

 欲しい、だったんだ。ずっと。

「……やっと言ったな」

 声が少し掠れた。自分でも驚いた。

「やっと、"欲しい"って言ったな。お前」

 湊が顔を上げた。

 目が合った。

 ……ああ、こいつ。自分が今どんな顔してるか、分かってないだろうな。

 観客席に座っていたやつの顔じゃない。

 殻に隠れてモブを気取っていたやつの顔でもない。

「……一番いい席で」

 湊は、俺から視線を外さなかった。

「彼女の続きが読みたいんだ。だから……足掻くよ」

 カップを握る手に、力がこもった。

 さっきまでの無意識のなぞり方とは、明らかに違っていた。

 俺は、奥歯を噛んだ。

 笑ってないと、別の何かが漏れそうだった。

 こいつに「主役になれ」と言い続けて、何年だ。

 小五のあのとき——教室で全員が俺を犯人扱いしかけたとき、一人だけ手を上げたあの湊と、同じ目をしていた。

 ずっと知ってた。こいつは本気を出したとき、誰よりかっこいいってことを。

「……やっと主役の顔になったな」

 俺はニヤッと笑った。

「身の程なんかさ、後から付いてくる。だから、頑張れよ!」

 つい熱くなってしまった。

 けれどそんな俺の言葉に、湊は、ほんの少しだけ目を細めた。

 笑った、というには足りない。

 でも、さっきまでの疲れた顔とは、明らかに違っていた。

「……うるさいな、お前は。昔から」

「外部相談役だからな」

「もう高三だぞ。そろそろ肩書き返上しろよ」

「やなこった。卒業まで更新済みだ」

 湊が、ふっと息を吐いた。

 それは、久しぶりに見た、力の抜けた呼吸だった。

 ◇

 カフェを出ると、日が傾き始めていた。

 一月の夕方は早い。駅前のロータリーに、街灯がぽつぽつと点き始めている。

「じゃ、俺この後寄るところあるから」

「ん。……今日はサンキュー」

「だから何もしてないって。コーヒー飲んだだけだ」

「まあ、それはそうだけど」

 湊がマフラーを上げた。

 鞄を肩にかけ直すとき、ぽつりと呟いた。

「……やっぱ、本命で出す」

 独り言のつもりだったんだろう。俺に聞かせるための声じゃなかった。

 だからこそ、本音だと分かった。

「……じゃあな」

「おう。死ぬなよ、受験生」

「お前もな」

 湊の背中が、人混みに消えていく。

 十何年見てきた背中だ。猫背で、目立たなくて、人の流れに溶けるのがうまい。

 でも今日のあいつは、いつもより少しだけ背筋が伸びていた。

 たぶん、本人は気づいていない。

 ◇

 駅の改札を抜けてから、俺はスマホを取り出した。

 千夏ちゃんとのトーク画面を開く。

『さっき湊に会った。偶然』

 送信。

 すぐに既読がついた。

『え、マジで!? どうだった??』

『大丈夫だよ。あいつ、ちゃんと前向いてた』

 少し迷ってから、もう一行追加した。

『ちょっとだけフォロー頼んでいいか。

 桜井さんのほうじゃなくて、湊のほう。

 あいつが変に気を張りすぎないように、いつも通りでいてくれるだけでいい』

『了解。いつも通りね。得意分野だわ』

『佐伯さんにも共有しといてくれると助かる。

 同じ感じで。普段通りにしてくれてるのが、たぶん湊には一番効く』

『りょ。サエにも言っとく。……ってか陸くん、心配性すぎない?』

『うるせえ。外部相談役なめんな』

 送信して、スマホをポケットにしまった。

 ホームに電車が滑り込んでくる。

 ドアが開いて、受験帰りの学生がぞろぞろと降りてくる。

 湊が「隣にいたかった」って言ったとき。

 あいつは、小五のあのときと同じ目をしていた。

 震える足で、それでも立ち上がったときと同じ。

 今日のあいつも、怖いまま、言葉にした。

 だから、大丈夫だ。

 電車のドアが閉まる。

 俺はつり革を掴んで、窓の外を見た。

 一月の空は、もうほとんど暗い。

 でも、西のほうだけ、まだ少しだけオレンジが残っていた。

 あいつが足掻くなら、俺は観客席で見届ける。

 それが俺の持ち場だ。昔から、ずっと。

 ——ただ、一つだけ。

 『一番いい席で、彼女の続きが読みたい』

 あれを聞いたとき、背中にぞわっと来たのは、たぶん一生あいつには言わない。

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もりぞー

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