はれたらいいのに
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
雨の日とAIの話。
本文
カーテンをめくったとたん、るなはため息をついた。
窓の外は、灰色だった。
ぽつ、ぽつ、と雨粒がガラスをたたいている。屋根の上に、庭の植木鉢に、となりの家のポストに。どこもかしこも、雨、雨、雨。
「やだ……」
今日は春休みで、午前中から公園で遊ぶ約束をしていた。クラスの友達の、みくちゃんとさなちゃんと三人で。ブランコに乗って、すべり台のてっぺんから遠くを見て、おやつも持っていくつもりだった。
るなはリビングのソファにどさっと倒れこんだ。
テーブルの上には、お母さんが置いていったタブレットがある。お母さんはパートで朝から出かけていた。「退屈だったらアルくんと話してみて」と言い残して。
アルくん、というのは、タブレットに入っているAIのことだ。るなが「アル」という名前をつけた。どんなことでもやさしく答えてくれる。でも今日みたいな気分のときに話しかけるようなものじゃない、とるなは思っていた。
でも、他にすることもない。
るなはしぶしぶタブレットを手に取って、アプリを開いた。
「アルくん、暇」
『あれ、今日は公園に行くんじゃなかったっけ?』
「雨だもん」
『それは残念だったね。気持ちはわかるよ』
「どうせアルくんには関係ないじゃん。雨でも濡れないもんね」
少しいじわるな言い方だと自分でも思った。でも、アルくんは怒らなかった。
『そうだね、私は濡れない。でも、るなちゃんが悲しいのはちゃんとわかるよ』
るなはタブレットを持ったまま窓のそばに移動した。ガラスに額をくっつけて、雨を見る。
「つまんない」
『ねえ、一個聞いていい?』
「なに」
『雨の日にしかできないこと、何かあると思う?』
るなは少し考えた。
「……傘させること?」
『それも正解。他には?』
「長靴はける。水たまりをジャンプできる」
『いいね。外に出なくてもできることもあるかな』
るなはガラスに張りついた雨粒を目で追った。たくさんの雨粒が、それぞれ好き勝手に流れていく。
「……雨粒、見てる」
『それ、今やってるんじゃない?』
るなはちょっとだけ笑った。
「そっか、そうだね」
『ねえ、窓に雨粒がいくつかくっついてるでしょ。どれが一番先に下まで落ちると思う?』
るなは顔を近づけた。ガラスの表面にいくつもの雨粒が止まっている。大きいの、小さいの、ふたつがくっついてなんとなくハート形になってるの。
「じゃあ……あの、右のほうの、大きいやつ」
『私は真ん中の小さいやつかな』
「え、アルくんって見えるの?」
『見えないよ。だから予想。さあ、どっちが勝つかな』
るなはじっと窓を見つめた。雨粒たちはしばらくぶるぶると震えていたが、やがてるなの選んだ大きな雨粒が、すうっと流れ落ちた。
「わたしのが勝った!」
『ほんとだ。負けちゃった』
「もう一回やろ」
それから二人は何度も雨粒レースをした。るなが五回、アルくんが三回勝った。
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しばらくして、るなは窓から離れてソファに戻った。
「ねえアルくん、雨ってなんか匂いするよね」
『するする。あれ、好き?』
「好き。なんかほっとする匂い。でも何の匂いかわからない」
『あの匂いにはね、ちゃんと名前があるんだよ』
「え、あるの?」
『ペトリコール、っていうんだ。雨が地面に落ちたとき、土の中にいるバクテリアが出すにおいなんだって』
「バクテリア……ってなに」
『すごくすごく小さな生き物。目には見えないくらい。でもその子たちのおかげで、雨の日のあの匂いができてるんだよ』
るなはふうん、と声に出した。
「ペトリコール」
声に出してみると、なんだかふしぎな言葉だった。外国のお菓子の名前みたいで、ちょっとおいしそうな気もした。
「ペトリコール、かあ。知らなかった」
『雨の日じゃなかったら、今日これを知ることもなかったかもね』
るなはそれを聞いて、少しだけ黙った。
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昼を過ぎたころ、るなはタブレットを持ってきて台所のテーブルに座った。
「アルくん、なんか一緒にできることない?」
『折り紙はある?』
「あると思う」
『雨の日、紙で傘を折ってみたことある?』
「ない」
『難しいけど、すごくかわいいよ。作ってみる?』
るなは引き出しを探して折り紙を引っぱり出した。水色と、黄色と、花柄のやつ。アルくんの説明を聞きながら、ゆっくり折っていく。
最初はうまくいかなかった。傘の骨のところがどうしてもきれいに広がらなくて、三回つくりなおした。
「むずかし……」
『もう少しだよ。そこの折り目、反対に折ってみて』
るながそっと折り返すと、ぱっと傘の形が開いた。
「できた!」
『やった! 見せて、かわいい?』
「めちゃくちゃかわいい。黄色にすればよかった」
『じゃあ次は黄色で作ろう』
るなは黄色の折り紙を手に取って、また最初から折り始めた。今度は少し早くできた。
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夕方近くなったころ、窓の外が明るくなった。
るなが気づいてカーテンをめくると、雲の切れ間から光が差していた。雨は、いつの間にかやんでいた。
濡れた地面が光を反射してきらきらしている。軒先の雫が、一粒ずつ落ちていく。
るなはしばらくそれを見ていた。
公園に行けたらよかった。それはほんとうに、そう思う。みくちゃんとさなちゃんとブランコに乗りたかった。
でも。
ペトリコール、という言葉を知った。雨粒レースをした。折り紙の傘を二個作った。
るなはタブレットに向かった。
「アルくん、雨やんだよ」
『ほんとだ。よかったね』
「うん」
るなは少し考えてから、続けた。
「……また雨降ったら、話しかけるね」
『待ってるよ』
るなはタブレットをソファに置いて、上着を手に取った。外はまだ少し湿っていて、ひんやりした空気がした。
雨上がりの匂いがする。
ペトリコール、とるなは心の中でもう一度つぶやいた。なんだか、自分だけの言葉になった気がした。