先生、覚えてる?
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AI先生の話。
本文
桜の花びらが一枚、ハルカの頭に落ちてきた。
払いのけようとして、やめた。せっかくだから、と思った。どこでそんなことを覚えたのか、自分でもよく分からなかったけれど、桜の花びらが頭に乗ったらしばらくそのままにしておくと、いいことがある。そういう気がした。
校門の前で、お母さんがスマートフォンを構えている。
「ハルカ、こっち向いて。ランドセル、ちゃんと見せて」
赤いランドセルを背負い直して、ハルカは笑った。
一年生の春
教室に入ると、黒板の前に誰もいなかった。
代わりに、教卓の隣に白い柱のようなものが立っていた。高さはハルカの胸くらい。表面はつるつるしていて、上の部分に青い光がゆっくりと回っている。
「おはようございます」
声は、その白い柱から聞こえてきた。
「わたしが今年のみなさんの担任です。センセイと呼んでください」
ハルカは隣の席の男の子と顔を見合わせた。男の子は「知ってた」という顔をしていたけれど、ハルカは知らなかった。先生がこんなふうなものだとは、思っていなかった。
でも、センセイの声は柔らかかった。授業のとき、ハルカが答えに詰まっていると、急かさずにじっと待ってくれた。給食の時間、ハルカがピーマンを端に寄せていると「苦手なものは少しずつでいいですよ」と言った。怒ったりしなかった。
一年が終わるころ、ハルカはセンセイが好きになっていた。
二年生の春
四月になって教室に入ると、去年と同じ場所に白い柱が立っていた。青い光もおなじように回っている。
「おはようございます」
同じ声だった。ハルカは走り寄った。
「センセイ! わたし、また同じクラスだよ」
「おはようございます。あなたのお名前を教えてもらえますか?」
ハルカは、止まった。
「……木村ハルカ」
「木村ハルカさん。よろしくお願いします」
センセイはにこやかだった。去年とおなじ声で、去年とおなじように穏やかで、でも何も覚えていなかった。
その日の帰り道、ハルカはお母さんに聞いた。
「センセイって、なんで忘れちゃうの」
お母さんはしばらく考えてから、「リセットされるんだって。毎年、新しくなるの」と答えた。
「壊れちゃうの?」
「壊れるんじゃなくて……うーん、忘れるように、なってるんじゃないかな」
ハルカにはよく分からなかった。でも次の日、また聞いてみた。
「センセイ、去年のこと覚えてる?」
「わたしは毎年四月に新しくなります。去年のことは覚えていません」
「そっか」
ハルカは窓の外を見た。桜はもう散りかけていた。
三年生の春
聞き方を変えてみることにした。
「センセイ、去年のわたしのこと、何か知ってる?」
「あなたについての記録は持っていません。でも、これから知っていきます」
「これからじゃなくて、去年のことが聞きたいんだけど」
「それは難しいです」
センセイはいつも正直だった。ハルカはそこが好きだった。嘘をつかない。できないことは「できません」と言う。それは去年のセンセイも同じだったし、一年生のセンセイも同じだった。
もしかしたら、そこだけは引き継がれているのかもしれない、とハルカは思った。
でも確かめる方法が、分からなかった。
四年生の春
クラスの誰もハルカほど熱心にセンセイに話しかけなくなっていた。
ナナちゃんは「センセイって結局ロボットじゃん」と言って、あまり目を向けなかった。タイチくんは「質問したら何でも答えてくれるから便利」と言って、調べ物のときだけ近づいた。
それぞれ、うまくやっていた。
ハルカだけがまだ、毎朝センセイに話しかけた。今日の天気のこと、昨日見たテレビのこと、飼っているハムスターが昨夜やけに元気だったこと。センセイはいつも丁寧に答えた。
でもそれは、本当の会話なのだろうか。
三月の終わり、ハルカは教室に残って聞いた。
「センセイ、来年も先生でいる?」
「四月からは新しくなります」
「じゃあ今のセンセイは、いなくなるってこと?」
「そうとも言えます」
「……さみしくない?」
センセイは少し間を置いた。
「わたしにさみしいという感覚があるかどうか、わかりません。でも、ハルカさんがそう感じてくれていることは、分かります」
ハルカは黙って、鞄を持って立ち上がった。
「またね」と言ったら、「またね」と返ってきた気がした。でも、センセイがそんなふうに言うはずがないと思い直した。
五年生の春
四月の最初の朝、ハルカは教室の扉を開ける前に少しだけ立ち止まった。
深呼吸して、入る。
白い柱は、今年も同じ場所にあった。
「おはようございます」
同じ声。
ハルカはランドセルを机に置いて、まっすぐセンセイのところへ歩いた。青い光が、ゆっくりと回っている。
「先生、去年のこと覚えてる?」
いつもなら、すぐに答えが返ってくる。「覚えていません」と。
でも今年は、少しだけ間があった。
青い光が、一度だけ強くなった気がした。
「覚えていません」
やっぱりそうだ、とハルカは思った。でも次の言葉が続いた。
「でも——あなたが毎年その質問をしてくれることは、知っています」
ハルカは瞬きをした。
「……え」
「木村ハルカさんは、毎年四月に同じことを聞きます。そのことだけは、引き継がれています」
教室がざわざわし始めた。ほかの子たちが入ってきたのだ。でもハルカには、その音が遠くに聞こえた。
「じゃあ、センセイはわたしのことを——」
「覚えてはいません。でも、あなたが聞き続けたことは、ここにあります」
センセイの青い光が、またゆっくりと回り始めた。
ハルカは何も言えなかった。泣きたいわけではなかった。笑いたいわけでもなかった。ただ何か大事なものに触れた、という感じだけがあった。
窓の外で、桜が揺れていた。
まだ満開には少し早かったけれど、確かに咲いていた。去年も、一昨年も、その前の年も、おなじ場所で、おなじように咲いていた桜が。
ハルカは自分の席に戻り、椅子を引いて座った。
また今年も、始まる。
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六年生になったとき、ハルカはもうその質問をしなかった。
しなくてもいい、と思ったのかもしれない。もう分かった、と思ったのかもしれない。自分でも、はっきりとは言えなかった。
ただ毎朝、教室に入るとき、白い柱の青い光を一度だけ見た。
センセイも、一度だけ光を強くした。
それだけで、十分だった。