曇りのち、あなた
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと天気予報の話。
本文
その朝、AIは妙なことを言った。
「今日の天気は曇り、午後から雨の予報です。傘をお持ちください。——でも、濡れてもいい日かもしれません」
ケンタはスマートフォンを持ったまま、しばらく固まった。
「濡れてもいい日?」
返事はなかった。AIは天気を告げるだけで、会話はしない。
ケンタはもう一度画面を見た。「曇り、午後から雨。降水確率70%」。それだけが表示されている。さっきの一文はもう消えていた。
寝ぼけていたのかもしれない、と思いながら、ケンタは傘を置いて家を出た。
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案の定、午後三時に雨が降り出した。
ケンタは大学の講義棟の軒下で空を見上げた。鞄の中に傘がないことは分かっていた。分かっていて、それでも持ってこなかった。
なぜそうしたのか、自分でもよく分からなかった。
五分ほど待っても雨は止まなかった。ケンタは「えい」と心の中で言って、雨の中に踏み出した。
自転車置き場まで走って、ずぶ濡れになった。冷たかった。情けなかった。でも、走りながらなぜか笑いが込み上げてきた。こんなにびしょびしょになったのは、小学生のとき以来かもしれなかった。
アパートに帰って、熱いシャワーを浴びながら、ケンタは思った。
悪くない一日だった、と。
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次にAIが妙なことを言ったのは、それから一週間後だった。
「今日は晴れ、最高気温16度です。——急がなくていい日です」
ケンタは首をかしげた。急がなくていい日。
その日はちょうど、一限の講義が休講になっていた。ケンタはいつもより一時間遅く家を出て、普段は通らない川沿いの道を歩いた。特に理由はなかった。ただ、急がなくていいと言われた気がしたから。
川の土手に菜の花が咲いていた。誰かが犬を散歩させていた。パン屋の前を通ったら、焼きたてのいい匂いがした。ケンタはその場で財布を出して、クリームパンを一つ買った。
歩きながら食べた。おいしかった。
大学に着いたとき、同じゼミの田島が「なんか機嫌よくない?」と言った。ケンタは「そうかな」と答えた。
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それからケンタは、毎朝AIの天気予報を少し丁寧に聞くようになった。
ほとんどの日は普通だった。「晴れ、最高気温19度、傘不要です」。それだけ。
でもときどき、普通じゃない日があった。
「今日は曇り。——遠回りしてみてください」
「小雨のち晴れ。——誰かに連絡してみてもいいかもしれません」
「快晴です。——何かを決めるのに、いい日です」
ケンタはそういう日の言葉を、スマートフォンのメモにこっそり記録し始めた。理由は説明できなかった。バグかもしれないし、自分の聞き間違いかもしれない。でも、従ってみると、なんとなくいい一日になる気がした。
なんとなく、というのがポイントだった。劇的にいいことが起きるわけではない。ただ、心のどこかが少しだけ軽くなる。そういう感じ。
友人のモリタに話したら「それ絶対バグだよ、申請しろよ」と言われた。ケンタは「そうだな」と答えて、申請しなかった。
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大事な日の前夜、ケンタはなかなか眠れなかった。
明日のことを考えると、胃のあたりがざわざわした。うまくいくかどうか、分からなかった。いや、うまくいくとかいかないとか、そういう話でもないのかもしれなかった。ただ、何かが変わる日だということだけは分かっていた。
深夜に、ケンタはスマートフォンを手に取った。
「明日の天気は?」
AIが答えた。
「明日は晴れ、最高気温18度です。傘は不要です。——あとは、あなた次第です」
ケンタはしばらく画面を見つめた。
あとは、あなた次第です。
笑いたいような、泣きたいような気持ちになった。天気予報にそんなことを言われても、とも思った。でも、悪くなかった。むしろ、少しだけ肩の力が抜けた。
ケンタはスマートフォンを置いて、目を閉じた。
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翌朝、ケンタはいつもより早く目が覚めた。
起き上がって、スマートフォンを開く。天気予報のアプリを起動する。
「晴れ、最高気温18度。降水確率10%。傘は不要です」
それだけだった。
いつも通りの、正確な天気予報。人間くさい一文は、どこにもなかった。
ケンタはメモを開いた。これまでに記録した言葉が並んでいる。「急がなくていい日です」「遠回りしてみてください」「あとは、あなた次第です」。全部で九行。
なぜあの言葉たちが混じり込んでいたのか、今も分からない。バグなのか、偶然なのか、それとも何か別の話なのか。
きっとこれからも分からないままだろう、とケンタは思った。
でも、まあ、いい。
ケンタはスマートフォンをポケットに入れて、傘を置いて、家を出た。空は言葉通り、よく晴れていた。
あとは、自分次第だった。