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ホルスの獣 (4)

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/3/24 📚 シリーズ: 遥かな旅路、雲間の彼方 📝 3,723文字 ✅ 全年齢

あらすじ

故郷の村を発った見習い魔術師のロットは、師である老魔術師のルタと共に各地を巡る旅をしていた。 旅の中で様々な出会いと別れを経験しながら、ロットは少しずつ成長していく。 ファンタジー世界を舞台にした連作短編集。 全32パートです。

本文

 雨足は徐々に強くなり、やがては篠突く雨へと変わっていく。冬の凍えるような寒さの中でも、黒々と降り注ぐ雨は雪へ変わることなく外套を濡らし続ける。

 泥濘に足を取られぬように細心の注意を払いつつ、二人は森奥にあるソフィーの家まで辿り着いた。

 ソフィーの家はこじんまりとした木造の小屋だった。屋根は束ねた茅で葺かれており、質素ではあるが手入れが行き届いている。

「エリオ、そこにいるのか!?」

 呼びかけに応じる声はない。把手に手をかけると、扉はあっさりと押し開かれた。

 二人の身体から滴る雨粒が、床板をしとどに濡らす。薄暗い室内は外装と同じように、慎ましくもまめに整えられている。

 壁にかかっている、ドライフラワーのリースやガーランド。小物入れに並んだ食器と、作業台の上に置かれた陶器製のポット。

 閑散としつつも、生前のソフィーの面影を窺わせるような佇まい。彼女が死してもなお保たれ続けるその部屋は、整然としながら歪いびつで空恐ろしいものを感じさせた。

 ギぁあァァァァアァァァァアァ……ッ!!

 静寂の支配する室内に木霊したのは、耳をつんざくような金切り声だった。

 おおよそ尋常な生物が発したと思えない、身の毛もよだつような咆哮。以後も継続的に続くそれは決して幻聴などではなく、確かに家の何処からか聞こえてきた。

「今のは、一体……」

「地下からじゃ。恐らく、どこからか降りられるようになっておるに違いない」

 入口はあっさりと見つかった。奥の納戸の床板が外れるようになっており、大人一人が辛うじて通れる程度の下り階段が伸びている。

 角燈ランタンに魔術の明かりを灯し、二人は慎重に階段を降りていった。地下を降りるにつれ、あの叫び声がより鮮明に聞こえてくる。

 階段を降りた先にあったのは、所狭しと並ぶ書棚の群れだった。その莫大な蔵書量は、都市部にある図書館と比したとしても遜色がない。

「家の地下に、こんな場所があるなんて……」

「どうやら、ソフィー殿の家に代々受け継がれてきたもののようじゃ。没落する以前は、高明な魔術師であったのかもしれんな」

 しばらく進んだ先に、閲覧用と思われる木製の机が置かれていた。

 乱雑に積み上げられた無数の本と、それを上回るおびただしい量の覚え書き。ロットが拾い上げた紙片には、難解な術式や考察がびっしりと書き込まれていた。

「生け贄からの生命力の抽出と他者への転化……そして、失われた魂の復元と定着……。何だよ、これ。全部、エリオが書いたものなのか……!?」

「……どうやら、悪い予感が的中してしまったらしいな」

「それじゃ、ルタ様。儀式の正体って……」

「死者の蘇生。亡くなったソフィー殿を、この世に甦らせようとしておるのじゃろう」

 書庫の突き当たりには、さらに地下へと降りるための縦穴と梯子が設置されていた。ルタは穴の手前で立ち止まったまま、何事かを逡巡するかのように押し黙ってしまう。

「どうしたんだ、ルタ様」

「……ロットよ、お主はここで引き返すんじゃ」

 唐突に放たれた言葉に、ロットは我が耳を疑った。

「な、何でだよ!? ここまで来ておいて、今さら後に引けるわけなんて……」

「ここから先で待ち受けておるのは、紛れもなく人の道から外れた所業じゃ。後の始末はこの老いぼれに任せるがいい」

「それじゃ、理由になってないだろう!! この期に及んで、ルタ様はオレを子供扱いするつもりなのか!?」

「つもりも何も、事実としてお主はまだまだ子供じゃよ」

 老爺の双眸が少年を見つめている。底知れぬ叡智と慈愛とが存在する、そんな眼差し。それでいて有無を言わせぬ圧倒感に、ロットは二の句を躊躇ってしまう。

 長くもあり、短くもある沈黙を破り……それでも、ロットは首を縦には振らなかった。

「……確かにオレは子供だよ。魔術はまともに扱えないし、知識や経験だって爺さんには遠く及ばない。だけど、ここで引き返すのだけは、絶対に間違ってる」

「ロット……」

「これは、オレ自身の修行の旅だ。だから、この先で何が待っていたとしても、そこから目を逸らすわけにはいかない。……なあ、ルタ様。オレはおかしなことを言ってるか?」

 決意と覚悟の宿った瞳を前にして、ルタは観念したかのように息をついた。

「……いいじゃろう。そこまで言うのであれば、もはや何も言うまい。儂の側から決して離れるでないぞ」

「ああ、わかってる」

 梯子を降りた先には、狭くざらついた壁面の地下道が続いていた。分岐がない一本道をしばらく進んでいくと、途中で別の横道と繋がっている。

 澱んだ空気と微かな腐臭。風化した石壁の両側面に、幾つかの壁龕へきがんが等間隔に穿たれていた。その中に収められているのは、いずれも風化して黄ばんだ人骨の群れだ。

「ここは……」

「どうやら、村の地下墓地カタコンベのようじゃな」

 いつしか絶叫は止み、周囲は再び静寂に包まれていた。

 風に運ばれる死臭に混じって、まだ新しい血の臭いが漂ってくる。四方に伸びた通路の一角に、おぼろげな照明が灯されているのがわかる。

 ルタとロットは警戒を怠らず、明かりが見える方向へ歩を進めていった。

「な、何なんだよ、ここ……」

 通路を抜けた先は、開けた空間になっていた。

 石畳の床一面に魔法陣が刻まれており、溝の窪みに鮮血がなみなみと満たされている。陣の中央には円筒状の骨壺が配され、集められた血液はその一点に注がれていた。

「……ぁ、がヒュ……た、ズゲ……」

 道中で耳にした咆哮の正体が、ようやく判明した。

 魔法陣の頂点のそれぞれに、人間だったとおぼしきものが横たえられている。いずれも惨たらしく痛めつけられており、大半は既に事切れていた。

 辛うじて息があったのは、でっぷりと肥え太った壮年の男だけだった。身に着けていた白衣は血で真っ赤に染まり、ズタズタに引き裂かれて見る影もない。

「もうやめろ、エリオ!!」

「……上が騒がしいと思えば、丘で会った爺さんと小僧か。こんなところにまで現れて、何のつもりだ」

 苦悶の声をあげる中年男を足蹴にしたまま、エリオはルタとロットを振り返った。

 全身を返り血に染めたエリオは、右手には短刀、左手にはソフィーのものだろうか――銀製で細身の杖を握り締めている。

「今すぐ儀式を中断するんじゃ。お主は自分が、何をしておるかわかっておるのか!?」

「その様子じゃ、地下の書斎は見てきたんだろう? 俺はこの儀式を成功させるために、これまで入念な準備を重ねてきた。今さら、邪魔などさせるものか」

 足元で蠢く男の髪の毛を、エリオは乱暴に掴んで持ち上げる。男を見下すエリオの瞳は底冷えするほどに冷たく、一片の慈悲も感じられなかった。

「ひィっ、ギぃ、アァあ……ッ!!」

「おい、まだ死ぬなよ。貴様だけは、もっと苦しみ抜いてから殺してやるからな」

「そいつが、村の医者……タリムなのか?」

 ロットの問いかけに対し、エリオは事もなげに「ああ」と首肯する。

「こいつの卑劣な行為のせいで、ソフィーは自ら命を絶ったんだ。こいつだけじゃない。ここに転がっているのはタリムと同様にソフィーを苦しめ、辱めた連中ばかりだ」

「だからって、ここまでする必要はないだろう!! ……お前の気持ちだって、わからないわけじゃない。ソフィーさんが死んでしまって、悲しくて悔しかったんだろう。だけど、こんなやり方は絶対に間違ってる!!」

「黙れぇッ!!」

 薙ぎ払われた杖の先から、荒れ狂う風の刃が放たれた。ロットに向かって迫るそれは、ルタが展開した防護壁に阻まれ、甲高い音と共に霧散する。

「大した苦労も知らないガキの分際で、したり顔で俺に説教か。飢えや渇きの苦しみも、大切な人を奪われた悲しみも、怒りも、絶望も。お前に何がわかるっていうんだ?」

「それは……」

「ソフィーは俺にとって世界のすべてだった。そのソフィーがあいつらに痛めつけられ、苦しみ抜いて死んでいくのを、俺は黙って見ている以外に何もできなかった!!」

 血を吐くようなエリオの絶叫が、地下墓地の空気を震わせる。彼が抱いている感情は、もはや狂気じみてすらおり、ロットにはかける言葉も見つからなかった。

「だから、俺は誓った。何年かかっても、どんな手を使ったとしても、絶対にソフィーを甦らせてみせると。そして、今度こそ俺がソフィーを守り抜いてみせるとな!!」

「……人は決して甦りはせぬよ。一度冥界へと赴いた魂を呼び戻すことは、何人なんぴとたりとも叶えてはならぬ願いなのじゃ」

 続けざまに繰り出される風刃を防ぎつつ、ルタはエリオを諭そうとなおも語りかける。

「今ならばまだ、取り返しもつく。この儀式を中断するんじゃ、エリオよ!!」

「あんたまで、俺に説教を垂れるつもりか?」

「そうではない。いかなる手段をもってしたとしても、人間が冥界に干渉することだけは絶対に許されぬ。これは倫理の問題だけではない。神の定めた摂理に背けば、その報いは必ず己の身に降りかかるぞ」

「神……神、か。はは、はははははっ!! 笑わせるな!! 神が本当にいるなら、どうして彼女を救ってくれなかった!? こんな非道を見過ごす女神など、クソ喰らえだ!!」

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作者について

古代かなた

古代かなた

ネットの片隅でひっそり生きるへっぽこ物書き。生息地はPixiv。

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