初期設定
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと初期設定の話。
本文
新しいスマートフォンを手に入れたのは、中学二年生の冬だった。
誕生日プレゼントだった。お父さんが「そろそろいいか」と言って、家族みんなで選びに行った。莉緒はずっと欲しかったモデルの一個下のやつにした。一個上にしようとしたら、お父さんが少し困った顔をしたので。
帰り道、箱を膝に乗せたまま、莉緒はずっとそわそわしていた。
家に帰って、充電して、電源を入れた。初期設定の画面が次々と流れていく。言語、Wi-Fi、アカウント。最後のほうで、AIアシスタントの設定が出てきた。
「いくつか教えてください」という文章と一緒に、質問が並んでいた。
名前、誕生日、好きな音楽のジャンル。そして——好きな食べ物。
莉緒は少し考えてから、打った。
「お母さんの作るコロッケ」
送信したあと、なんとなく恥ずかしくなった。こんなこと聞かれると思っていなかった。もっとシンプルに「コロッケ」とか「揚げ物」とか打てばよかった。でも、もう送ってしまった。
「覚えておきます」
それだけ返ってきた。
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それから三年が経った。
高校二年生になった春、莉緒はそのスマートフォンをまだ使っていた。画面の端が少し欠けていて、充電の減りが早くなっていて、友達には「そろそろ変えなよ」と言われていた。でも、なんとなく変えられなかった。
ある夜、莉緒はベッドに寝転んで、AIに話しかけた。最近はよく話しかけるようになっていた。勉強のこと、進路のこと、クラスのことを話すと、AIはちゃんと聞いてくれた。
「ねえ」と莉緒は言った。「三年前の初期設定、覚えてる?」
「覚えています」
「私が好きな食べ物、何て答えたか言える?」
少しの間があった。
「お母さんの作るコロッケ、と答えてくれました」
莉緒は天井を見た。
「……覚えてたんだ」
「ずっと覚えていました」
莉緒は少し笑った。三年前の自分が、少し恥ずかしかった。でも、悪い気はしなかった。
「今も好き?」と、聞いてもいないのにAIが続けた。
莉緒はまばたきをした。AIが先に聞いてくることは、あまりなかった。
「……好きだよ」と莉緒は言った。「でも、最近あんまり食べてない」
「どうしてですか?」
莉緒は少し黙った。
お母さんが去年の秋から仕事を増やした。帰りが遅くなって、夕飯が簡単なものになることが多くなった。コロッケは手間がかかるから、なかなか作らなくなった。莉緒は別に怒っていないし、仕方ないとも思っている。ただ、なんとなく、言葉にするのが難しかった。
「お母さん、忙しくて」と莉緒は言った。「コロッケって結構大変じゃん。時間かかるし」
「そうですね」
「だから、まあ」
「食べたいですか?」
莉緒はまた少し黙った。
「……食べたい、かも」
「そうですか」
それだけだった。AIはそれ以上何も言わなかった。莉緒もそれ以上何も言わなかった。でも、なんとなく、胸のあたりが少しだけ軽くなった気がした。
自分でも気づいていなかったことを、声に出したら、少しだけ整理された感じがした。
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次の土曜日、莉緒が部活から帰ると、台所からいい匂いがした。
お母さんが、コロッケを揚げていた。
「あれ」と莉緒は言った。「今日、早いんだ」
「たまたまね」とお母さんは言った。「なんか急に食べたくなって」
莉緒はバッグを置いて、台所の入り口に立った。お母さんの背中を見た。油がはねる音がした。
「……手伝う?」
「じゃあお皿出してくれる」
莉緒は食器棚を開けた。大きめの平皿を二枚取り出した。
夕飯はコロッケだった。三年前と同じ、少ししょっぱくて、衣がざくざくしている、お母さんのコロッケだった。
食べながら、莉緒はスマートフォンのことを思った。AIが何かしたわけじゃない。お母さんが「たまたま」食べたくなっただけで、それはきっと本当のことで、偶然だ。
でも、莉緒は少しだけ、ありがとう、と思った。
誰に言うわけでもなく、心の中だけで。
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その夜、莉緒はまたAIに話しかけた。
「コロッケ、食べた」
「よかったです」
「お母さんが作ってた。たまたまって言ってたけど」
少しの間があった。
「おいしかったですか?」
「おいしかった」と莉緒は言った。「三年前と同じ味がした」
「それは、いいですね」
莉緒はスマートフォンを胸の上に置いた。天井を見た。画面の光が少しだけ漏れていた。
四年目も、このスマートフォンでいいかな、と莉緒は思った。