供花
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
実話怪談作家・水原祐介は 全国を回りながら 人々の『記憶に残る違和感』を集めている 田舎町の古い焼け跡の前にたまに花が供えられている 誰が置くのかは分からない 水原祐介が、語り手・清水から聞いた話。 「気味が悪い」 そう言った彼の顔を、祐介は忘れられなかった 静寂の中に焦げた風が流れる 焦げた風の向こうに誰かの祈りが残っていた
本文
実話怪談作家・水原祐介は、全国を回りながら人々の『記憶に残る違和感』を集めている。
今日もまた、どこかの喫茶店で、ひとりの「体験者」と向き合っていた。
――午後、静かな喫茶店。
店内には、低いジャズが流れていた。
光を柔らかく遮るカーテン越しに、薄曇りの空が見える。
テーブルの上では、コーヒーの湯気が静かに立ち上っていた。
しがない小説家の私は、ノートとボイスレコーダーをテーブルに並べる。
向かいに座るのは、取材相手の体験者、ここでは、仮名で「清水さん」と呼ぶことにする。
祐介「水原祐介と申します。本日は、お話を聞かせていただけるとのことで、よろしくお願いします」
そう言って、私は軽く頭を下げた。
清水「はい。清水と言います。こちらこそよろしくお願いします」
清水さんも軽く頭を下げた。
祐介「えっと、早速ですが、どのような体験をなされたのでしょうか」
私は、レコーダーのスイッチを入れ、ペンを取り出す。
向かいに座る清水さんは、ひと呼吸おいてから口を開く。
清水「僕の住んでるところは、ほんとに小さな村なんですよ。山に囲まれてて、外から人が来ることなんてほとんどない」
その声には、どこか懐かしさと、少しの疲れが混じっていた。
清水「人口は500人くらいかな。全員が顔見知りで、『あの辺りの○○さん』で、だいたい通じるんです。たまに、他所から来た人がいても、すぐにわかる」
私は、ノートに短くメモを取った。
私は、この手の導入には慣れていた。
どの地方にもある『小さな共同体』から、妙な話が生まれるのだ。
清水「……けど、うちの村には、ちょっとした『言い伝え』があって」
清水「『夜の川沿いは一人で歩くな』って、昔から言われてるんです。橋を渡るときに、自分の足音が一つ増えるんだって」
私は頷くだけにとどめた。
清水「僕も何度か夜に歩いたことがありますけど、確かに音が響く気がして……」
清水「でもまあ、気のせいでしょうね。小さい街だし、そんな話は山ほどある」
私は軽く頷いた。
そうした話は全国どこでも聞く。悪い意味ではなく、『物語にならない』類の噂だった。
祐介「よくある話ですね」
清水「ですよね。僕も、あんまり気にしたことはありませんでした」
清水「でも、最近、少しだけ気になることがありまして」
祐介「はい」
彼は、少し言葉を区切って、テーブルの端に指先を置いた。
清水「通りに面した一軒家で、去年の秋に火事があったんです」
清水「お年寄りが一人で住んでいて……残念ながら助からなかった」
私はノートに『火事』と書いた。
清水「火はすぐに消されたけど、家は半分ほど焼け落ちて、今もそのまま」
清水「焦げ跡が壁に残っててね、通るたびに、そこだけ風の音が違うんです」
語りながら、清水さんの声は少し沈む。
その光景が、目の前に浮かぶように淡く描かれていく。
焼けた柱のにおい。
黒ずんだ壁。
崩れた屋根の隙間から、冬の空が覗いている。
その前に、枯れかけた花束やお供え物がいくつか、無造作に置かれていた。
清水「それ以来、その家の前に、たまに花やお供えみたいなものが置かれるようになったんです」
祐介「誰かが供養してるのでしょうか」
清水「みんな、知り合いみたいな村ですから」
清水「不憫に思って、供えていくのでしょうね」
彼は、言葉を選びながら続ける。
清水「その家の前を通る人が、たまに良くない目に遭うんです」
祐介「良くない目?」
清水「ええ。亡くなるとかじゃないんですよ」
清水「ただ、何かしらの『ついてないこと』が起こる」
清水「自転車で転んだり、車のタイヤが急にパンクしたり、ペットがいなくなったり」
清水「月に二人か三人くらい。誰にでもある偶然かもしれませんけど」
祐介「続くと、気になりますね」
清水「えぇ、続くと……気味が悪いですよね」
清水さんの手が、カップの縁をゆっくりとなぞる。
その仕草に、無意識の緊張が滲んでいた。
清水「ある朝、僕が通ったとき、花がいつもと違ってたんです」
清水「新しくて、まだ水滴がついてるみたいに見えた。夜のうちに誰かが置いたんでしょう」
清水さんは、ゆっくりと顔を伏せた。
そのまま、遠くを見るような目で語り続ける。
清水「その家の前だけ、風が焼けた木の匂いを運んでくるんです」
清水「夏でも、少し冷たい。……火がまだ、どこかに残ってるような気がして」
私のペンが止まった。
清水「最近では、あの道を通る人は、少し減りました。遠回りしてでも避けるようになって」
祐介「あなたは?」
清水「僕は……通りますよ。そこを通らないと、かなり遠回りになるので」
清水「でも、通るときは、視線を向けないようにしてます」
しばらく沈黙が流れた。
マスターがテーブルに水を置く音だけが響く。
祐介「……そのお宅、今は更地ですか?」
清水「いえ。外壁は焼け落ちましたけど、一部だけ残ってて、そこに焦げた跡が残ってます。風が吹くと、そこだけ音が違うんです」
私は少し考えたあと、微笑んだ。
祐介「なるほど、ありがとうございます」
祐介「使えるかどうか、検討してみます」
清水「え? そんなもんですか」
祐介「『続いている』という終わり方がいい。中途半端なまま、余韻が残る」
清水さんは曖昧に笑った。
清水「僕としては、笑えないですけどね」
清水さんの笑顔はどこかぎこちなく、指先が小刻みに震えていた。
私は時計を見て、レコーダーを止める。
さりげなく、ノートを閉じ、ペンをしまう。
祐介「今日は、ありがとうございました」
清水「いえ、こちらこそ、誰かに聞いて欲しくて」
二人は立ち上がる。マスターが会釈をする。
喫茶店のドアベルが小さく鳴った。
* * *
喫茶店を出た後、私はふと立ち止まる。
歩道の隅に、白い花が一輪、風に揺れていた。
事故現場には、よくある光景だと思った。
* * *
―― 数週間後。
私は再び、あの喫茶店にいた。
向かいの席には、前と同じ男── 清水さんが座っている。
以前よりも、少しやつれたように見えた。
マスターはいつも通り無言で、コーヒーを二つ、静かに置いていく。
私は、手早くノートとボイスレコーダーをテーブルに並べる。
祐介「お久しぶりです。連絡をいただいて、少し気になっていました」
清水「すみませんね、また変な話で」
祐介「いえ、こちらこそ。続きを、ということでしたね?」
清水さんは頷いた。指先が震えているのがわかる。
一瞬、清水さんの姿がぼやけたように見えた。
目が疲れてるのだろうと、私は、いつものように、ペンを取り出す。
清水「……あの後、あの家の前で、また何か起こったんです」
祐介「『また』?」
清水「二人、立て続けに亡くなりました」
私は思わず姿勢を正した。店内の空気が一瞬、冷たくなる。
外を走る車の音が、急に止まった。
清水「一人目は、トラック運転手です。いつも通る道で、慣れていたはずなんですけど……妙な事故で」
祐介「妙な?」
清水「トラックが、あの家の塀に突っ込んだ。ブレーキの跡がないんです。まるで、何かに引かれるように」
私は息を呑んだ。
清水さんは言葉を選びながら続ける。
声は震えていたが、冗談の気配はなかった。
清水「で、二人目は……近所の青年です。健康そのもので、毎朝ランニングしてた」
清水「でも、ある朝、あの家の前で倒れて、そのまま……」
私は言葉を失った。
コーヒーの香りが急に遠くに感じられる。
周りの声も、遠くなった気がする。
祐介「……医者の話では?」
清水「心臓発作。けど、そんな兆候はなかったらしいです」
祐介「偶然、というには……」
清水「ええ。そうなんです、二人とも、いつも、全く気にせずに、よくあの道を通っていたので」
清水さんは俯いた。
私は、息を飲んだ。
沈黙の中、マスターが氷の入ったグラスを下げる音がした。
祐介「続けて二人とは、偶然にしては……」
清水「ええ。怖くなりました……僕も毎日そこを通るから」
清水「何かしないと、今度は、僕かもと思いまして」
祐介「それで?」
清水「昨日、花を置いて手を合わせてきました」
その言葉を聞いた瞬間、私はなぜか、自分のペンを握り直していた。
また一瞬、清水さんが、ぼやけたように見えた。
祐介「どうして……?」
清水「……怖いんです。自分に何か起こるんじゃないかって」
清水「だから、供えることで『違う側』になれるんじゃないかと思って」
清水さんの指先に力がこもる。
白いカップが小さく震えた。
祐介「……なるほど」
私は何も言わなかった。
代わりに、胸の奥がざわついた。
清水さんの周りの空気が淀んで見えた。
それは照明のせいではなく、まるで空気そのものが重く濁っているように見えた。
祐介「……体調は大丈夫ですか?」
清水「ええ。寝つきが悪いくらいで」
祐介「夢は?」
清水「見ますよ。黒い煙の中に、何か立ってる夢」
私は、それ以上は聞かなかった。
レコーダーをそっと止める。
静かに、ノートを閉じ、ペンもしまう。
祐介「ありがとうございました。今日は、ここまでにしておきましょう」
清水「はい……なんか、話したら楽になりました」
清水さんはそう言って、薄く笑った。
だが、その笑顔の下に、どこか焦げ臭いような匂いを感じた。
* * *
店を出たあと、私はしばらく歩けなかった。
夕方の風が頬を撫でても、体の芯は冷えたままだった。
『話したら楽になりました』
── その言葉が、何度も頭に響く。
だが、楽になったのは、清水さんではなく『何か別のもの』ではないのか。
その夜、私は原稿を書こうとしたが、指が動かなかった。
ペン先が震えて、紙の上で小さな黒点をいくつも作った。
* * *
数日後。
私は、清水さんに連絡を取ろうか迷った。
だが、結局しなかった。
取材相手と、そこまで親しくなることはない。
代わりに、机の上のノートを開く。
最後のページには、前回の取材日と、今日の日付が並んでいる。
そしてその下に、無意識に書かれていた一文。
> 「花を供える人」
私はペンを置き、深く息を吐いた。
それきり、清水さんの現状はわからない。
その街で、また誰かが花を供えているのか。
あるいは、もう誰も通らなくなったのか。
確かめに行く気は、なかった。
── ただ、夜の散歩中に、風の向こうから、
焦げたような匂いがすることがある。
そのたびに、私は思う。
あの清水さんは── 今、どうしてるだろうかと。
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