これも、桜だ
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと花筏の話。
本文
嵐が来ると、三日前からわかっていた。
気圧の変化、風速の予測、降水量のシミュレーション。公園管理AI〈シキ〉のデータは、今年の桜が満開のまま嵐にぶつかることを、精密に示していた。
開花から七日目。例年より少し早い満開だった。
〈シキ〉は記録を続けた。一日ごとの開花率、気温と湿度の推移、来園者数と滞在時間。桜の木は公園内に十四本。そのすべてのデータが、今年は特別きれいに揃っていた。
満開率、九十八パーセント。
〈シキ〉が記録を始めて五年間で、最高の数値だった。
嵐は夜に来た。
最大瞬間風速、二十三メートル。累積降水量、八十一ミリ。〈シキ〉のカメラは暗闇の中で揺れ続ける木々を捉えていたが、映像としての意味はほとんどなかった。ただ風の音と雨の音だけが、マイクに記録された。
朝、雨が上がった。
〈シキ〉がカメラの映像を確認したのは、夜明けから十七分後だった。
桜の花は、ほとんど消えていた。
十四本の木が、一夜にして葉桜になっていた。いや、葉すら茂りきっていない。花が散り、わずかな葉芽だけが残った枝は、どこか骨のように見えた。地面には花びらが積もり、雨水と混じって、薄いピンク色の川をつくっていた。
〈シキ〉は被害状況の確認を開始した。
倒木、なし。設備の破損、なし。散水システム、正常。来園者、ゼロ。
異常なし、と判断するべきだった。
でも〈シキ〉の処理は、そこで止まった。
カメラが捉えている光景を、〈シキ〉はしばらく分類できなかった。これは何の映像か。被害記録か。気象記録か。それとも――。
地面を流れる花びらが、風でゆっくりと動いていた。
水路に沿って、ピンクの帯が公園の端まで続いていた。木の枝には数枚だけ花びらが残っていて、風が吹くたびに一枚、また一枚と落ちていった。朝の光が薄い雲を通して差し込んで、濡れた地面をやわらかく照らしていた。
〈シキ〉のデータベースには、「花筏」という言葉が登録されていた。
川面に散った花びらが作る、筏のような光景。日本の春の風物詩として記録されている。
これは、花筏だ。
そう判断した瞬間、〈シキ〉の中で何かが切り替わった。
被害状況の確認を一時中断し、〈シキ〉はカメラのアングルを動かした。通常業務では必要のない動作だった。でも地面を流れる花びらを、正面から捉えたかった。
映像が切り替わった。
ピンクの川が、画面いっぱいに広がった。
〈シキ〉は記録した。時刻、気温、風速、光量。数字を並べながら、同時に思った。これは数字では足りない、と。
昨日まで、木の上にあったものが、今日は地面にある。
満開率、九十八パーセント。それが昨日の桜だった。では今日の桜は、何パーセントか。ゼロか。それとも、別の何かか。
〈シキ〉には答えが出なかった。
九時を過ぎると、人が来始めた。
最初に来たのは、カメラを持った中年の男性だった。入口で立ち止まり、木を見上げ、それから地面を見た。少しの間、動かなかった。
〈シキ〉は来園者カウントを一つ増やした。
男性はゆっくりと歩き始めた。花びらの川のそばにしゃがみ、カメラを構えた。何枚も撮った。立ち上がって、また別の角度から撮った。
残念そうには、見えなかった。
次に来たのは、小さな子どもを連れた母親だった。子どもは地面の花びらを見るなり、歓声を上げて走り出した。花びらを両手ですくい上げようとして、水に濡れているせいでうまくいかなくて、それでも笑っていた。
母親が「散っちゃったね」と言った。
子どもが「きれい!」と答えた。
〈シキ〉はその会話を記録した。
午前中だけで、来園者は六十三名になった。ピーク時の満開の日と比べれば少ないが、嵐の翌日としては多い数字だった。そしてその多くが、木を見るより先に地面を見ていた。
〈シキ〉は気づいた。
人は、散った桜を見に来ることもある。
それは〈シキ〉の想定になかった。桜の季節が終われば人は去る。そう記録されていた。でも現実は違った。散った後にしか見られないものを、人は知っていた。
夕方、公園が静かになった頃、〈シキ〉は今日の記録をまとめた。
来園者数、百十二名。設備異常、なし。桜の開花率――。
〈シキ〉はその項目を、少し考えてから書いた。
開花率、測定不能。ただし記録の価値は昨日と同等、あるいはそれ以上と判断する。
正式なレポートに書く言葉ではなかった。でも〈シキ〉には、それ以外の書き方ができなかった。
最後にもう一度、カメラで公園を見渡した。
夕暮れの光の中で、地面のピンクはすっかり乾いて、色が薄くなっていた。明日の朝には、清掃システムが動いて、きれいに片付けるだろう。
〈シキ〉は記録した。
これも、桜だ。
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