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椿

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/20 📝 1,324文字 ✅ 全年齢

あらすじ

変化を拒み、現状を望む

本文

椿

何を言われているのかは分かっているはずなのに、言葉としてはほとんど残らなかった。目の前で口が動いている。音が続いている。断片だけが引っかかる。遅い、とか、何度目だ、とか。意味としては理解できるが、それ以上には広がらない。

頷く。適当なところで、もう一度頷く。それで終わる。何かを返した記憶はあるが、内容までは思い出せない。

席に戻ると、さっきまでの音はすでに遠くなっている。画面に向かい、手を動かす。やるべきことを処理していく。ひとつ終われば次に移る。それを繰り返す。考えているようで、ほとんど考えていない。何も残らないまま、時間だけが進んでいく。

昼になり、外に出る。空気は少しだけ暖かい。建物の脇にある小さな木に目がいった。赤い花がいくつか咲いている。名前は出てこないが、知っている気がした。

しばらく見ていると、ひとつ、花が落ちた。音はしない。ただ、落ちたという事実だけが残る。

ほんのわずかに、違和感が残った気がしたが、それが何なのかは分からない。

視線を外す。戻ると、また同じ作業が続く。指示が来て、それに従う。終われば次が来る。止まる理由は特にない。

気づくと、メッセージが来ていた。昔からの友人からだった。久しぶりに会おう、という短い文面。断る理由も思い浮かばず、そのまま了承する。

仕事を終え、店に向かう。時間通りに着くと、彼はすでに席にいた。軽く手を上げる。その動きは昔と変わらない。

向かいに座る。適当に注文を済ませる。

会話は自然に始まる。最近のこと、仕事のこと、共通の知り合いのこと。どれも特別ではないが、途切れることはない。

言葉は特に選ばなくても続いた。間が空くこともなく、話題も自然に移り変わる。どこで笑ったのかも曖昧なまま、それでも笑っていた記憶だけは残る。時間は思っていたよりも軽く進んでいた。

ただ、言葉を口に出す前に、一瞬だけ選んでいる自分に気づく。どこまで言うか、どう言うか。考えるほどのことでもないのに、わずかな間が生まれる。

その間は、相手には見えていない。それでも、その一瞬だけは確かにあった。

「変わらないよな」

彼が言う。

頷く。たしかに、変わっていないように見える。こうしていると、昔と同じ時間の中にいる気がする。

それでも、どこかで少しだけ外れている。その感覚は、さっきの一瞬と同じ形をしている気がした。

会話の中にいながら、その外側に立っているような位置にいる。居心地は悪くない。むしろ落ち着いている。それでも、そのズレは消えない。

店を出て、別れる。軽く手を振る。それで終わる。

帰り道、昼に見た木の前を通る。赤い花が増えている気がした。落ちているだけで、散らばってはいない。形を保ったまま、地面にある。

ひとつ、少しだけ踏みかけて、避けた。理由は分からない。そのまま通り過ぎる。

部屋に戻る。静けさがそのまま残っている。服を脱ぎ、手を洗い、ベッドに座る。特別に疲れているわけではない。ただ、一日が終わるという感覚だけがある。

考えようとすれば、理由はいくらでも浮かびそうだった。あの言葉も、この会話も。けれど、それを確かめる前に、やめた。

照明を消す。

暗闇の中で、赤い花の形だけが、残る。それが何なのかは、もう考えない。

眠りに落ちる。

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柊無名

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