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第9話:ソイルへの託宣、器を造る者

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あらすじ

《建国後日譚》【交響詩】竜の姫と絆のユニゾン:継承の追復曲(カノン)〜剣も魔法も持たぬ皇女は『法』を武器に国を統べる。百年先の平和を編み、愛しき娘に未来を託して静かなる愛を遺す〜~外伝④ - 第9話:ソイルへの託宣、器を造る者

本文

新議事堂の模型が、夕暮れの灯火に柔らかく照らされている。

 セフィラがやってきたのは、ちょうどその頃だった。

 扉を勢いよく開けて、部屋の中の顔ぶれを見渡す。レヴィア、ルーナ、テラ、そしてソイルと私。

「みんなでお茶してる! ずるい! 私も混ぜて!」

「貴女、ルーナのところへ行くと言っていなかった?」

 テラが穏やかに言った。

「行ったよ! でもルーナがこっちに来てるじゃない!」

「それは貴女が遅かったのよ」

 セフィラが「うー」と唸りながら空いている椅子に飛びつくように座った。ソイルが苦笑しながら紅茶を注ぐ。

「そういえば、最近リオは?」

 テラが静かに聞いた。

「天狗の里。相変わらずよ」

「最近帰ってきていないのでしょう?」

「……もう三十年くらい、ほぼ向こうに住みっぱなしね。すっかり里長の夫におさまっちゃって」

「そういえば、さ」

 セフィラが不意に明るい声を出した。

「先月、ヴァルキリア姉のとこのクロノスとうちのリベルの夫婦が、孫のベールを連れて天狗の里に行ってきたって。リオの子供のハヤテにようやく会えたって言ってたわ」

「まあ」とルーナが穏やかに言った。「それは良かった」

「ベールとハヤテ、気が合ったみたいでね。風と闇の血と、風と天狗の血だから——なんか不思議な組み合わせだけど」

「ヴァルキリア様はご存知なのですか」とソイルが聞いた。

「知ってる知ってる。ベールが帰ってきた時に、ヴァルキリア姉ったら——」

 セフィラが少し笑いをこらえた。

「普段あんなに無口なのに、ベールの話になると止まらないのよ。ハヤテと仲良くなったって聞いた時、珍しく顔がほころんでたわ」

「え、ヴァルキリア様が!?」とソイルが目を瞬いた。

「孫には勝てないのよ、誰でも」

 テラが穏やかに言った。レヴィアが「全くね」と頷いた。

「グラウンドからは連絡がありましたか」とルーナが穏やかにテラに聞いた。

「……先月、見知らぬ村から手紙が来ました。地層の話と、その村の郷土料理がどうとか」

「居場所は分かったのですか?」

「手紙に地名が書いていませんでした……」

 部屋が一瞬静かになった。

「アルテミスからは先日便りが届きましたよ」

 ルーナが穏やかに続けた。「クラリス様のもとで修行を積んで、先月また別の地方へ赴任したようです。忙しくしているみたい」

「あの子は真面目ね」とレヴィアが言った。

「ルーナに似たのよ」とセフィラが言い、ルーナが「そうだといいけれど」と微笑んだ。

「そうそう、ユリウスの話してたんでしょ? 私も知ってること、いっぱいあるよ」

「何を知っているのですか?」

「ユリウスがソイルのこと好きだったの、みんなで知ってたのに本人だけ気づいてなかったこと、とか!」

 ソイルの顔が、じわりと赤くなった。

「セフィラ様、それは——」

「だって本当のことじゃない! 給食の時からずっとそうだったじゃない。団長も知ってたし、テラ姉も知ってたし」

「まぁ、当然知っていましたよ」

 テラが穏やかに、しかしはっきりと言った。

「母様!?」

「事実ですから」

 ソイルが「うう」と言葉に詰まった。レヴィアが愉快そうに口を挟んだ。

「ライオスとシズクも分かりやすかったけどね。あの二人も幼馴染でしょ」

「ライオス兄様とシズク姉様は……まあ、あの二人は最初からそういう感じがしましたよ。周りが見ていても明らかで……もごもご……」

「シリウス(フレアとシエルの息子)とノア(レヴィアの娘)もそうじゃない。クロノス(ヴァルキリアの息子)とリベル(セフィラの娘)もそう。なんだかんだで幼馴染同士で結婚してるよね、竜の子供たち」

 セフィラがにこにこしながら言った。

「マリンは違うけど」とレヴィアが言った。

「マリンは——ミスティ(ヴァルキリアの娘)のイケメンリストでしょ」

 セフィラが笑い出した。

「そうそう! ミスティが『これが今季のおすすめです』って持ってきて、マリンが気に入って自分で落としに行ったやつ!」

「ミスティが余計なことを、ふふふ」

 ルーナが苦笑しながら言った。

「でも、マリンは今とても幸せそうですよ」とソイルが穏やかに言った。

「それは認める」とレヴィアが言った。「あの子、立ち直り早いのよね。アクアの娘なのに、切り替えだけはシズクより早いわ」

「レヴィア、それは言わなくていいことです」

 テラが静かに言い、レヴィアが「あ、そうね」と引いた。

「でも、ソイルは特に自然な流れだったじゃない」とセフィラがすぐに話題を戻した。

「それは——」

 ソイルが口ごもった。セフィラが畳み掛ける。

「なんで? おかしいの?」

「おかしくはないですけど……なんで私だけこんなに言われているんですか! みんなは誰も、こんなにからかわれてないじゃないですか!」

 部屋に、笑いが起きた。

 普段の落ち着いた建築家の顔ではない。耳まで赤くして、眉を寄せて、少し唇を尖らせているソイルは、テラによく似た目をしているくせに、ずいぶん子供らしく見えた。

「ソイルはね」

 テラが、穏やかに口を開いた。

 ソイルが「か、母様、待って」と言いかけた。テラは止まらなかった。

「ユリウスのことを好きになってから、ずっと一人で抱えていたのですよ。私に相談もしないで。……ある日、夜中に台所でこっそり何かを食べていたので何をしているのかと聞いたら、『ユリウス君は食が細いから、私がいっぱい食べて強くなって守らないといけない』と言っていました。七歳の頃の話です」

「母様!!」

「事実ですから」

 レヴィアが「可愛いじゃない!」と声を上げた。セフィラが「夜中に一人で食べてたの!?」と笑った。ルーナが「ソイルらしいわ」と微笑んだ。

 ソイルが両手で顔を覆った。

「……知らなかったのですか?」と私は静かにソイルに聞いた。

「知りませんでした! 母様、そんなこと一度も言わなかったじゃないですか!」

「言う必要がなかったので」

「今は必要だったんですか!!!」

「ふふ、皆さんが楽しそうだったので」

 テラが、少しだけ笑った。普段は控えめなその笑顔に、この方も随分と丸くなったものだと思った。

「ソイルの話だけじゃ可愛そうね。では、私からもユリウスの話をしましょう」

 私は静かに言った。部屋が、少し落ち着いた。

 ユリウスとソイルの最初の出会いを、私は直接見ていない。

 だが、あの日の夕食の席でユリウスが顔を赤くして食欲がないと言い出した時、私にはすぐに分かった。八歳のユリウスが、誰かを好きになったのだと。

「食が進まないのですか」と私が聞くと、ユリウスは「少し、考えていることがあります」と答えた。

「何を考えているのですか?」

「……人が、誰かのために行動する時の、動機の構造について」

 八歳の子供が言う言葉ではない。私はしばらくユリウスを見てから、静かに言った。

「好きになったのですね、誰かを」

 ユリウスが、耳まで赤くなった。それで十分だった。

 私は詮索しなかった。ただ、翌日からユリウスが図書館へ通う頻度が増したことは、把握していた。

 相手がソイルだと確信したのは、もう少し後のことだ。

 ある日の午後、書庫で資料を探していた私は、廊下を歩くユリウスの独り言を偶然耳にした。

「……ソイルは、どうして助けてくれたんだろう」

 返事をする相手はいない。ただ、その声には、純粋な困惑と、何か温かいものへの戸惑いが混じっていた。

 私は書庫の奥で静かに資料を閉じた。

(この子は、守られることに慣れていない)

 それは私も同じだった。だから分かった。誰かに「守る」と言われた時の、あの奇妙な感覚。論理で処理しようとして、できない感情。

 ユリウスは時間をかけて、その感情と向き合った。私は何も言わなかった。

 戦場でのことは、後から報告で知った。

 ソイルが獣人の少年兵を庇って魔力を使い果たしかけた時、ユリウスが飛翔魔法で駆けつけたと。まだ未熟で体への反動が大きいその魔法を、それでも使ったと。口の端から血を流しながら「男の子だからね」と笑ったと。

 報告書を読んで、私はしばらく動けなかった。

 知恵の子が、体を張った。論理の子が、感情で動いた。

(ヒカル様に、似ている)

 そう思った瞬間、目頭が熱くなった。こらえた。こらえたが——その夜、執務室で一人になってから、少し泣いた。誰にも言っていない。

「……そうだったのですか」

 ソイルが、静かに言った。顔の赤みが、少し違う色になっていた。

「戦場のことは、ユリウスから聞いていましたが……お義母様がそんなふうに」

「あの子は、貴女に出会ってから変わりましたよ」

 私は続けた。

「変わった、というより——持っていたものが、表に出てきた。ヒカルから受け継いだ、感情で動く部分が。私だけでは、あの子の中のその部分には届かなかったの」

 テラが、静かに頷いた。

「ソイルも、変わりましたわ。ユリウスに出会ってから、建築への向き合い方が変わった。誰かのために形を作る、という意味が、具体的になったのだと思います」

 ソイルが、俯いた。

「……ユリウスが守ってくれた時、初めて思ったんです。この人が安心して生きていける場所を、私が作りたいって」

 部屋が静かになった。

 セフィラが珍しく何も言わなかった。レヴィアが、窓の外を見ていた。ルーナが、静かに目を細めていた。

 私は立ち上がり、模型の傍に歩み寄った。

 円形の議事堂。中央の円卓。放射状に伸びる翼廊。どこに座っても声が等しく届く、音響の設計。

 私はソイルの手を取った。

「息子のユリウスが中身——法を造り、テラの娘である貴女が器——建物を造る。絆という見えない糸を、永遠の形にするのが貴女たちの仕事です」

 ソイルの瞳が、静かに潤んだ。

「貴女が造る建物は、私が刻んだ法の続きです。私が文字で書いたものを、貴女は石と木で作る。どちらが欠けても、この国は完成しない」

「……お義母様」

「長く生きてきましたが……」

 私は模型から目を離さずに言った。

「この模型を見た時、初めて思ったのです。私がやろうとしていたことは、ちゃんと続いているのだと」

 ソイルが、私の手を握り返した。テラの娘の手は、温かく、しっかりしている。

「お任せください。誰もが安心して暮らせる街の形を、私とユリウスで必ず守り抜きます」

 私は頷いた。言葉はもういらなかった。

 レヴィアが「なんか泣きそうじゃない、これ」と言った。

 セフィラが「泣いていいと思うよ」と言った。

 ルーナが静かに光を灯した。柔らかい、祝福のような白い光が、模型を包んだ。

 テラが、ソイルの肩にそっと手を置いた。母と娘の間に、言葉はなかった。

 私は模型の円卓を指先で撫でた。

 かつて敵国の皇女として、書類を抱えてこの国に来た。法を刻むことだけを武器にして、竜と人間の狭間で五十年を生きた。その時間が、今ここにある。

 人間の命は短い。

 だが、法は残る。建物は残る。そして——この温かい夜が、記憶として残る。

「次は、最後の話をしましょう」

 部屋が静かになった。

「最後?」とセフィラが聞いた。

「ええ。……この物語の、始まりに戻る話です」

 ルーナが「始まりに?」と穏やかに聞いた。

「ヒカル様のことです」

 レヴィアが、少し姿勢を正した。テラが目を細めた。セフィラが静かになった。

 全員、同じ方向を向いた瞬間だった。

【第10話へ続く】

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ざつ

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