第129話:【裁定】眠る者たち
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
物理と知識で魔法世界を再定義!―拾った助手は2000年前の伝説の管理者(旦那様)でした。追放された天才没落令嬢は、最強の娘たちと共に「世界」を再構築中― - 第129話:【裁定】眠る者たち
本文
アリスが消えた工房は、広すぎた。
さっきまで光の思念体が立っていた場所に、何も残っていなかった。足跡もない。温度もない。ただナノマシン回路の青い脈動だけが、何事もなかったように壁を流れている。
2000年間、誰にも会えず、誰にも触れられず、この工房で待ち続けた女性がいた。たった数分の対話で、彼女は笑って消えた。
「……もう少し、話したかったな」
私は呟いた。誰に言ったのか、自分でも分からなかった。
ピッコが演算球体を胸に抱えていた。目が赤い。ルーテが黙って壁にもたれ、天井を見上げていた。テューバが拳を握ったまま、さっきアリスがいた場所を見つめていた。
リュウガは、何も言わなかった。ただ義手の指が微かに開閉を繰り返していた。癖だ。言葉にできない感情があるとき、リュウガはいつもそうする。
「行くぞ」
短く、それだけ言って、リュウガは隔壁に向かって歩き出した。
隔壁の奥は、冷たかった。
工房の白い光とは対照的に、この部屋は暗い青に沈んでいた。天井から垂れる無数のケーブルが、壁面のナノマシン回路と繋がり、低い振動音を発している。
部屋の中央に、Gaiaのコアがあった。
直径20メートルの球体。表面を半透明のナノマシン膜が覆い、内部で無数の光が明滅している。地球上の全ナノマシンを統括する心臓。その鼓動が、床から足の裏に伝わってくる。
「これが……Gaiaの心臓」ピッコが演算球体を掲げた。「マナ濃度、計測不能。桁が足りない」
「触れるな。まだ防衛機構が生きている可能性がある」リュウガがピッコを制した。
だが私の目は、コアではなく、その奥に向いていた。
壁際に、カプセルが並んでいた。
透明な蓋の向こうに、人が眠っている。スーツを着た男。軍服の女。白髪の老人。若い男女。全部で12基。全員が穏やかな顔で、2000年の眠りについている。
「……こいつらか」
リュウガの声が、低くなった。
「リセットを命じた人たち。世界を壊せと言って、自分たちだけ安全な場所で眠った連中」
オーボエがカプセルの一基に近づき、表示パネルを読んだ。
「生体機能、全基正常。覚醒プログラムは『Gaiaコアの再定義完了』をトリガーに自動起動。……つまり、私たちがコアを書き換えた瞬間に目覚める設計ね」
「マジで? ずっるいんだけど」ユーフィがカプセルを睨んだ。「世界ぶっ壊しといて、2000年寝て、起きたらハイ支配者ですって?」
「効率だけで言えば、合理的な生存戦略ではあるわ。……吐き気がするけど」ハープが目を細めた。
「なんだよこいつらァ! 世界壊した張本人がぬくぬくお昼寝って、ボーンさん的には許せないんですけどォ!」
「ボーン、声量」オーボエが即座に制した。
ヴィオラがカプセルの縁を扇子で軽く叩いた。
「2000年の美容睡眠。お肌の調子はよろしくて? ……目覚めた先に何も残っていないとも知らずに」
チェロが全員を見回し、視線を私に向けた。
「母様。どうしますか?」
全員が、私を見ていた。
リュウガも。ピッコも。シスターズ全員も。ファーファのレンズも。
私はカプセルの前に立った。透明な蓋の向こう、スーツの男の寝顔を見下ろした。穏やかな顔。2000年前、この人はアリスとソフィアに「世界を壊せ」と言った。そして自分は安全な箱に入って眠った。
「ソフィア」私は演算球体に向かって言った。「覚醒プログラムを切ることはできる?」
『できる。ワシの権限で覚醒トリガーを無効化すれば、コアを書き換えても目覚めん。カプセルの生命維持は独立電源じゃから、そのまま眠り続ける。永遠にな』
「殺すわけじゃ、ないのね」ピッコが確認した。
「殺さない」私は言った。「でも起こさない」
沈黙。
「この人たちが目覚めたら、また同じことをするわ。世界を道具にして、人を道具にして、壊して、逃げる。アリスとソフィアがどれだけ苦しんだか、リュウガがどれだけ利用されたか、この人たちは知りもしない。知ろうともしない」
私はカプセルの表示パネルに手を置いた。
「だから、眠っていて。ずっと。あんたたちの出番は、もう終わったのよ」
演算球体が光った。ソフィアが覚醒トリガーを一基ずつ無効化していく。パネルの表示が『覚醒待機』から『永久休眠』に変わっていく。1基。2基。3基。静かな電子音だけが部屋に響いた。
「……ボク、母様のそういうとこ、好きだよ」コルネが小さく言った。「殺さない。でも許さない」
「あらあら。優しくて怖い。お母様らしいですね」オルガが微笑んだ。
12基すべてのパネルが、『永久休眠』に変わった。
リュウガが私の隣に立った。
「よかったのか?」
「いいの。修理屋は壊れたものを直すけど、壊した本人を甘やかす義理はないわ」
リュウガが、小さく笑った。
「……お前は、アリスより怖いな」
「ふふ、褒め言葉として受け取っておくわ」
支配層の処遇が決まった。部屋の空気が、少しだけ軽くなった。
リュウガがGaiaのコアに向き直った。
「ここからが本番だな」
リュウガがコアに手を触れた。球体の表面が波紋のように揺れ、光が強まった。
「Admin権限、残量確認。……7パーセント。リセット・プロトコルの書き換えには最低5パーセントが必要。ギリギリだ」
「足りるの?」
ピッコが訊いた。
「書き換えだけなら足りる。だが書き換えた瞬間、Gaiaがどう反応するかは分からない」
ソフィアの声が響いた。
『やるしかないじゃろう。ワシが遠隔で演算支援する。ピッコ、球体をコアに近づけろ。リュウガ、書き換えコードはワシが送る。お主は権限を注ぎ込むだけでいい』
「了解」
リュウガが頷き、全員に指示を出す。
「全員、コアから10メートル離れて。何が起きるか分からないわ」チェロが指示を出した。シスターズが散開し、コアを囲むように配置についた。
ピッコが演算球体をコアの表面に触れさせた。青い光が球体からコアへ流れ込み、二つの光が共鳴した。
「書き換え開始。リセット・プロトコル『感情=エラー』を『感情=仕様』に上書きする」
リュウガが目を閉じた。義手がコアの表面に沈み、光が腕を伝って全身を包んだ。
「……Admin権限、注入開始。残量7パーセント……6……5……」
コアが、震えた。
光が赤く変わった。
床が揺れ、天井からケーブルが垂れ落ちた。壁面のナノマシン回路が一斉に明滅し、警報音が工房全体に響き渡った。
『――防衛機構、起動』
Gaiaの声が、壁から、天井から、床から響いた。
『リセット・プロトコルへの不正アクセスを検知。デリート・ガーディアンを展開します』
あああああ、やっぱり一筋縄ではいかないよね。
私は覚悟を決めてコアを睨んだ。
コアの表面が裂けた。
中から、光の塊が浮かび上がった。人型ではない。幾何学的な多面体が組み合わさった、意味のない形。だがその表面にびっしりとナノマシンの文字列が流れ、存在そのものが防衛プログラムのかたまりだった。
「これが……デリート・ガーディアン」リュウガが腕をコアから引き抜いた。「書き換えは3パーセントまで進んだ。あと2パーセント。だがこいつを排除しないと、続行できない」
ガーディアンの多面体が回転した。光の刃が放射状に伸び、壁を切り裂いた。
「散れッ!」
オーボエが叫ぶ。
シスターズが一斉に動いた。テューバのハンマーが光の刃を弾き、コルネの炎剣が多面体の表面を焼いた。だが――
焼けた表面が、0.5秒で元に戻った。
「ロールバック……!」オルガがビットの解析データを叫んだ。
「物理ダメージを時間巻き戻しで修復してる! 何度攻撃しても元通りになるわ!」
ソフィアの声が響いた。
『じゃから言うたじゃろう! ロールバックには処理限界がある! バグの蓄積速度で巻き戻しを超えるのじゃ! 全員で、一斉に、休まず叩け!』
「言われなくても!」
ボーンのランスが突き刺さった。ユーフィの衝撃波が叩きつけられた。ハープの双刃が切り裂いた。ヴィオラのワイヤーが締め上げた。
だがガーディアンは回転を続け、光の刃を放ち続けた。ロールバックの速度が、攻撃を上回っている。
「足りない……!」
チェロは焦りを露わにしている。
そのとき、ガーディアンの多面体が一際強く光った。
全員の動きが、止まった。
頭の中に、ノイズが走った。記憶が、滲み始めた。
「――何、これ……」
ハープが膝をついた。ルーテが壁にもたれた。ボーンの目から光が消えかけた。
『記憶消去……!』ピッコが叫んだ。『Gaiaがナノマシンレベルで記憶データを消し始めてる!』
「チェロ……お姉、様……? あれ、ボク……名前、なんだっけ……」
コルネの声が、揺れた。
「コルネ! あなたはコルネよ!」
チェロがコルネの肩を掴んだ。だがチェロ自身の目にも、揺らぎが見えた。
私の頭にも、霧がかかり始めた。
え、何、この感覚……。
リュウガの顔が、急にぼやけてきた。
「……あなた、誰?」
私の口から、その言葉が漏れた。
あれ? 私、何言ってるんだろう……。
リュウガの目が、見開かれた。
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