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黒電話

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/24 📝 9,571文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

実話怪談作家・水原祐介は、 全国を回りながら人々の『記憶に残る違和感』を集めている。 深夜の喫茶店で語られたのは、 プラスチック再生工場で夜勤のワンオペをしていた作業員の体験談だった。 ラインが止まり、確認のために監視モニタを見たとき、 そこには、ベルトコンベアの上に置かれた黒電話が映っていた。 ―― ありえないはずの場所 ただ、淡々と会話の中で再現される、 日常の隙間に紛れ込んだ違和感の記録である。

本文

実話怪談作家・水原祐介は、全国を回りながら人々の『記憶に残る違和感』を集めている。

今日もまた、どこかの喫茶店で、ひとりの「体験者」と向き合っていた。

―― 午前、工場地区に近い商店街のはずれ。

車通りの多い幹線から一本入っただけで、空気が少し落ちる。

シャッターの降りた店が目立つ通り。

開いているのは、昔ながらの床屋と個人経営の喫茶店くらいだった。

古びたスピーカーから、控えめなジャズが流れている。

入口のガラス戸には、指で拭った跡がうっすら残る。

そこに朝の光が滲んでいた。

窓際のカーテンは薄いベージュ。

白すぎない日差しを柔らかく溶かしている。

その光がテーブルに淡い影を落とす。

店内の時間を少しだけ遅く見せた。

私はノートとボイスレコーダーをテーブルに並べる。

向かいに座るのは取材相手の体験者―― ここでは仮名で『相馬さん』と呼ぶことにする。

相馬さんは三十代前半くらいだろうか。

作業着の上着を羽織ったまま、両手を膝の上に置いている。

爪の間に薄い汚れが残っていた。

それもあってか、落としきれない仕事の匂いが、袖口にしみついているように見えた。

 祐介「水原祐介と申します。本日はお時間いただいて、ありがとうございます。よろしくお願いします」

私が頭を下げる。

相馬さんも少し遅れて、ぎこちなく会釈を返した。

 相馬「……相馬です。よろしくお願いします。あの、こういうの初めてで……」

 祐介「大丈夫です。気を抜いてゆっくりで構いません。うまく喋ろうとしなくていいですよ」

そう言うと、相馬さんは小さく笑った。

笑ったというより、口の端が少しだけ上がったという程度だった。

マスターが無言で水を置く。

氷がカランと鳴る。

その音だけがやけに澄んで聞こえた。

 祐介「僕はコーヒーにしますけど、相馬さんはどうされますか?」

 相馬「僕も同じで大丈夫です」

私は、マスターを呼び、コーヒーを2つ注文した。

私はレコーダーのスイッチを入れる。赤いランプが点く。

 祐介「まずは、コーヒーが来るまで、お話でもしましょうか」

 相馬「ただの話なのに、録音するんですか?」

 祐介「あまり気にしないでください」

 祐介「たまにあるんですよ」

 祐介「何気ないただの会話や雑談の中に―― 『日常の違和感』が紛れ込んでいることがですね」

相馬さんは、へぇ……と短く息を出した。

それが同意なのか、緊張を逃がすためなのかはわからない。

 相馬「……こういう喫茶店、久しぶりに入りました。夜勤明けだと、コンビニか自販機で済ませるんで」

 祐介「わかります。夜勤明けって、みんなの一日が『始まる』って感じで、居心地が悪いですよね」

 相馬「そうなんですよ。こっちは『終わった』のに、その日が『始まった』ように感じてしまって」

 祐介「朝の人たちの足取り、やけに軽いですもんね。こっちは『終わった』、疲れて帰っているのにですね」

 相馬「……はい、やっと今日も『終わった』、帰って休もうと思っているところです」

相馬さんは、少しだけ肩を揺らした。

笑いかけて、途中でやめるような動きだった。

 祐介「この辺、工場が多いから、夜勤の人も多いでしょう?」

 相馬「多いですね。朝に作業着で歩いていると、同類だってすぐわかる。……目が死んでるから」

 祐介「お互い目でわかり会うんですか」

 相馬「はい。無言で『お疲れ』って感じで」

 相馬「あと、商店街の人が優しいんですよ。朝の七時に開けてくれてる店とかあって」

 祐介「そういう店、ありがたいですよね。他人の生活を見ていてくれてる」

相馬さんは頷いた。

その頷きが妙に真面目で、軽い冗談が一瞬だけ引っ込む。

 相馬「……でも、夜勤明けに飲むコーヒーって、優越感があります。こっちはもう帰れるんだって」

 祐介「わかります。夜を乗り越えて、朝まで迎えられたみたいな」

 相馬「朝を迎えても、眠気っていう罠なんですけど」

 祐介「これから街が活動し始めるのに、足元がベルトコンベアみたいに布団に動くやつですね」

 相馬「……それ、今の僕です」

そのとき、マスターがコーヒーを二つ置いた。

湯気が上がり、焙煎の香りが遅れてやってくる。

店内の空気が一段、落ち着いた気がした。

 祐介「いただきます」

 相馬「……いただきます」

相馬さんはカップを両手で包む。

温かさを確かめるみたいに指先が動き、ようやく少しだけ肩が下がった。

 祐介「今日もお仕事帰りですよね」

 相馬「はい……夜勤明けです。最近、寝るタイミング失ってて」

 祐介「夜勤明けの喫茶店って、なんか異世界感ありますよね。世の中は昼なのに、自分だけ時間がズレてるみたいな」

 相馬「わかります。帰り道の空が明るいと、ちょっと腹立ちます」

 祐介「その時間まで、お仕事されてたんですもんね」

相馬さんは鼻で笑い、指先でカップの縁をなぞった。

指の関節が固そうだ。

何かを握り続ける仕事の手のようだ。

 祐介「工場の方でしたっけ」

 相馬「プラスチックの再生工場です。……中小ですけど。まあ、ブラック寄りの」

 祐介「寄りですか、優しい言い方ですね」

 相馬「優しく言っとかないと、なんか、自分が惨めになるんで」

そう言って、相馬さんは肩をすくめた。

その仕草で冗談を言っているのがわかった。

疲れの色は隠せていなかった。

少しだけ、コーヒーの湯気だけが間を繋ぐ。

外を通るトラックの低い音が、ときどきガラス越しに震える。

工場地区に近い街の音だった。

相馬さんが、ふとメニューを見た。

目線だけを落として、そこで止まる。

 相馬「……あの。せっかくなんで、なんか食べていいですか。朝から何も食ってなくて」

 祐介「もちろん。むしろ食べた方がいいです。夜勤明けは、胃が『置いてけぼり』になりますから」

 相馬「胃が置いてけぼり……」

 祐介「体だけ帰ってきて、胃はまだ工場にいる、みたいな」

 相馬「いますね。ラインのどっかに」

相馬さんが、今度はちゃんと笑った。

その笑いが、少しだけ救いに見えた。

 祐介「何にします? この店、トーストがうまいタイプの店に見えますけど」

 相馬「じゃあ……ハムトースト、みたいな。あと、卵とか」

 祐介「いいですね。僕も同じのにします」

マスターに声をかけ、軽食を二つ頼む。

マスターは返事もせず、ただ小さく頷いて厨房に引っ込んだ。

 相馬「……こういうの、なんか変ですね。怪談の話しに来たのに、飯食うって」

 祐介「怪談は、空腹で聞くと余計に怖くなることもありますけどね。体の『防御力』が落ちて『被ダメが大きく』なるから」

 相馬「防御力……被ダメですか」

 祐介「ごめんなさい、つい。僕こう見えても、結構ゲームも好きなんです」

 相馬「なるほど、僕もスマホでゲーム位はするのでわかります。状態異常とか嫌な感じですよね。眠気とかって」

相馬さんはカップの底を覗くようにして、少しだけ飲む。

飲んだ量はわずかだったが、その動作が『落ち着こう』としているのは伝わった。

 祐介「夜勤って、ずっと一人なんですか?」

 相馬「基本ワンオペです。……本当はダメなんですけどね」

 祐介「禁止のはずなのに、現実はまだやってるんですね」

 相馬「そうですね。禁止されてる『建前』と、禁止されてない『現場』がある」

 祐介「現場のほうが強い」

 相馬「強いです。上司の口癖が『まあ回ってるから』なんで。回ってれば正義って感じですね」

 祐介「ラインみたいですね」

 相馬「……ほんと、それです」

また少し笑いが落ちる。

笑ってしまうと、どこかに『戻れなくなる』みたいに、相馬さんは口元を押さえた。

そのとき、厨房のほうから皿が触れ合う音がした。

バターの香りがふわりと流れてくる。

香りというのは、空気の雰囲気を簡単に変える。

 相馬「……こういう匂い、久しぶりだ」

 祐介「工場は油の匂いですか」

 相馬「油と、熱と、あと……なんか、プラスチックの甘い匂い。焦げる寸前のやつ」

 祐介「焦げる寸前、って表現、怖いですね」

 相馬「怖いですよ。あれ、『一歩間違えたら燃える』って匂いですから」

マスターが無言で、ハムトーストと卵の皿を二つ置いた。

皿の白さが、店内の古さと対照的に見える。

相馬さんが箸―― ではなくフォークを手に取るとき、指先が少し遅れた。

眠気か、緊張の名残か。

 祐介「食べながらで大丈夫ですよ。話すの、しんどいと思いますし」

 相馬「……はい。助かります」

相馬さんは一口かじって、息を吐いた。

胃の奥に、ようやく現実が届いた顔だった。

 祐介「じゃあ、改めて。『体験したこと』を、聞かせてもらっていいですか」

相馬さんは一度、息を吸って、吐いてから頷いた。

 相馬「……うち、さっき言ったように深夜にワンオペなんですけど」

 祐介「……深夜にひとり、っていうのは。結構きついですよね」

 相馬「きついです。体より、頭が先に擦り減ります。ミスったら誰も助けてくれないんで」

 祐介「止まったら、自分で見に行くしかない」

 相馬「はい。しかも一人って、工場が『広くなる』んですよ。人の気配がないぶん、空間だけが残る感じで」

相馬さんは、笑うでもなく、軽く目を伏せた。

 相馬「あと夜中って、機械の音が、逆に静かなんですよ。うるさいはずなのに……慣れると、音の『隙間』がわかる」

 相馬「隙間ですか」

 相馬「はい、『隙間』です」

 相馬「ベルトコンベアの擦れる音とか、粉砕機の振動とかが聞こえてくるんです」

 相馬「その中に……変な空白ができる時があるんです。あれ『止まるな』って」

私はノートに書く。

こういう言い回しが出る人は、現場で長く働いている。

 相馬「その日も、嫌な感じがして。案の定、ラインが止まりました」

 相馬「警報は鳴らない。……でも、画面の表示が一瞬、揺れて」

相馬さんは言った言葉を少し考える。

 相馬「画面というのは、監視モニタですね。ラインを映してるやつ」

 相馬「あれ見て、止まった場所を確認して、異物とか噛んでないか見に行くんですけど……」

相馬さんの喉が小さく鳴った。

水を飲むでもなく、唇を湿らせるように舌先で触れてから続ける。

 相馬「そこに、黒電話が……映ってたんです」

 祐介「黒電話」

 相馬「黒いやつ。受話器が、ガチャンって置けるやつ。ダイヤル回すやつ」

相馬さんは空中で指を曲げ、ダイヤルを回す動きをしてみせた。

その指が途中で止まる。

回してはいけないものを回すみたいに。

 相馬「ラインの上に、ぽつんと」

 相馬「……置き忘れ、って雰囲気でもないんです」

 相馬「新品でもないし、当たり前ですよね」

 相馬「こんなところに、『新品』があるはずがない」

 相馬「でも、ゴミみたいに雑でもない。ちゃんと『置いてある』」

 祐介「プラスチックの再生用ですか」

 相馬「一瞬そう思いました」

 相馬「でも、それにしては、ちゃんと『置いてある』と感じました」

 祐介「誰か置いた可能性はあるのでしょうか?」

 相馬「無理です。あそこ、関係者以外入れません」

 相馬「夜勤は僕ひとりですが。監視カメラもある」

 相馬「不審者を見逃したかな」

 相馬「……もし人が入り込んでたらヤバい」

 相馬「盗難とかより、事故が起きたら終わるんで」

相馬さんはカップを持ち上げ、口をつける。

でも、ほとんど飲めていない。

熱いのか手が震えているのか、カップが小さく鳴った。

 相馬「だから、もちろん見に行きますよね」

 相馬「止まったラインのところまで」

 相馬「……夜の工場って、広いんですよ。昼より広く見える。誰もいないから」

 祐介「人が居る場所に、夜いないと言うのは恐怖を煽りますからね」

 相馬「はい。そういう時って、自分の靴の音が、遅れて追いかけてくるように感じるんですよ」

私のペンが少しだけ止まる。

人のいない空間は、音の反響で距離感が壊れる。

 相馬「で、ラインのところまで行ったら……黒電話がありました」

 相馬「映像の通りでした」

 祐介「モニタの通りだったと」

 相馬「はい。……しかも」

相馬さんは、そこから少し言いにくそうにする。

笑いを噛み殺すような顔をした。

 相馬「『使ってる人』がいたんです」

 相馬「受話器を持ってて。耳に当ててて」

 相馬「……で、ぶつぶつ言ってる。相手がいるみたいに」

 祐介「ワンオペでしたよね、不審者の可能性もあると言うことですか」

 相馬「でも、そう見えなかったんです」

 相馬「まず、服が……今風に全然見えないんです」

 相馬「まるで、何かの昔のドラマの映像を見てるみたいで」

 相馬「昭和の服ってあんな感じなのかな」

 相馬「そういった、昭和の話の時に見た気がします」

 相馬「そして身体も、なんか薄い気がしたんです」

相馬さんは言葉を探す。

私は急かさず、ただ頷いた。

 相馬「顔を見ました……生きてる顔じゃないって、すぐ分かったような」

 相馬「目の焦点が合ってない。……でも、目は開いてるんです」

 相馬「それでも、やっぱり最初は、現実的なことを考えますよね」

 相馬「怖いっていうか……もしかして、悪ふざけか何かかな」

 相馬「『変な悪戯』かなとも思ったんです」

 相馬「ブラックですからね。脅かすやつ、それを話のネタにするっていう」

 相馬「思いついちゃったから、やってみたって感じでですね」

 祐介「あり得る話ではありますね」

 相馬「ワンオペですからね」

 相馬「脅かすには絶好ですよね」

 相馬「肝試しのようにですね」

 相馬「……で、よく聞いたら、その人会話してました」

 相馬「……でも、相手の声は聞こえないんですよね」

 相馬「普通の状態で考えれば、当たり前のことなんですけど」

 相馬「黒電話は、繋がってないんですから」

 相馬「だから、その人が自分で返事してるんです」

相馬さんは、ほんの少しだけ眉を上げた。

 相馬「……一人で喋る」

 相馬「一人で答える」

 相馬「間があって」

 相馬「笑って」

 相馬「また喋る」

 相馬「まるで……一人漫才みたいでした」

 相馬「それが頭に浮かんでしまって、笑ってしまいました」

 相馬「だってそうでしょ、『変な悪戯』かとも思ってるんですよ」

 相馬「真面目に芝居して、真面目に必死に脅かそうとする」

 相馬「そうして、それを見てる方は、ただの一人漫才に見えてしまう」

 相馬「もう、ここで笑ったらヤバい、終わるって吹き飛ぶじゃないですか」

 相馬「笑いをこらえようとするんですけど」

 相馬「真面目に必死に脅かそうとしてる」

 相馬「それが裏目に出てる」

 相馬「だからもう、笑いが止められなくなりました」

相馬さんは一気に喋った後、息を吐いた。

笑いで少し場が和む。

 相馬「笑ってたら、ふと瞬間……隣に、気配が」

 相馬「右です。肩が触れるくらい近い」

 相馬「……でも、僕は、誰も来る音なんて聞いてない」

 相馬「見ちゃいけない、って思ったのに……見ちゃいました」

 相馬「人が立ってた。……また別の今風じゃない服装の人でした」

 相馬「こっち向いてるんです」

 相馬「でも、顔が……」

 相馬「顔がですよ……」

 相馬「……輪郭がないんです」

 相馬「暗いとかじゃない。解像度の低い映像のように」

 相馬「見ようとすると、目が滑る」

私は無意識にペンを強く握り直していた。

相馬さんの話に合わせて、私の視界まで不安定になる錯覚がする。

 相馬「怖くて、体が動かなかった」

 相馬「……で、さらに」

 相馬「『次々』です」

 相馬「人が、現れては消える」

 相馬「……背後とか、ラインの向こうとか、いつの間にか立ってて、いつの間にかいなくなる」

 相馬「音もなく。足音も、服の擦れる音も」

 相馬「……いるのに、音がないんです」

 相馬「気配だけは増えたり、減ったり」

相馬さんは両手でカップを包み込む。

指先が白くなる。

熱を取るためではなく、手をどこかに固定しないと震えが見えるからだ。

 相馬「突然、ラインが……動き出したんです」

 相馬「勝手にですよ」

 相馬「警報も何もないんです」

 相馬「……モーターの音が戻って、ベルトがゆっくり動いて」

 相馬「……黒電話が、吸い込まれていったんです」

 相馬「粉砕機の方にですね」

 相馬「……あれは入ったら終わりです。粉々になる」

 相馬「体が……動きませんでした」

 相馬「声も出ない。目だけで追ってた」

 相馬「見送るしかできませんでした」

相馬さんはまばたきをせずに語る。

そのまばたきの少なさが、当時の緊張を今も引きずっているみたいだった。

 相馬「黒電話が見えなくなった瞬間でした」

 相馬「さっきまで目に『写ってた人たち』が、消えたんです」

 相馬「電話してたやつも、隣のやつも、いつの間にか増えてたやつも……」

 相馬「―― 最初から誰もいなかったみたいにです」

私は喫茶店の水を一口飲む。

氷が歯に当たって硬い音がした。

 祐介「その後、ラインはどうなったんですか?」

 相馬「普通に動いてました」

 相馬「……何事もなかったみたいに」

 祐介「黒電話は、確認したんですか?」

 相馬「はい、でも見つかりません」

 相馬「粉砕機の中を後で確認しましたけど」

 相馬「部品の残骸すら……なかったんです」

 相馬「入ったら終わり……」

 相馬「粉砕されたとしても、残骸は残るはずなんですよ」

 相馬「なかったんです」

相馬さんは、そこで一度笑いそうな顔をした。

でも、その笑いは喉の手前で凍って出てこないようだった。

 相馬「だから僕ね、勝手に考えてみたんです。

 相馬「あれ、黒電話が見せてた『記憶』なんじゃないかって」

 相馬「昔、使っていた人とか」

 相馬「事故で亡くなった人とか」

 相馬「思いを募らせた相手との会話」

 相馬「両親への近況の報告」

 相馬「色んな思いがこもっている」

 相馬「……電話って、繋ぐじゃないですか」

 相馬「人と人を」

 相馬「……繋ぐものが、言葉だけじゃない」

 相馬「気持ちや思いを繋いだ、みたいな」

私は頷いた。

理屈としては荒い。

でも、現場で体験した人間の『落としどころ』としては納得できた。

 相馬「……ちょっと、悲しくなってきて」

 相馬「僕もそういえば、最近、両親とちゃんと話せてなかったな」

 相馬「話せるうちに、もっと話しておかないとな」

 相馬「自分ごとのように思ってきちゃって」

 相馬「なんか。……手、合わせたんです」

相馬さんは胸の前で軽く指を重ねる。

祈りというより、謝るときの癖に似ていた。

 相馬「そして、さぁ、この気持ちを忘れないぞ」

 相馬「これからも、頑張らないとって湧き上がってきまして」

 相馬「気持ちが軽くなって、なんだか、工場の中まで明るくなった気がしたんです」

 相馬「仕事に戻ろう」

 相馬「―― 『見ぃつけた』」

それは、突然耳元ではっきりと聞こえました。

 相馬「即座には目で確認することなんてできませんでした」

 相馬「少しずつ横を見たら」

 相馬「立ってたんです。……さっき消えたのとは違うやつが―― 真横に」

 相馬「気配なんて、また全くなかったんです」

相馬さんの額にうっすら汗が浮いた。

店内は暖かいのに、彼の背中だけ冷えているように見える。

 相馬「冷や汗が噴き出すって……こういうことなんだなって思いました」

 相馬「首の後ろから、だーって」

 相馬「そして、そいつは歩き出したんです」

 相馬「全く動けない僕なんて、どうでも良いかのように」

 相馬「……僕の横から背後へ」

 相馬「ゆっくりと僕も目で追いましたよ」

 相馬「工場の外に消えていった」

 相馬「外に消えていったんです」

相馬さんは、しばらく黙った。

フォークが皿に当たる音が妙に大きい。

 相馬「聞き間違いじゃないです」

 相馬「機械の音があっても、はっきりと聞こえましたから」

 相馬「……でも、あれ、僕に言ったんじゃないと思います」

 相馬「僕のことなんて、『居てもいなくてもどうでも良い』というように見えました」

 祐介「何を見つけたと思いましたか?」

相馬さんは首を横に振った。

 相馬「わかんないです」

 相馬「……わかんないけどあの言い方」

 相馬「嬉しそうだったんですよ」

 相馬「『見ぃつけた』って」

話が一段落すると、相馬さんは深く息を吐いた。

ようやく水を飲み、カップを置く。

指先の力が少し抜けた。

 祐介「工場には、今日も出勤されてたんですよね」

 相馬「そりゃ行ってますよ」

 相馬「辞められないんで」

 祐介「そうですよね……」

 祐介「あの、これ、変な質問ですけど」

 祐介「黒電話の―― 『音』は、鳴ってましたか?」

相馬さんは一瞬、目だけを動かした。

考えるというより、思い出すために視線をどこかへ投げるような動きだった。

 相馬「……鳴ってないですね」

 相馬「鳴ってたら、もう少し気が楽だったかもしれないですね」

 相馬「鳴ってないのに会話してた」

 相馬「鳴ってないのにですよ」

 祐介「黒電話は、静かだったんですね」

 相馬「静かなのにうるさいんです」

 祐介「どういうことでしょうか」

 相馬「……頭の中で」

 相馬「……頭の中でですね」

 相馬「僕の頭の中に、深く染み込んでしまったようで」

 相馬「あの時鳴ってなかったはずなのに……」

 相馬「黒電話の音を想像してしまって、鳴っているんです」

 相馬「僕の頭の中だけですけどね」

 相馬「あの、最後のやつも」

 相馬「工場から出ていく姿が、頭から離れません」

 祐介「……」

私は何も言えなかった。

取材者として慰めの言葉はある。

でも、人の生活の穴を埋める言葉は持っていなかった。

 相馬「……だから、こういうの、書けるなら書いてください」

 相馬「……僕の、じゃなくて、あいつの話として」

相馬さんは笑おうとした。

でも、笑顔の形にならない。

口角だけが疲れて戻らない。

 祐介「黒電話や現れた人や最後に現れた人……」

 祐介「その後は、現れることは無かったんですか?」

 相馬「無いですね」

 相馬「あの時だけです」

ノートを閉じ、ペンをしまう。

 祐介「ありがとうございました。……貴重な体験をお聞かせいただけました」

 相馬「はい……すみません。変な話で」

 祐介「僕はこのためにいます」

相馬さんは少しだけ笑った。

 相馬「まあ……誰かに話したかったんです」

 相馬「ちゃんと、くだらない話と思われない人にですよ」

 相馬「こんな話、信じてもらえないと思いますし」

 相馬「……話すことで、楽になると思ったんです」

 祐介「僕は、聞く事だけしかできませんよ」

 相馬「はい、それで良いんです」

 相馬「僕は、今はまだ工場を辞められません」

 相馬「最後のあいつも、僕なんて存在していないような感じでしたし」

 相馬「僕の元に来ることなんてもちろん」

 相馬「工場にだって、戻ってくることさえないと思うのですが」

 相馬「『もしも』のことを考えると」

 相馬「『誰か』に知っておいてほしかったんですよね」

今度はちゃんと笑っていた。

そして少しだけ安心した顔をした。

私はレコーダーをそっと止めた。

私は、ゆっくりとコーヒーを飲む。

相馬さんは、目の前の料理を食べコーヒーを飲む。

皿が空になるころには、相馬さんの指先の震えが少しだけ減っていた。

店を出ると、冬手前の風が頬を撫でた。

商店街の端には色褪せた看板がいくつも並び、古い広告がそのまま貼られている。

相馬さんは来た時より、しっかりとした足取りだった。

お互い軽く別れの挨拶をした。

駅の方に行く相馬さんを見送る。

作業着の背中が、人混みのない通りにすっと溶けていく。

歩道の端に、古い公衆電話ボックスの広告が色褪せて貼られていた。

海外の女性が笑顔で赤い受話器を持っている。

その写真だけが妙に鮮明で、そこだけ時代が違って見える。

その笑顔が、余計不気味に見えた。

それを見た瞬間、なぜか耳の奥で黒電話が鳴る音を想像してしまった。

私は足を止め、無意識に手のひらを握りしめる。

そして思った。

この話は書けるかな。

相馬さんのためにも、使おうと思っている。

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影灯レン

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