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#3 盲点

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/24 📚 シリーズ: 結城悠真の条件 📝 2,209文字 ✅ 全年齢

あらすじ

交通事故で家族を失い、自身も記憶障害が残った結城悠真、26歳。慶応の医学部を中退し、哲学科に入り直し、今は少し変わった上司・三影凪の会社で働いている。仕事はそこそこ、本は好きなだけ読めて、コーヒーにはこだわりがあって、ネギは許せない。腐れ縁の友人・橘直哉が定期的にゲームと飯に誘ってくるのが唯一の社交。穏やかで、少しだけ退屈な日常。 ただ、時々、おかしなことがある。知らないはずの道を身体が覚えていたり、家族の遺品を「他人のもの」と言ってしまったり、凪が妙なタイミングで「最近よく眠れてる?」と聞いてきたり。 悠真はそれを気にしない。記憶障害のせいだと思っている。 これは、普通の日常の話。たぶん。

本文

「そうだ、悠真。この設計書チェックしといてくんない? いまプリント出すからさー、その間に先に見といてよ」

 思い出したように凪が三枚モニターの向こう側から悠真に声を掛けてきたかと思うと、パソコンの画面上の共有フォルダが更新された。その間に凪は今時珍しいプリンターにデータを送信して印刷をかけている。紙に印刷した設計書が出力されるまで一分とかからない。印刷までに見ておけとは無茶な話だ。

「凪さん。俺のことLLMと一緒にしないでくれます? そんな秒でデータ読めないっすからね」

「んー? 間違ったか。まあ、いいや。じゃあ、お茶淹れるからその間に目え遠しといて」

 要塞のように組み上がった作業スペースから出てくると、凪は悠真のぼやきをスルーしてキッチンに向かってしまった。悠真は溜息をついて席を立ち、印刷された設計書をプリンターから回収しがてら解読していく。片手にはボールペン。

 ほとんどがネット・クラウド・サーバー上で完結するというのに、凪はこうしてアナログな印刷をして悠真にチェックを押し付ける。そのせいで悠真は筆記用具を持つ癖がついてしまった。

 凪の完璧な設計書のどこにチェックの必要があるのか、と思いつつも悠真はその設計構造を読み解くことが密かな楽しみでもある。キッチンから瑞々しい中国茶の香りが漂ってきた。今日の凪の気分はコーヒーではなく中国茶らしい。ということは、話は長くなりそうだ、と悠真は設計書を片手に休憩スペースのソファに座った。

 一通り設計書に軽く目を通してから、気になる箇所を熟読していく。

 そうしているうちに凪が茶を用意して茶器をテーブルに並べている。熱湯の入った保温ポット、蓋椀、茶海、小さな茶器。凪の茶趣味の一部で茶葉も茶器もわざわざ台湾から買ってきている。だが、悠真はその茶の味の違いはわかっても茶葉の種類までは違いが明確にわかっていない。

「まあ、飲みながらのんびりしよ」

 凪は珍しく三枚のモニターに囲まれた作業スペースから出てくるときは大体、なにかがひと段落ついているときか、行き詰っているときで恐らく今日は前者だ。

「茶、いただきます」

 悠真は設計書に視線を落としたまま、視界の端に入ってきた茶器に手を伸ばし、熱い茶を啜った。香りがよく、美味しいが、いまはそれどころではない。恐らく、凪はのんびりと茶を楽しみながらにやにや笑って悠真を観察しているのだろう。凪のリクエストに悠真がどのような答えを出すのか。

 ──どうしても、ひとつ引っ掛かる箇所があった。凪の設計は完璧だ。だが、完璧すぎて不親切でもある。

 悠真は右手にボールペンを持ち直して印刷された設計書に手書きで書き加えていった。文字、記号、簡単な図解。

「凪さん。ここだけ、UIわかりにくくないっすか?」

 悠真が顔を上げると、凪はもう悠真の書き加えた箇所を向かい側から覗き込んでいた。

「んー……そこかぁ。すっきりさせたかったんだよねー。画面に情報量多いとウザくない?」

「いや、そうっすけど。洗練度で言ったらこっちの方がすっきりしてていいと思うんだけど、直感的にわかりにくいっつか。だったら、ここの項目だけ名称変えちゃって折り畳みにするとか」

 前のめりに悠真の手元を覗き込んでくる凪に、悠真は設計書に書き加えながら説明していった。ふーん、と言いながら凪は先を促すような圧をかけてくる。

「情報量のウザさが嫌だったら、ラジオボタンかチェックボックスで……表記も略称にして」

「あ。それいいじゃん」

 略称のところで凪の声色が変わった。悠真が顔を上げると、凪は向かいのソファに沈んでのんびり茶を飲んでいる。

「ところでなんで凪さん、俺に設計書チェックなんかさせるんすか。あんま仕事の難易度上げないで下さいよ」

「んー? ジョハリの窓っていうじゃん。一人でやってたら気付かないこともあんのよ。だからあんたがいるんでしょ。ほら、お茶、冷めないうちに飲みなよ。今日のお茶はいいやつよ」

「ジョハリの窓ってなんでしたっけ」

 勧められるがまま茶を啜りながら悠真は訊き返した。どこかで聞いたことはあるが、はっきりと思い出せない。記憶障害の弊害というより、ただ定着が甘い記憶で何かの本で読んだ覚えはある。

「心理学よ。自己には公開されている自己と、隠されている自己があると共に、自分は知らないが他人は知っている自己や、誰にも知られていない自己もあると考えられるってやつ。んで、あんたは私が気付いてないけど、あんたが見てる私。盲点の窓っても言うわね。その役目。なんでもそうよ。一人でできると思ってたらその盲点の罠にはまるの。ワンオペなんていいことないわよ」

「ジョハリの窓からなんでワンオペまでぶっ飛ぶんすか」

「窓がないと息苦しいじゃない」

 凪は小さな茶器に茶海から茶を注ぎながら笑う。窓の例えは恐らく単なる言葉遊びの類だが、凪の話はよく飛躍し、どこまでがまともに訊いた方がいいのか悠真はいまだに掴みきれていない。

「ま、あんたもさー、もう少し遊んでもいいと思うよ? 奨学金返済抱えてるような社会人でもないんだし。本だけじゃなくて、体験?」

「人のこと引きこもりみたいに言うのやめてくんないすか」

「似たようなもんでしょ。財布とスマホとパスポートだけで一週間海外でも行ってみたら?」

「それはさすがに無理」

 茶を飲んで悠真が苦笑いすると、にやりと笑った凪は「案外、どうにかなるよ」と笑った。

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灯屋いと

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色んなものを雑多に書きます

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