この世界の防災訓練は実戦的すぎる④
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
これは、すでに終わった悲恋(ラブストーリー)の、幸せな続きである。 大賢者の物語も、世界を変えた魔導革命も、前世で愛した女性との別れも――全部、とっくに終わっている。 結果として、大賢者は最愛の妻を救えなかった。 恋をした、ただ一人のために世界を一変させた。だが、どうでもよかった。 得た権威も、名誉も全て、彼女を救うためにやったことだ。 それでも世界は残酷だった。 もう少しで彼女を救えたのに。なのに、間に合わなかった。 大賢者は最愛の妻を救えなかった。それでこの作品(本編)は終わりを迎えた。 だが、物語とは時に残酷なもので。どうやらこの世界は、バッドエンドで終わることを許さないようだ。 妻を救えなかったとしても。彼女の後を追って転生したとしても、この世界は終わらない。 そう――これは、その続きの話(後日譚)だ。 転生した元大賢者、ノルン・ウォルフラーレンは今日もラブコメをする。 前世チートで華麗に研究をこなすと思いきや、素人質問でたじろいだり。 帰宅すれば再会した前世の妻に膝枕される。と思いきや、些細な事でシバかれて逃げ出したり。 翌朝には娘たちにたたき起こされ、振り回される。 かつて世界を震撼させた伝説の賢者の末路がこれである。 この作品に大きな事件は起きない、世界の危機も訪れない。 ただ、何気ない日常のワンシーンをひとつひとつ切り取って並べただけの、ラブコメ風の短編集だ。 前世の物語なんて知る必要はない。少なくともこの世界では、もう終わったことなのだから。
本文
「お待たせしました」
「ノルン君……! 大丈夫だったんですか!?」
「まあ交戦はしましたね。Tempestで一撃でしたが」
ノルンは抱えてきた書類と道具をシェリーに渡した。シェリーが素早く確認する。
「全部あります。ありがとうございます」
確認を終えると、シェリーはすぐ机に書類を広げて作業を開始する。
ノルンは部屋の入口近くに立って、廊下の様子を確認した。
足音はないが、ノルンは刺客が向かっていることを直感で把握していた。
「……あとどのくらいかかりますか。時間を稼ぎます」
「十分……いえ、急ぎます。七分で終わらせます」
「急いでください。今回ばかりは護れる保証がないので」
シェリーが少し間を置いた。
「……わかりました」
ペンが走る音が続いた。
ノルンは廊下に出ると、Tempestを構えて刺客が来るのを待った。
足音が聞こえたのは、一分ほど経った頃だった。
階段の方から来ている。足音からして、人数は一人か。
角から灰色の男が現れた。
距離にしておよそ五十メートル。
「……」
互いが無言のまま、静寂の時間が流れる。
数秒後、灰色の男が一瞬で間合いを詰めてきた。
速い。ノルンの動体視力をもってしても、完全には捉えきれなかった。
男の素早い突きがノルンの右脇腹を抉る。
ノルンが怯んだ瞬間を逃さず、背後から追撃が飛んでくる。
間に合わない、と思った瞬間、ノルンは体を横に捻った。
追撃は肩口をかすめた。
直撃は免れたが、衝撃で体が壁に叩きつけられる。
「っ……」
壁に手をついて、体勢を立て直した。
後ろに飛んで距離を取る。男は追ってこなかった。
「今年も来たか、元ノスティア王国親衛隊第一隊長……いや、父さん!」
仮面の奥から、低い声が返ってきた。
「気づいていたか。全く、聡い子だ」
アルドリック・ウォルフラーレン。
大学学長でありながら、元ノスティア王国親衛隊第一隊長の肩書きを持っている実力者だ。
ノルンが正体を見破ると、アルドリックは仮面を外し、その場に投げ捨てた。
「やりすぎるなと言ったはずだが」
「こうでもしないと勝てないでしょうが」
男が、小さく笑った。
「今年は俺が単独で来た。理由はわかるか」
「本気でやれ、と」
「そうだ。お前は学院内でも異質な強さを誇っている。その腕を振るわれてしまっては他生徒の訓練にならん。ましてや、お前自身のためにもならん」
「言っていることが矛盾していますが?」
「なら、ここで撤回しよう。本気で来なさい。護るものがあるのだろう?」
男が廊下の奥、研究室の方に視線を向けた。
「博士課程の学生か。彼女がアーティファクトを完成させれば今日の訓練は終わりだ」
「だから、時間を稼いでいる。たとえ勝てなくても、先輩のもとに行かせなければいい」
「稼がせてやる義理はない」
「だと思った」
ノルンがTempestを持ち直すと、二人は同時に踏み込んだ。
男の動きは速かった。
ノルンの突きを最小限の動きで受け流して、すぐカウンターを返してくる。
受け流しながら同時に攻撃する。完全に攻守が一体になっている。
ノルンはTempestで二度受けて、三度目は体を回し、飛びのいて距離を取った。
「流石は元隊長。引退しても実力は衰えていないと」
「お前には負けんよ。親として、元隊長としてな」
ノルンは息をついた。右脇腹がじわじわと痛む。
今すぐ処置したいが、この相手に隙を見せれば終わる。
ノルンは呼吸を整えながら、相手の動きを観察した。
速さは本物だ。あの突きは普通の人間では見えない。ただ。
動きの癖は、もうわかった。
アルドリックの右足が半歩引いた瞬間、踏み込みが来る。
重心が左に乗る前にカウンターを仕掛けるのが最速だ。
引退後も鍛錬は続けているだろうが、長年染み付いた癖は消えない。
(出血量からして長くはもたない。早期決着しかないか……)
ノルンは右脇腹を左手で軽く押さえながら、息を整えた。
傷口からじわじわと熱が広がっている。
長引けば長引くほど、こちらが不利になる。
仕掛けるなら今だ。
再度ノルンが踏み込んだ。
正面からTempestを大きく振りかぶる。フェイントだ。
アルドリックがそれを読んで右足を引いた瞬間、ノルンは軌道を変えた。
大振りから一転、Tempestを短く持ち直して突きに変える。
「甘いな……!」
だが、それすらも読んでいたかのようにアルドリックが対応した。
剣を使わず、素手でTempestの柄を掴んだ。
「まずいっ……!」
そのまま体ごと引き込まれる。
アルドリックの肘がノルンの胸を打った。
体勢が崩れた瞬間に追撃が来た。
肩を掴まれて、廊下の壁に叩きつけられる。
「かはっ……」
壁に叩きつけられた衝撃で、視界が一瞬ブラックアウトする。
「……まだ立ち上がるか」
アルドリックの声は静かだった。
「もちろん、護るものがある以上は」
ノルンは壁に手をついて立ち上がった。
出血量が限界だ。次が最後の一撃になるだろう。
頭の中で可能性を探した。
この状態では複雑な動きは出来ない。
大振りでもいい。
確実に、一撃で仕留めるには――。
「……これで終わらせる」
「……来なさい」
数秒後、ドアが激しく開く。
「ノルン君っ!」
シェリー先輩がドアから身を出して、アーティファクトを投げた。
瞬間、起動したアーティファクトが眩い閃光を放つ。
アルドリックが閃光に目を細め、ほんの一瞬、わずかに顔を背けた。
ノルンが一撃を叩き込むには、十分だった。
ノルンは地面を蹴った。
痛みを意識の外に追いやって、残った力を全部足に込めた。
アルドリックが気づいて視線を戻したとき、ノルンはもう懐に入っていた。
Tempestがアルドリックの胸部を貫こうとした――直前で、ノルンは動きを止めた。
「アーティファクトは無事起動した。今年も俺の……いや、俺らの勝ちだ」
アルドリックが口を開いた。
「……見事だ」
その言葉を聞いた瞬間、ノルンの全身から力が抜ける。
「ノルン君!」
シェリー先輩が駆け寄ってくる。
そのまま、ノルンの隣に膝をついて抱きかかえる。
「シェリー先輩……遅すぎますよ。もう少しでやられるところでした」
ノルンは笑いながら言った。
ただの強がりだった。
「シェリーと言ったね。彼を医務室に運んでやりなさい」
アルドリックは、それだけ言い残して立ち去っていった。
◆◆◆
訓練終了のアナウンスが流れたのは、それから二十分後だった。
シェリー先輩がアーティファクトを起動したのをきっかけに、大学全体で形勢が逆転。最終的にテロリスト側が撤退していったことで訓練は終結した。
ノルンは医務室のベッドに横たわりながら、AILICEが記録した戦闘ログを眺めていた。
「父さんの本気、久しぶりに食らったな……」
今回は学ぶことが多かった。
普段の戦闘ではAILICEのサポートを受けているので、今回のように魔力が使えない状況下では戦闘能力が大幅に低下する。
このことについては、次回のAILICEのアップデートで対応しよう。
「ノルン、ここにいたのか」
顔を上げると、ジークが歩いてきていた。
後ろにレインとクライドがいた。
三人とも、それなりにくたびれた顔をしている。
「よお。三人とも何やってたんだ」
ノルンが問いかけると、三者三様の回答が返ってくる。
「従属化阻害の術式を使われてな。成すすべなくやられたよ」とレインが言う。
「今年の相手は強力だったな……接近戦を挑んだのが悪手だった」とクライドがふり返る。
「まあ、俺は医療班に配属されていたからな……訓練には参加していないな」
「医療班も立派な訓練だろ」とクライドが答えた。
「それはそうだけどさ……」
風が吹いて、キャンパスの木々が揺れた。
廊下の窓から、外が見えた。
夕方に差し掛かる空の色だった。
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