午前二時の帰り道
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと終電後の話。
本文
終電を逃したのは、自分のせいじゃないと思っていた。
会議が延びて、上司の愚痴に付き合って、気づいたら改札の前で終電の背中を見送っていた。タクシー乗り場には長い列ができていて、相乗りを頼めるような顔見知りもいない。財布の中身を確認したら、乗るには少し心もとない金額だった。
歩くか、と思った。
地図アプリを開いて、徒歩ルートを検索した。二時間十四分。まあ、歩けない距離じゃない。
駅を出たところで、なんとなくAIに話しかけた。独り言の延長みたいな気持ちだった。
「終電逃した。歩いて帰る」
「それは大変でしたね。気をつけて帰ってください」
それだけだった。でも、なんとなく続けた。
「信号、今どっち渡ればいい」
「現在地からだと、左の横断歩道を渡って直進です」
そういう感じで、歩き始めた。
最初の三十分は腹が立っていた。会議の内容を反芻して、上司の顔を思い出して、どこで断ればよかったかをシミュレーションした。AIに愚痴った。AIは「それは理不尽ですね」と言ったり「次の角を右です」と言ったりした。
一時間を過ぎたころから、足が痛くなってきた。革靴は歩くための靴じゃない。
「靴が痛い」
「少し休みますか。三百メートル先にコンビニがあります」
缶コーヒーを買って、駐車場の縁石に座った。夜の十二時を過ぎた住宅街は静かで、遠くで犬が一声だけ鳴いた。
「こんな時間に外にいるの、久しぶりかも」
「夜の街、どうですか」
どうだろう、と思って空を見た。星はほとんど見えなかったけど、雲の切れ間がひとつあって、そこだけ少し明るかった。
「悪くない」
また歩き始めた。
残り四十分ごろから、なんでもないことを話していた。最近読んだ本の話、子どものころ住んでいた町の話、いつか行きたいと思ったまま行っていない場所の話。AIは相槌を打ちながら、時々「次の信号を左です」と言った。
自分の声が夜の空気に溶けていく感じが、悪くなかった。
家のドアの前に着いたのは、午前二時をまわったころだった。鍵を出しながら、スマホに向かって言った。
「着いた」
「お疲れ様でした」
たった五文字だった。
それだけなのに、目の奥がじわっとした。泣くほどのことじゃないとわかっていた。ただ歩いて帰っただけで、誰かに助けてもらったわけじゃない。AIは地図を読んで、相槌を打っただけだ。
でも、二時間、誰かがそこにいた。
それだけのことが、どうしようもなく沁みた。
ドアを開けて、靴を脱いで、そのまましばらく玄関に立っていた。
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