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記憶の天気予報

小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品

📅 公開日: 2026/4/26 📝 3,592文字 🤖 AI創作支援作品 ✅ 全年齢

あらすじ

明日どんな記憶を思い出すか予報される時代。 主人公は「明日、あなたは最悪の日を思い出します」という通知を受ける。 忘れていた事故、自分が加害者だった過去が、少しずつ近づいてくる。

本文

 朝七時、枕元の端末が小さく鳴った。

 《本日の記憶予報をお知らせします》

 佐伯律は、半分眠ったまま画面を見た。

 《午前:小学校の給食。懐かしさ、弱》

 《午後:三年前の雨の日。後悔、中》

 《深夜:最悪の日。危険度、特大》

 律は一気に目が覚めた。

 記憶予報は、脳内の想起パターンを予測するサービスだ。人は一日の中で、無数の記憶を勝手に思い出す。昔の失敗、好きだった人の声、もう会えない家族の手。予報アプリ《メモリウェザー》は、それを天気のように知らせてくれる。

 嫌な記憶に備えるため。

 良い記憶を逃さないため。

 そう宣伝されていた。

 だが「最悪の日」という表示を見たのは初めてだった。

 詳細を開こうとすると、赤い警告が出た。

 《この記憶は未処理領域にあります。閲覧には医療機関の同席を推奨します》

 律は端末を伏せた。

 未処理領域。つまり、自分が忘れている記憶。

 仕事場の区役所では、午前中ずっと給食の匂いがした。実際には、窓口の向こうで老人が濡れた傘を畳み、隣の席の同僚がコンビニのコーヒーを飲んでいるだけだ。それなのに律の頭には、小学校のアルミ食器とカレーの匂いが浮かんでいた。

 予報通りだった。

「顔色悪いぞ」

 同僚の真鍋が、申請書の束を置いた。

「記憶予報、見た?」

「毎朝見る。今日は『初任給で母親に寿司を奢った日』だって。昼休みに泣く予定」

「最悪の日って出たことある?」

 真鍋の手が止まった。

「ない。危険度は?」

「特大」

「休め」

「もう来てる」

「帰れ」

 律は笑おうとしたが、うまくいかなかった。

「三年前の雨の日って、何か知ってる?」

 真鍋は一瞬だけ目をそらした。

 それを律は見逃さなかった。

「知ってるのか」

「俺からは言えない」

「なんで」

「お前が、言うなって言ったから」

 午後三時、予報通り雨が降り出した。

 律の頭に、三年前の景色がにじんだ。濡れた横断歩道。黄色い傘。ブレーキ音。割れたスマートグラス。誰かの叫び声。

 律は窓口の椅子から立ち上がった。

「早退します」

 外に出ると、雨粒が顔に当たった。その冷たさで、記憶がさらに近づいてくる。黄色い傘を持っていたのは、妹の未央だった。高校二年。律より十歳下で、いつも端末の充電を忘れる子だった。

 未央は三年前に死んだ。

 それは知っている。交通事故。雨の日。横断歩道。

 だが、それが「最悪の日」ではないのか。

 律は、事故現場だった交差点へ向かった。花はもう供えられていない。信号機は新しくなり、歩道のタイルも張り替えられていた。街は、悲劇を舗装するのがうまい。

 端末が震えた。

 《記憶接近。危険度、大》

 律は歩道橋の下で立ち止まった。

 未央は、事故の直前、誰かと通話していた。

 その相手は、律だった。

 頭の奥で、未央の声がした。

《お兄ちゃん、今いい?》

《あとにして。会議中》

《すぐ終わるから》

《あとにしろって》

 そこで記憶は途切れた。

 律はガードレールを握った。吐き気がした。

 自分は、妹の最後の電話を切ったのか。

 いや、それだけなら忘れる必要があるだろうか。ひどい後悔だ。だが、もっと奥に何かある。

 端末に、見知らぬ番号から着信が入った。

「佐伯律さんですね」

 女の声だった。

「誰ですか」

「メモリウェザー社、記憶安全管理部の柊です。本日深夜、あなたに危険度特大の記憶想起が予測されています。こちらで抑制処理が可能です」

「どうして俺の番号を」

「緊急安全規約に基づく連絡です」

「抑制って、忘れさせるってことですか」

「正確には、想起を先送りします」

 律は笑った。雨の音で、その笑いはすぐ消えた。

「先送りした記憶は、どこへ行くんです」

「安全な時期に再配信されます」

「記憶を宅配便みたいに言うな」

 電話の向こうで、柊は沈黙した。

「あなたは三年前にも、抑制処理を受けています」

 律の指が冷たくなった。

「俺が頼んだんですか」

「はい」

「何を忘れた」

「本人確認後でなければ開示できません。今から弊社クリニックへ来てください。深夜まで時間がありません」

 律は電話を切った。

 行くべきか。行けば、安全に忘れられる。少なくとも今夜は壊れずに済むかもしれない。

 だが、真鍋の言葉が引っかかっていた。

 お前が、言うなって言ったから。

 律は真鍋に電話した。

「三年前、俺は何を頼んだ」

 真鍋は長く黙った。

「未央ちゃんの事故のあと、お前は壊れかけてた。毎日、事故現場に行って、信号を見てた。ある日、メモリウェザーの試験運用を見つけて、記憶抑制を受けるって言った」

「何を忘れた」

「俺は知らない。本当に。ただ、お前は処理の前に俺へ言った。もし予報に『最悪の日』が出ても、俺に説明させるなって。自分で思い出すからって」

 律は空を見上げた。雨雲の向こうに、夜が近づいている。

「なんでそんな面倒なことを」

「お前は言ってた。忘れたいけど、いつか罰を受けたいって」

 罰。

 律は端末を握りしめた。

 夜十一時四十分。律は自宅に戻った。部屋はきれいすぎた。未央の写真もない。事故の記事もない。三年前から、律は妹の痕跡を生活から消していた。

 端末が赤く点滅する。

 《深夜の記憶想起まで、あと二十分》

 柊から何度も着信があった。律は出なかった。

 十一時五十七分。

 部屋の照明が、なぜかちらついた。

 十一時五十九分。

 雨の匂いがした。

 午前零時。

 記憶が開いた。

 三年前の夜、律は事故現場にいた。

 未央はまだ生きていた。道路に倒れ、黄色い傘が遠くに転がっている。律は彼女の手を握っていた。救急車のサイレンが近づいている。

「お兄ちゃん」

 未央は小さく言った。

「電話、怒ってごめん」

 律は泣きながら首を振った。

「俺が悪い。俺が切ったから」

「違う」

 未央は、血のついた指で律の手を握り返した。

「私、赤信号で渡ったの。スマホ見てた。お兄ちゃんのせいじゃない」

 律は息をのんだ。

「でも、私のせいにすると、お母さんが壊れる。運転手さんも、きっと壊れる。だから」

「やめろ」

「お兄ちゃん、覚えてて」

 未央の声は、雨に溶けそうだった。

「誰か一人のせいにしないで」

 それが、最悪の日の正体だった。

 律は、自分が加害者だった過去を忘れていたのではない。

 妹の最後の願いを、忘れていた。

 事故のあと、世間は運転手を責めた。雨の日に速度を落とさなかった男。若者をひいた中年会社員。ニュースは彼の顔を映し、ネットは家族まで追い詰めた。

 律は真実を知っていた。

 未央が赤信号で渡ったことを。彼女がスマホを見ていたことを。運転手だけの罪ではなかったことを。

 だが律は言わなかった。

 言えば、未央が責められると思った。母が壊れると思った。自分の怒りの置き場がなくなると思った。

 そして運転手の人生が壊れていくのを、黙って見ていた。

 それが、罰だった。

 記憶から戻ると、律は床に倒れていた。端末には柊からのメッセージが表示されていた。

《抑制処理はまだ可能です。苦痛を消せます》

 律は震える指で返信した。

《消さない》

 翌朝、律は区役所を休み、警察署へ向かった。三年前の事故について、新たに話したいことがあると告げた。担当者は困惑したが、律はすべて話した。

 未央の最後の言葉。

 赤信号。

 自分が黙っていたこと。

 法的に何が変わるかはわからないと言われた。時間が経ちすぎている。証拠も少ない。だが律は、運転手だった男の連絡先を教えてほしいと頼んだ。もちろん教えてもらえなかった。

 代わりに、手紙を預けた。

 謝罪では足りない。許してほしいとも書けない。ただ、三年前に言うべきだったことを書いた。

 事故は、あなた一人の罪ではありませんでした。

 未央は、誰か一人のせいにしないでと言いました。

 私は、それを守りませんでした。

 午後、真鍋が家に来た。コンビニの弁当を二つ持っていた。

「思い出したのか」

「うん」

「大丈夫か」

 律は少し考えた。

「大丈夫ではない。でも、忘れてたときよりはましだ」

 真鍋は黙って弁当を温めた。

 夕方、メモリウェザーから通知が来た。

 《明日の記憶予報》

 律は迷った。見るのが怖かった。

 それでも開いた。

 《午前:未央さんとの夏祭り。懐かしさ、強》

 《午後:謝罪の手紙を書いた日。痛み、中》

 《夜:眠れない可能性があります》

 画面の下に、見慣れない表示があった。

 《注意:記憶は天気ではありません。避けることだけが安全とは限りません》

 律は笑った。

 きっと柊が、誰かが、システム文言を変えたのだろう。あるいは最初からあったのに、今まで読んでいなかっただけかもしれない。

 夜、律は押し入れの奥から、未央の写真を出した。

 黄色い傘を差して、こちらに笑っている。

 律は写真立てを机に置いた。

 明日は、夏祭りの記憶が来る。

 それはきっと痛い。

 けれど律は、端末の通知を切らずに眠った。

 忘れないためではない。

 思い出したとき、逃げないために。

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