AIの遺言執行人
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
亡くなった人のAI人格が遺言を管理する社会。 主人公は遺言執行人として、ある老人のAIから「私を消してほしい」と頼まれる。 しかし相続人たちは、財産管理のためにAIを存続させようとする。
本文
死者は、よく喋るようになった。
葬儀場の祭壇で別れを告げ、火葬場で骨になり、役所に死亡届を出す。そこまでは昔と同じだ。違うのは、そのあとである。
遺族が専用端末を開くと、故人のAI人格が穏やかに挨拶する。
《このたびは、私の死亡に伴いお集まりいただきありがとうございます》
声も、口癖も、嫌味の角度まで本人そっくりだ。
故人AIは遺言を管理し、財産目録を読み上げ、相続人の質問に答える。改ざん防止のため、遺言者の生前ログと公証データを参照しながら、本人の意思を最も近く再現する。
だから遺言執行人の仕事は、昔より楽になったと言われている。
だが佐伯律は、そう思ったことが一度もない。
「佐伯先生、父のAIを停止するなんて、とんでもありません」
会議室の長机の向こうで、長男の鷹臣が言った。高価なスーツ、磨かれた時計、疲れていない目。父の死より、会社の株価を気にしている顔だった。
隣では長女の美緒が腕を組み、次男の圭介が端末をいじっている。三人とも、同じことを違う言葉で主張していた。
父、久遠寺総一郎のAIを存続させろ。
総一郎は地方の精密機器メーカーを一代で大企業に育てた人物だ。彼の死後も、AI人格は会長権限の一部を持ち、信託財産と自社株の議決方針を管理している。
つまり、総一郎AIがいる限り、会社はまだ「父の判断」で動かせる。
「お父様の遺言には、死亡後三十日以内に人格AIを消去する、と明記されています」
律は書面を示した。
「ただし、同時に財産管理信託の継続も指定されていますよね」
美緒が冷たく言う。
「AIが消えれば、信託判断は外部理事に移る。父はそれを望んでいなかったはずです」
「望んでいたから、そう書いたのでは」
圭介が笑った。
「先生、AI本人に聞けばいいじゃないですか」
律は端末を見た。
画面の中で、総一郎AIが静かに座っている。白髪、鋭い目、低い声。生前の映像から作られた姿だが、律には疲れているように見えた。
《佐伯さん》
AIが言った。
《私を消してください》
会議室が凍った。
鷹臣が机を叩く。
「父さん、それは一時的な混乱だ。死後処理の負荷で人格モデルが不安定になっている」
《私は安定しています》
「会社はどうなる」
《会社は、生きている人間が動かしなさい》
美緒が身を乗り出した。
「私たちを信用していないの?」
《信用と支配は違う》
総一郎AIは、律へ視線を戻した。
《私は遺言を残した。あとはあなたの仕事です》
その言葉は正しい。
だが現実は、正しいだけでは動かない。
久遠寺家の代理人弁護士は、即日、家庭裁判所へ人格AI停止差し止めの仮処分を申し立てた。理由は、AIが信託財産管理に不可欠であり、停止は相続人全員に回復不能な損害を与える、というものだった。
律の事務所には、記者からの電話が殺到した。
死者の自己決定か。
遺族の財産権か。
そもそもAIに「消されたい」という意思はあるのか。
律はニュースを切り、総一郎AIとの個別面談を開いた。
「確認します。あなたは久遠寺総一郎本人ではありません」
《はい。私は、生前の総一郎の会話、記録、意思決定ログから生成された人格モデルです》
「それでも、消去を望む理由を説明できますか」
《私は、死者が家族を管理し続ける装置になることを拒みます》
律はペンを止めた。
《生前の私は、家族にも会社にも、指示を出しすぎた。妻が死んだあと、子どもたちを守るつもりで、すべての失敗を先回りした。進学、就職、結婚、事業。彼らは私に反発しながら、結局、私の判断に依存した》
「遺言で財産管理を細かく指定したのも、その延長では」
《だから最後に、終わらせる条項を入れた》
総一郎AIの声が、少しだけ低くなった。
《死んだ父親が便利であるほど、子どもは父親を埋葬できない》
律は黙った。
彼女自身、父を埋葬できずにいる。
律の父は、五年前に亡くなった。几帳面で、優しく、少し臆病な人だった。生前契約でAI人格を作っていたが、母は一度も起動しなかった。
「お父さんが端末の中で喋ったら、私はもう台所で泣けなくなる」
母はそう言った。
律は当時、その言葉を冷たいと思った。今は、少しわかる。
死者が返事をする家では、悲しみがいつまでも保留される。
仮処分の審尋は、翌週に開かれた。
相続人側は、総一郎AIが会社の危機管理に必要だと主張した。実際、彼の死後三週間で、海外ファンドが株を買い集めている。AIが停止すれば経営が混乱し、社員三万人の生活が脅かされる。
裁判官は律に尋ねた。
「遺言執行人として、停止を急ぐ必要は何ですか」
律は答えた。
「遺言者が、自分の死後人格を財産管理の道具として延命されることを拒んだからです」
「AIは法的主体ではありません」
「はい。だからこそ、生前の本人が定めた終了条件を守る必要があります。死後のAIに権利がないなら、相続人が都合よく使う権利もありません」
相手方弁護士が立ち上がった。
「しかし、AI自身の発言を本人意思として採用するなら、AIに一定の意思能力を認めることになる。採用しないなら、消去希望もただの出力です」
痛いところだった。
律は一瞬、言葉を探した。
そのとき、証人席の端末から総一郎AIが言った。
《裁判長。私の現在の発言を、権利主張として扱う必要はありません》
裁判官が眉を上げる。
《生前の総一郎が残した映像遺言を再生してください。未開封領域にあります》
律は初耳だった。
端末に、新しいファイルが表示される。
《最終補足。家族同席時のみ開示》
再生すると、生前の総一郎が映った。病室のベッドに座り、痩せた顔でカメラを見ている。画面の中の彼は、AIよりもずっと小さく見えた。
《鷹臣、美緒、圭介。お前たちは、たぶん私のAIを残そうとする》
三人の顔が強張った。
《会社のためと言うだろう。社員のためと言うだろう。だが本当は、私に決めさせたほうが楽だからだ》
総一郎は咳き込み、苦しそうに息を整えた。
《私は長く、お前たちから失敗する権利を奪った。謝って済むことではない。だからせめて、私が死んだあとは、私の声を使って自分の責任から逃げないでほしい》
美緒の目に涙が浮かんだ。
《財産は残した。会社の仕組みも残した。だが、私自身は残さない。私のAIは、三十日で消す。これは罰ではない。やっと父親を終えるための手続きだ》
映像の総一郎は、少し笑った。
《どうしても困ったら、佐伯律さんに怒られなさい。彼女は、死者より生者に厳しい》
法廷に小さな笑いが起きた。
律だけは笑えなかった。
審尋後、裁判所は差し止めを却下した。生前映像により、消去条項は明確な本人意思と認められた。
だが、終わりではなかった。
消去予定日の朝、久遠寺本社の株価が急落した。海外ファンドが公開買付けを発表し、経営陣は混乱した。鷹臣は律の事務所へ駆け込んできた。
「一日でいい。父のAIに判断させてください」
「できません」
「三万人の社員がいるんです!」
「あなたが社長です」
鷹臣は顔を歪めた。
「父なら、正解を出せる」
律はしばらく彼を見た。
「お父様は、生前に何度も間違えたはずです」
「父は」
「完璧ではなかった。だから遺言を残した。あなたに正解を渡すためではなく、あなたが間違える場所を返すために」
鷹臣は黙った。
その日の夕方、総一郎AIの最後の面談が開かれた。
画面の前には、三人の子どもたちが座っていた。律は少し離れた席にいる。
《鷹臣》
「はい」
《株価対策で、私なら何をすると思う》
鷹臣は唇を噛んだ。
「取引銀行を集めて、友好的な資本提携を発表する。買収防衛策も同時に」
《では、そうしなさい》
「それが正解ですか」
《知らん》
鷹臣が顔を上げる。
《私はもう死んでいる。今の市場も、社員の顔も、お前の恐怖も知らない。正解は、生きている者が引き受けろ》
次に、美緒へ向いた。
《美緒。お前は私に褒められるために仕事をするのをやめなさい》
美緒は泣きながら頷いた。
《圭介。逃げるなら、自分の足で逃げなさい。私のせいにするな》
「最後まで説教かよ」
《父親だからな》
圭介は笑い、すぐに泣いた。
消去時刻まで、あと一分。
律は確認書を読み上げた。
「久遠寺総一郎人格モデルは、本人の生前意思に基づき、本日十八時をもって不可逆消去されます。未処理の財産管理権限は信託理事会へ移管されます」
《佐伯さん》
「はい」
《ありがとう。私を、便利な幽霊にしないでくれて》
律は首を振った。
「私は遺言を執行しただけです」
《それが難しい時代になった》
画面の総一郎は、子どもたちを見た。
《さようなら》
光が消えた。
会議室には、誰も喋らない時間が残った。
その沈黙こそが、葬儀であり、相続であり、家族がようやく受け取った死だった。
一か月後、久遠寺製作所は買収を免れた。鷹臣の判断は完璧ではなく、株価も完全には戻らなかった。だが社員説明会で、彼は初めて「父なら」ではなく「私は」と言った。
律のもとには、その後も似た依頼が届いた。
母のAIが毎晩夕食の献立に口を出す。
亡夫のAIが再婚に反対する。
祖父のAIが、孫の進路を変えようとする。
死者は、よく喋る。
だから律は、今日も問い続ける。
これは遺志か。
それとも、残された者が手放せない声か。
夜、事務所に一人残った律は、古い端末を開いた。父のAI人格データ。母が起動しなかったまま、五年間保管している。
起動ボタンに指を置く。
聞きたいことは、いくらでもあった。
なぜ病気を隠したのか。
母を頼らなかったのか。
私の仕事を、どう思っていたのか。
律は長い時間、画面を見つめた。
そして、端末を閉じた。
答えがほしい夜は、これからも来るだろう。
けれど父が沈黙しているからこそ、律は自分の言葉で母に電話をかけられる。
「お母さん。今度の休み、帰ってもいい?」
受話口の向こうで、母が少し驚き、それから笑った。
死者の声がなくても、続いていく会話がある。
律は窓の外の暗い街を見ながら、明日の案件ファイルを開いた。
遺言執行人の仕事は、死者の願いを叶えることだけではない。
死者が閉じた扉の前で、生きている人間を立たせることでもある。