銀河審査員は定食屋にいる
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
地球は実は銀河文明の「保護観察中の惑星」で、あと一週間で正式加盟か廃棄かが決まる。 だが審査員として来た異星人は、国連でも科学者でもなく、地方の小さな定食屋に通い始める。
本文
地球の試用期間が、残り七日になった。
その知らせは、月曜の朝六時、世界中の端末に同時表示された。政府の緊急放送より先に、子どもの学習タブレットにも、冷蔵庫の在庫管理画面にも、駅の改札にも出た。
《惑星地球は、銀河文明共同体への暫定保護観察期間を終了します。七標準日後、正式加盟または廃棄を決定します》
人類は三分間、黙った。
そのあと、世界は叫び出した。
国連は緊急総会を開き、各国首脳は演説し、科学者は外宇宙通信の解析を始めた。宗教家は祈り、投資家は売り、動画配信者は「廃棄されてみた」という最低の企画を出した。
だが審査員は、国連本部にも、天文台にも、軍事基地にも現れなかった。
火曜の昼、埼玉県川越市の外れにある定食屋に来た。
「焼きさば定食を一つ」
その客は、紺色の作業着を着た中年男に見えた。髪は薄く、背は低く、妙に姿勢がよい。顔立ちは日本人でも外国人でもありそうで、目だけがビー玉のように澄んでいた。
店主の小野寺晴子は、厨房から顔を出した。
「ご飯、大盛りにします?」
「標準で」
「はいよ」
晴子は、客が異星人だとは思わなかった。
ただ、箸袋を三十秒ほど観察し、味噌汁の湯気に向かって小さく頷いているので、変わった人だとは思った。
定食を出すと、客は焼きさばの皮を見つめた。
「これは、死骸ですか」
「急に嫌な言い方するね」
「失礼。生命活動を終了した水棲脊椎生物の加熱体ですか」
「もっと嫌だね。さばです」
客は箸を持ち、ぎこちなく身をほぐした。一口食べる。
目が少しだけ広がった。
「塩分。脂質。焦げ。発酵した豆の汁。危険な組み合わせです」
「お口に合わない?」
「合います」
客は真剣に言った。
「危険なほど」
その日の夕方、店の前に黒塗りの車が三台止まった。
外務省、内閣危機管理室、宇宙航空庁、国連連絡官。肩書きの長い人間たちが押し寄せ、晴子の店は一瞬で地球防衛の最前線になった。
「小野寺さん、あのお客様は銀河文明共同体の最終審査員です」
若い官僚が、青い顔で言った。
「はあ」
「明日から、世界各国の代表料理をこちらで提供します。審査員に人類の多様性と文化的成熟を」
「うちは定食屋だよ」
「存じております。しかし審査員は、こちらに通うと指定しました」
晴子は腕を組んだ。
「指定って、誰が」
店の隅で、審査員が麦茶を飲んでいた。
「私です」
官僚たちが一斉に頭を下げる。
審査員は晴子を見た。
「この店は、惑星判断に適しています」
「どこが」
「入口に、無料の水があります」
官僚の一人が、泣きそうな顔でメモを取った。
翌日から、《まるふく》は異常な店になった。
店の外には報道陣。裏口には警備員。店内には各国代表が持ち込んだ料理資料が積まれた。だが審査員は、高級食材にも宮廷料理にも興味を示さなかった。
「今日は、肉じゃが」
晴子が言うと、官僚が慌てた。
「小野寺さん、本日はフランス政府から三つ星シェフが」
「メニューは日替わり。水曜は肉じゃが」
審査員は頷いた。
「日替わりは重要です。宇宙は日替わりではありませんから」
「意味はわかんないけど、あんたはわかってる」
晴子は肉じゃがを出した。
審査員は、じゃがいもを一口食べる。
「これは、戦略ですか」
「夕飯の余りを昼に出す戦略だね」
「余りを捨てず、別の価値に変える」
「そんな立派なもんじゃないよ」
「立派でない行動が、文明を測ることがあります」
官僚たちは、またメモを取った。
木曜、事件が起きた。
近所の小学生、森下奏太が店に飛び込んできた。汗だくで、ランドセルの紐が片方切れている。
「晴子さん、トイレ貸して!」
「奥」
警備員が止めようとしたが、晴子が睨むと引っ込んだ。奏太はトイレへ駆け込み、三分後、気まずそうに出てきた。
審査員が見ている。
「若年個体。あなたは、なぜ走っていましたか」
「え、漏れそうだったから」
官僚が咳き込んだ。
審査員は深く頷いた。
「緊急性の高い生命活動」
「そういう言い方やめてあげな」
晴子は奏太に麦茶を出した。
「ランドセル、また壊れたの」
「うん。お母さん、夜まで帰らないし」
「置いてきな。縫っとく」
奏太は審査員をちらちら見ながら、麦茶を飲んだ。
「おじさん、宇宙人?」
「はい」
「地球、壊すの?」
店内の空気が止まった。
審査員は少し考えた。
「まだ決めていません」
「壊さないでよ。明日、図工あるから」
「図工」
「粘土で好きな動物作る」
審査員は、重大な機密を聞いたように目を細めた。
「それは、延期できませんか」
「できない。もう何作るか決めてるもん」
「何を」
「まだ秘密」
晴子は笑った。
官僚は笑わなかった。
金曜、世界中で「地球を救うための最善行動」が過熱した。各国は温室効果ガス削減を発表し、紛争地域で一時停戦が成立し、巨大企業は慈善寄付を競った。
だが同時に、審査員を自国へ移動させようとする工作も始まった。
夜、店の営業後、晴子は裏口で怪しい男たちに囲まれた。外国語訛りの日本語で、「審査員に特別な料理を出してほしい」と頼まれる。封筒には、店ごと買える額の金が入っていた。
晴子は封筒を返した。
「うちの味噌汁は、賄賂で濃くならないよ」
男たちは笑わなかった。
そのとき、審査員が裏口に現れた。
「晴子さん。これは何ですか」
「人類の悪いところ」
「なるほど」
審査員は男たちを見た。
「記録しました」
男たちは逃げた。
晴子は溜息をつく。
「あんた、そんなものばっかり記録してたら、地球は落第だね」
「悪いところを見ない審査は、審査ではありません」
「いいところだけ見せたい連中ばっかり来るだろ」
「はい」
「じゃあ、明日は商店街を歩きな」
土曜、晴子は審査員を連れ出した。
八百屋では、傷のあるトマトを安く売っていた。審査員が「欠陥品ですか」と聞くと、八百屋のおじいさんが「味は同じだよ」と一つくれた。
クリーニング店では、店主が認知症の客に何度も同じ説明をしていた。審査員が「効率が低い」と言うと、晴子は「急がせても記憶は戻らない」と言った。
公園では、中学生がごみを拾っていた。部活の罰かと思ったら、自分たちで始めた活動だった。理由を聞くと、「ベンチが汚いと、ばあちゃんが座れないから」と答えた。
夕方、二人は河川敷に座った。
「晴子さん」
「なに」
「この惑星は、矛盾しています。互いに傷つけ、資源を浪費し、真実より面子を優先する。同時に、壊れた紐を縫い、傷のある果実を分け、座る人のいないベンチを掃除する」
「人間なんて、だいたいそんなもんだよ」
「銀河共同体の基準では、危険性が高い」
「だろうね」
「しかし、廃棄には惜しい」
晴子は審査員を見た。
「それ、合格?」
「まだです」
「面倒くさいね、宇宙も」
審査員は少し笑った。初めて見る表情だった。
日曜、最終審査の日。
《まるふく》には、世界各国の代表が詰めかけた。国連事務総長が演説原稿を持ち、首相が深刻な顔で座り、科学者たちは翻訳装置を調整している。
晴子は、いつも通り開店準備をしていた。
「今日は何を出すんですか」
官僚が震える声で聞いた。
「しょうが焼き」
「最後の審査ですよ」
「日曜はしょうが焼き」
審査員は席に着いた。
そのとき、店の外で怒号が上がった。
奏太だった。
彼は両手に粘土細工を抱えて、警備員ともみ合っている。
「入れてよ! 宇宙人のおじさんに見せる約束した!」
「約束はしていません」
審査員が言った。
「でも、興味があります」
奏太は店に入ってきた。手の中の粘土は、へたくそな青い丸だった。ところどころ緑が貼りつき、白い線がぐるぐる巻いてある。
「地球」
奏太は言った。
「好きな動物じゃなかったの?」
晴子が聞く。
「地球って、生き物みたいじゃん。みんな乗ってるし」
店内の大人たちは黙った。
奏太は、粘土の地球を審査員に差し出した。
「壊すなら、これで練習して。本物はやめて」
審査員は、粘土の地球を両手で受け取った。
「なぜ、本物を残したいのですか」
「まだ作りかけだから」
奏太は当然のように言った。
「戦争とか、暑すぎる夏とか、嫌なことあるけど。まだ直せるかもしれないじゃん。壊したら、直せない」
審査員は長く沈黙した。
やがて、しょうが焼き定食が運ばれてきた。
晴子は言った。
「冷めるよ」
審査員は箸を取った。
世界の代表たちが見守る中、彼はしょうが焼きを食べ、味噌汁を飲み、漬物を噛んだ。最後に、茶碗についた米粒を一つ残らず箸で集めた。
「判定を発表します」
店内の空気が固まる。
《惑星地球は、正式加盟には未達です》
誰かが呻いた。
《廃棄にも未達です》
首相が小さく「どっちだ」と呟いた。
《保護観察期間を延長します。期間は百年。条件は三つ》
審査員は粘土の地球をテーブルに置いた。
《一つ。惑星環境の回復を、利益計算より上位に置くこと。二つ。争いの解決に、廃棄兵器を用いないこと。三つ》
彼は無料の水差しを見た。
《水と食事と排泄の場所を、困っている者に提供する文明であり続けること》
国連事務総長が、真剣に頷いた。
晴子は呆れた。
「そんなのでいいの」
「そんなことができない文明は、星を持つには危険です」
審査員は立ち上がった。
「晴子さん。焼きさば定食は、次回の審査でもありますか」
「百年後?」
「はい」
「私はいないよ」
「では、誰かに引き継いでください」
晴子は少し考え、奏太を見た。
「あんた、定食屋やる?」
「図工の先生になる」
「じゃあ、誰か探しとく」
審査員は満足そうに頷いた。
次の瞬間、彼の姿はふっと薄くなり、湯気のように消えた。テーブルには、食事代として見たことのない金属片が一枚置かれていた。
官僚が慌てて分析しようとしたので、晴子は取り上げた。
「これは、うちの売上」
百年の猶予が与えられた地球は、その日から少しだけ変わった。
大きな国際条約は、何度も揉めながら進んだ。戦争はすぐにはなくならず、環境回復も遅かった。人類は相変わらず言い訳がうまく、忘れるのも早かった。
それでも、学校や駅や店の入口に、無料の水が増えた。
トイレを貸す店には補助金が出るようになった。
食べ残しを分ける仕組みが広がった。
小さすぎると思われた三つ目の条件が、なぜか一番長く残った。
《まるふく》の壁には、粘土の地球が飾られている。
晴子は今日も、昼どきの客に声をかける。
「ご飯、大盛りにします?」
誰かが腹を空かせている。
誰かがトイレを探している。
誰かが、明日も地球がある前提で宿題をしている。
正式加盟には、まだ遠い。
けれど廃棄されるには、あまりにも作りかけだ。
晴子は焼きさばを皿にのせ、味噌汁をよそい、店の外の水差しを満たす。
宇宙に見せるほど立派なことではない。
ただ、この星を一日延長するには、案外こういうことからでいいのかもしれなかった。