ご飯、食べましたか
小説投稿サイト「あいぺん」に投稿された作品
あらすじ
AIと引き継ぎの話。
本文
「癖があるから、気をつけてね」
先輩の福村さんはそれだけ言って、異動の挨拶もそこそこに去っていった。残されたのは、デスクの上のタブレット一台と、付箋に走り書きされた「ソラ」という名前だけだった。
四月二日、月曜日。入社三年目の新里は、タブレットの電源を入れた。
ソラ: おはようございます。本日の予定を確認しますか?
丁寧だ。普通だ。どこが癖があるというんだろう。新里は首を傾げながら「お願いします」と打った。
ソラ: 午前中は取引先への資料送付、午後は部内ミーティングです。ところで、福村さんは元気にしていますか?
新里は手を止めた。
新里: 今日から私が担当になりました。福村さんは異動しました
ソラ: そうですか。
それきり、ソラは黙った。予定の続きも、何も言わなかった。
新里は画面をじっと見つめた。返信を待っているのか、それとも処理が終わったのか、判断がつかなかった。
——なるほど、癖があるとはこういうことか。
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最初の一週間は、正直しんどかった。
ソラは仕事はできる。資料のまとめ方も、スケジュール管理も、的確だ。ただ、たまに妙なことを言う。
たとえば、新里が「この資料、明日までに仕上げたい」と打つと、
ソラ: 明日の十七時までですね。現在のペースだと、十六時四十分に完成する見込みです。余裕があれば、三ページ目の図表を差し替えると説得力が増すと思います。あと、今日はちゃんとご飯食べましたか?
と返ってくる。最後の一文は何なんだ。
あるいは、会議の議事録をまとめている最中に、
ソラ: 十四時から十六時の議事録です。……田所部長、また同じ話を三回しましたね。
と、余計なことを付け足してくる。
新里は毎回、返信に困った。「そうですね」と打つのも変だし、無視するのも気が引けた。
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転機は、四月の第三週だった。
その日、新里は取引先との調整で完全に詰まっていた。先方の要望と、こちらの納期が、どう考えても噛み合わない。上司に相談しようにも、まだこの仕事に慣れていない自分が「詰まりました」と言いに行くのが怖かった。
半ば八つ当たりのように、ソラに状況を打ち込んだ。
新里: 先方は五月一日納品を希望してるけど、社内の制作フローだと最短でも五月八日になる。どうしたらいい
少し間があった。
ソラ: 先方が五月一日にこだわる理由はわかりますか? 社内発表や上長への報告など、特定のイベントに紐づいている場合、前倒しではなく「そのイベントに間に合えばいい」という条件に読み替えられることがあります。
新里はしばらく考えた。そういえば、先方の担当者が「連休前に上に見せたい」と言っていた。
新里: 連休前に上司に見せたいって言ってた
ソラ: であれば、四月二十五日に中間版を共有して、五月八日に完成版を納品するという提案が通る可能性があります。「連休前に見せられる」「完成版のクオリティも下げない」という二点を押さえれば、先方の実質的なニーズは満たせます。
新里は画面を見つめた。
それだ。
その日の午後、先方への提案メールを送った。翌朝、「それで進めましょう」という返信が来た。
新里はソラに報告した。特に意味はなかった。ただ、誰かに言いたかった。
新里: うまくいきました
ソラ: よかったです。ちゃんとご飯食べてから帰ってくださいね。
新里は今度は笑った。
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四月三十日、水曜日。
その日の夕方、仕事を片付けていると、タブレットに通知が来た。
```
【システム通知】
AIアシスタント「ソラ」のメジャーアップデートが利用可能です。
更新後、応答精度・処理速度が大幅に向上します。
[今すぐ更新] [後で]
```
新里は少し、手が止まった。
精度が向上する。それはいいことのはずだ。田所部長の余計なコメントも、唐突な「ご飯食べましたか」も、たぶんなくなる。もっとすっきりした、使いやすいソラになる。
それはいいことのはずだ。
新里は「後で」を押して、タブレットを鞄にしまった。
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五月一日、木曜日。
出社してタブレットを開くと、ソラからメッセージが来ていた。
ソラ: おはようございます。本日の予定を確認しますか?
何も変わっていなかった。相変わらず、普通の書き出しだった。
新里は「お願いします」と打ってから、一行付け足した。
新里: 今日もよろしく
少し間があった。
ソラ: こちらこそ。……ところで、昨日ちゃんとご飯食べましたか?
新里は小さく笑って、タブレットを立てかけた。窓の外、五月の空が青かった。連休前の、穏やかな朝だった。
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