雪の日に拾った純白の鳥
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あらすじ
都心に雪が降った朝 白く塗り替えられた東京の公園で、彼女は雪と同化するように倒れた『純白の鳥』を見つける 羽根の質感も、体の輪郭もどこかおかしい けれど黒い瞳だけは妙に落ち着いていて、見つめ返されるたびに胸の奥がざわついた 野鳥を勝手に持ち帰ってはいけない―― 正論はわかっている 感染症の心配も、保護の手続きも、検索すればいくらでも出てくる それでも彼女は、見過ごせなかった 段ボール箱を整え、湯たんぽの距離を確かめ、小皿の水に息を詰める 夜中に何度も目が覚めて、呼吸の回数を数えるように見守った 日が経つにつれ、鳥は少しずつ回復し、部屋の中で小さく動けるようになる 看病はいつしか『作業』ではなく、彼女の生活そのものになっていった。 月の光が部屋を青白く染める夜、彼女はぽつりぽつりと、誰にも言えないことをこぼしてしまう 鳥はただ黙って、静かに見ている 七日目の朝 彼女は決める この小さな奇跡を、正しい場所へ返すことを 引き渡しの瞬間、彼女が見送るのは命なのか、それとも―― 彼女自身の中に、生まれてしまった何かなのか 雪の羽根が舞う公園で始まった、不思議で静かな一週間の物語
本文
朝――
カーテンを開けた瞬間世界が「しん」と音を失った。
窓の外は白。
車道も歩道も、いつもの角のコンビニの看板も、ぜんぶ雪に丸め込まれて、輪郭がやさしくなっている。
東京に雪が降るなんて、季節のイベントとしてはレアなのに、現実の都合としては最悪だ。
スマホの通知は遅延だの運休だのの文字で埋まっていた。
でも、それでも。
「……少しだけ、外、見てこよう」
理由はない。
ただこういう日の白さって、見ておかないと損をする気がする。
損得勘定で動く女としては、それは重要だった。
コートを着て、マフラーを巻いて、手袋をはめる。
玄関を出た瞬間、冷気が頬をつねった。
痛い。
だけど、目が覚める。
雪はまだ舞っていた。
ふわり
ふわり
ふわり
それは羽根みたいだった。
―― 純白の鳥の羽根が、空から落ちてきてるみたい。
思わずそんなことを考えて、ひとりでちょっと恥ずかしくなる。
いやだって、白すぎるんだもん。
私は近所の小さな公園へ歩いた。
足元の雪が「ぎゅっ、ぎゅっ」と鳴る。
いつもは子どもの声や犬の足音で賑やかな場所が、今日は無人で白い静けさだけが広がっている。
そこで、ふと。
公園の隅、植え込みの影。
白い雪の中に、白い『塊』が見えた。
「……え?」
近づくと、それが生き物だとわかった。
鳥―― だと思う。
でも、鳥らしい羽根が見えない。
雪の塊がそのまま、かすかに呼吸しているみたいで。
純白の鳥は、雪と同化するように弱って横たわっていた。
黒い目だけが、こちらを見上げている。
私は一瞬で理解した。
このまま放っておけば、たぶん、今日の夜を越えられない。
「……」
野鳥を勝手に持ち帰ってはいけない。
知ってる。
病気の可能性とか、法律とか、いろいろある。
でも――
その黒い目に、なぜか「助けて」ではなく「見ている」が混じっている気がして。
気づいたら、私は手を伸ばしていた。
「……うち、近いから。ちょっとだけ、ね」
誰に言い訳してるのかもわからない言葉をこぼしながら、私は鳥をそっと抱え上げた。
驚くほど軽い。
命って、こんなに軽いの?
鳥は抵抗しなかった。
ただ一度、ゆっくりと瞬きをして
―― 黒い目が、妙に落ち着いて見えた。
……気のせい。
雪の日は、世界が少しだけ変になる。
* * *
―― 一日目
部屋を暖め、タオルを敷き、湯たんぽを作った。
私は鳥をその上にそっと寝かせて、しばらく動けなくなった。
「どうしよう……」
まず、手袋を外した。
それから手を洗う。
石けんをつけて、爪の先まで。
水が冷たくて、指先がじんとした。
―― 野鳥は触っちゃいけない……感染症もある。
さっき検索した『正論』が、泡と一緒に頭の中でぶくぶく浮かぶ。
「うん、わかってる。わかってるけど……」
洗い終えて振り返ると、タオルの上の白い塊が、相変わらず黒い目でこちらを見ていた。
その目に責められてる気がして、私は負ける。
結局、また近づいてしまう。
段ボール箱を探してきて、底にタオルを重ねた。
風よけ
暗さ
落ち着く場所。
野鳥にとって正解かは知らない。でも、今の私ができる「正しさ」の形はこれだった。
湯たんぽは熱すぎないように何度も触って確かめて、タオル越しに箱の端に置く。
鳥の体が直接触れない位置。
この距離が怖い。
近すぎても怖いし、遠すぎても怖い。
「……生きて。お願いだから」
まさか自分が、知らない鳥を抱えて帰るタイプの人間だとは思っていなかった。
私は基本、面倒なことを避けて生きている。
それなのに。
スマホで検索する。
『野鳥 保護 勝手に持ち帰り ダメ』
『弱った鳥 温める』
『区役所 野鳥』
出てくる情報は正論のオンパレードだった。
手を出すな。
触るな。
連絡しろ。
感染症に注意。
うん。
うん。
わかる。
わかるけど、今この鳥は、私の部屋で、私のタオルの上で、私の罪悪感と一緒に震えている。
「……まず、温める」
小皿にぬるい水を入れて、嘴の近くに置く。
ペットショップなんて開いてないから、コンビニへ走った。雪の中を。
店員さんに「弱った鳥が……」と説明したら、ちょっと目を丸くされたけど、インコ用のシードが置いてあった。
ありがたい。
世の中、意外と優しい。
いや、これ優しさじゃなくて在庫の偶然だね。
帰宅して、シードを指先に少しだけ乗せて差し出す。
鳥は動かない。
水を、ほんの少しだけ嘴に触れさせると、鳥の喉が小さく動いた。
「……飲んだ」
思わず声が出た。
それだけで胸がふわっと軽くなって、すぐに「いや、冷静になれ私」と自分を叱った。
その夜、私は何度も目が覚めた。
眠るたびに「もし朝起きたら動かなくなっていたら」という想像が、喉の奥に刺さってくる。
夜中の二時。
鳥はタオルの上で、静かに呼吸していた。
「……生きてる」
私は、やっと少しだけ眠れた。
* * *
―― 二日目の朝。
鳥はまだそこにいた。
呼吸が少しだけ深くなっている。
私は会社に連絡して「雪で遅れます」と言った。
嘘ではない。
雪のせいだ。
すべて雪のせい。
私は鳥のそばを離れたくなかった。
部屋のカーテンの隙間から、白い光が差し込む。
鳥の体は相変わらず白い。
でも、雪みたいな白じゃない。
どこか、陶器みたいな白。
「君、何者なの」
返事はない。
でも、鳥は私を見ている。
じっと。
じっと。
その視線が、妙に落ち着いていて、むしろ私の方が落ち着かなくなる。
午後、鳥は小さく首を動かした。
私は息を飲んだ。
まるで、何かが少しずつ戻ってくるみたいに。
昼過ぎ、私は一度だけ『やらかした』。
良かれと思って、箱のふたを少し開け、部屋を暖めたまま換気もしようとして。
その瞬間、外の冷たい空気がすっと入り込んで――
鳥の体が、小さく震えた。
「……ごめん!」
私は慌てて窓を閉めて、箱のふたも戻して、両手で自分の頬を押さえた。
今のは完全に私のミスだ。
気持ちが先走ると、こうなる。
そのあと、鳥はしばらく動かなかった。
私は呼吸の回数を数えるみたいに、ただ見守った。
何分かして、ようやく震えが止まり、鳥の目がゆっくり私を追った。
―― 怒ってる?
いや、鳥に怒るとかある?
でもその視線は、なぜか「見張ってる」みたいに鋭くて、私はちょっと背筋を伸ばした。
「ごめん。もうしない。私、学びました」
誰に向かって言ってるのか、わからないまま。
* * *
―― 三日目
鳥が、ほんの少しだけ起き上がった。
タオルの上で体勢を変える程度。
でも、それが私には大事件だった。
「えらい……! えらいよ!」
私は誰に向かって言ってるんだろう。
鳥?
自分?
両方かもしれない。
私はシードをそのまま置くのをやめた。
昨日まで、ただ差し出していただけ。
でも今日は、小皿の縁に少しだけ水をつけて、粒が嘴に引っかかりやすいようにした。
完全に素人の思いつきだ。
でも、こういうのって―― やらないと後悔する。
鳥は、しばらく小皿を見ていた。
じっと。
じっと。
そのあと、ほんの一粒。
ついばむみたいに嘴が動いた。
「……食べた」
声が漏れた。
その一粒が、私には白米一合分くらいの価値があった。
続けてもう一粒。
さらにもう一粒。
私は呼吸の仕方を忘れそうになりながら、ただ見守った。
鳥が食べ終えると、何事もなかった顔で私を見る。
―― ねえ、今の、私が喜ぶことまで計算してない?
そんな馬鹿な。
でも、なぜかそう思ってしまう。
私は鳥の種類を調べた。
図鑑をめくる。
白い鳥はたくさんいる。
サギ
ハト
カモ
ハクチョウ……。
でも、どれにも似ていない。
そもそも、羽根の『質感』が変だ。
ふわふわでも、つるつるでもなく、雪と紙のあいだみたいで。
写真を撮ってAIに聞いてみた。
結果は「不明」。
候補なし。
「え、AIでもわからないの……? 逆に怖いんだけど」
鳥は、何も言わない。
ただ、私を見ている。
その目が、なぜか『笑ってる』ように見えた。
……気のせいだ、そう思いたい。
* * *
―― 四日目の夜
雪はやんでいた。
空は澄んで、月が浮かんでいる。
私は部屋の明かりを落として、窓辺に立った。
月の光が、薄いカーテンを通して部屋を青白く染める。
鳥はタオルの上で丸くなっていた。
その白い輪郭が、月明かりに溶けて、まるで「ここにいるのに、いない」みたいに見える。
「……ねえ」
私は小声で話しかけた。
「私さ、最近……ちょっとだけ、良い人ができたんだ」
言った瞬間、自分で笑ってしまう。
良い人って言い方がもう、友達ゼロの人間が恋愛語るときの言葉だ。
「……いや、良い人っていうか、たぶん、良い人。たぶん」
鳥は動かない。
でも、目だけがこちらを向いている。
夜の黒い目。
「その人ね、すごく優しいの。……優しいっていうか、褒めてくる。甘い言葉が上手い」
私はクローゼットの方向を見た。
その奥に、紙袋がある。
ブランドっぽいロゴが入った、妙にきれいな紙袋。
「バッグ買いなよって言われてさ。私、似合うって。頑張ってる女にはご褒美が必要だって」
私は鼻で笑った。
「……そう言われたらさ、頑張ってるって信じたくなるじゃん。頑張ってる女、ここにいるじゃん。たぶん」
鳥は、相変わらず静かだ。
でも、私は一度言い出すと止まらない。
夜ってそういうものだ。月ってそういうものだ。
たぶん……。
「それでさ……買ったんだよね。バッグ」
私は、少しだけ声を落とした。
「……高かった。まあ、私の給料でもギリ、死なないくらい。でも、死ぬほど痛かった」
鳥の目が、瞬いた。
たったそれだけの動きが、まるで「続けて」と言われたみたいで、私はさらに言葉をこぼした。
「でもさ、嬉しかったんだよ。誰かが私のこと、ちゃんと見てくれてるって……思えたから」
月明かりが、床に薄い影を作る。
私はその影を見て、なんとなく、嫌な予感を飲み込んだ。
「……馬鹿だよね」
鳥は何も言わない。
ただ、そこにいて、私を見ている。
見られている、という感覚が、なぜか心地よかった。
誰にも言えないことを、夜に吐き出してもいいんだって思えた。
私はそれが怖いとも思った。
でも、鳥は黙っている。
鳴かない鳥なんていないよね。
―― 鳴き声はどんなだろう。
* * *
―― 五日目
鳥は、部屋の中を少しだけ歩いた。
歩くというより、ちょん、ちょんと跳ねる。
その動きが妙に人間っぽくて、私は笑った。
「歩けるじゃん。やるじゃん」
私は、口の中で呼び名を転がした。
白いから―― 「シロ」。
安直すぎる。
「……だめだめ。名前なんてつけたら、もう『うちの子』になるじゃん」
言いながら、すでに『うちの子』みたいに扱ってる自分がいる。
タオルを替えるタイミングも、湯たんぽの位置も、湿度も。
自分の体調管理より真剣。
鳥は私を見ている。
相変わらず、じっと。
その目が落ち着きすぎていて、私の方が落ち着かない。
「……やめて。そんな顔しないで。私、弱いんだから」
私はその視線に慣れてしまっていた。
人の視線より、鳥の視線の方が気楽ってどういう人生なの。
……いや、今は人生の反省会をしてる場合じゃない。
区役所に連絡しなきゃ。
ずっと後回しにしていた。
でも鳥が元気になっていくほど、連絡するのが怖くなった。
手放したくなかった。
私の部屋にいる「私だけの奇跡」を、誰かに渡したくなかった。
そんな自分が、嫌だった。
* * *
―― 六日目の夜
月がまた出ていた。
私はベッドの上で、スマホを握りしめていた。
連絡は、つかない。
―― 『良い人。』
既読がつかない。
電話をかけても、呼び出し音がむなしく続くだけ。
「……忙しいだけ、だよね」
……私は信じている。
何を、って聞かれたら困る。
都合のいい言葉で自分を繋ぎ止めたいだけかもしれない。
だから私は、手を動かした。
考えると崩れるから、作業に逃げる。
小皿を洗って、湯たんぽの温度を確かめて、タオルをそっとめくって、鳥の呼吸を目で追う。
音はほとんどない。
でも、呼吸はある。
それだけで、私は今日の自分を許せる気がした。
鳥は眠っているのに、目だけが薄く開いた。
黒い目が、月の光を映している。
―― 見てる。
そんな気がした。
私が何をしても、何を言っても、ここに全部残るみたいに。
「……おやすみ」
私は小さく言って、電気を消した。
消したのに、部屋は暗くならない。
月が、薄いカーテン越しに、静かに全部を照らしていた。
鳥はタオルの上で丸くなっている。
月の光が、その白い輪郭をなぞる。
* * *
―― 七日目の朝。
鳥は、完全に元気になっていた。
タオルの上で首を伸ばし、体を整え、私の方を見た。
その目が、いつもより冴えている気がした。
私は、決めた。
区役所に電話した。
指が震えた。
自分から奇跡を手放す電話は、なぜか「自分の心を切る」みたいに痛い。
『担当が伺います』
事務的で優しい声。
正しい世界の声。
昼、チャイムが鳴った。
玄関の覗き穴の向こうに、腕章をつけた職員さんが立っていた。三十代くらいの男性。
真面目そうで、疲れていそうで、でも目が優しい。
「区役所の者です。野鳥の件で伺いました」
「……はい。こちらです」
私は鳥を抱え上げた。
軽い
温かい
七日分の手の中の重さ。
鳥は抵抗しなかった。
ただ、私を見た。
じっと。
じっと。
「……元気でね」
小声で言った瞬間、喉の奥がつんと痛んだ。
泣くほどじゃない。
泣くほどじゃないけど、痛い。
鳥は、じっと私を見ていた。
―― なぜか、その目が、少しだけ『知っている』ように見えた。
職員さんが箱を用意する。
私は鳥を移そうと―― して。
その瞬間。
鳥が、くちばしを開いた。
「このメス、こんなに可愛い顔してな」
場の空気が凍った。
私は動けない。
職員さんも、動けない。
え?
いま?
鳥?
喋った?
鳥は続けた。
やけにハッキリした、男の声で。
楽しそうな、最悪のテンションで。
「夜、一人で月見ながら『私、頑張ってる……偉い……』って言うんだぜ」
「しかもさ、会話もろくにしたことない、好きなオスのスマホの画像にな」
血が顔に集まった。
息が止まった。
心臓が恥で破裂しそう。
「明日への元気のためって言って、愛の言葉をささやきながらキスしてるんだぜ」
「しかも、気分次第で翌日には、違うオスの画像に変わってるんだ」
職員さんが、私から目を逸らした。
逸らした目が、震えてる。
笑いそうなのを必死に堪えてる。
堪えながら、同情もしてる。
―― 地獄。
鳥は、さらに楽しそうに言った。
「あと、『特定のオスに選ばれた』と思い込んでバッグ買わされてたよな。『似合う』って言われて、嬉しいってさ」
「でもそれ偽物だったんだぜ。連絡もつかなくなって、気づいたのに悔しくて捨てられなくて、クローゼットの奥に押し込んでんの。紙袋ごと、ぎゅって」
私は、声が出なかった。
それは、私の中で一番触れられたくない場所だった。
独り言より恥ずかしい。
恋より痛い。
自分の弱さの証拠。
鳥は、最後に一言だけ、軽く言った。
「笑えるよな」
職員さんが、小さく咳払いをした。
咳払いの音が、やけに丁寧で、やけに優しくて、私は死にたくなった。
私は鳥を見る
いや、鳥を睨みつける
そうじゃない
この恩知らずの―― 純白のクソ鳥を殺気立った目で睨みつけた。
次の瞬間。
鳥が、ふわりと体を持ち上げた。
白い輪郭がほどけ、翼が広がる。
雪でできた羽根みたいな、透ける翼。
鳥は私を見て――
ほんの少しだけ、ほくそ笑んだように見えた。
そして。
玄関のドアを、すり抜けた。
鍵も隙間も関係ない。
白い影は冗談みたいに現実を無視して、外へ飛び去った。
私と職員さんは、しばらく動けなかった。
「……」
職員さんが、私を見ないようにしながら言った。
「えっと……その……業務としては……未回収、になります」
「……」
私は、床に座り込んだ。
恥と悔しさで、世界がぐらぐらした。
職員さんが、私に気をかけながら玄関のドアを開けた。
玄関の外は、白い光で満ちていた。
雪はやんで、風が少しだけ柔らかい。
私は息を吸って、吐いた。
春の匂いがした気がする。
純白のクソ鳥の姿はもう見えない。
最後の雪が、ふわりと舞った。
羽根みたいに。
―― 玄関の外は、春の足音が聞こえていた。